エポックメイキングな製品も登場
松下社長が語る50年の歴史秘話/BoAさんが新曲初披露 − オーディオテクニカ発表会詳報
既にニュースでお伝えしているとおり、本日(株)オーディオテクニカは創立50周年モデルを始めとした新製品群を発表。都内にて発表会を開催した。
【記事目次】
・松下和雄社長が語るオーディオテクニカ50年の歴史
・中込直樹マネージャーが語るオーディオテクニカの製品コンセプト
・サウンドバーガー、バキューム式レコードスタビライザー − 50年の歴史が生んだユニークなプロダクトたち
・CMイメージキャラクターBoAさん登場 − 新CMソングを初披露
■松下和雄社長が語る、オーディオテクニカ50年の歴史
会の冒頭では、代表取締役社長の松下和雄氏から、ブランド50周年の歴史が紹介された。以下、松下社長のコメントを掲載する。
皆様から日ごろのご協力をいただき、当社は来年4月に50周年を迎える。オーディオテクニカの歴史は、1962年に私の父であり創業者の松下秀雄がアナログカートリッジを製作したことから始まった。父はアナログレコードの愛好者で、大変な音楽ファンだった。42歳までブリジストンに勤めたが、音楽への愛が忘れられず、音響の会社を設立した。これが現在のオーディオテクニカである。
オーディオテクニカの最初の製品は、MM型カートリッジ「AT-1」「AT-3」だった。これがなかなか市場に受け入れられず、父は、当初は失敗かと覚悟を決めたそうだ。ところが、その年の年末に発売されたオーディオ雑誌で「オーディオテクニカのカートリッジは音が良い」とほめていただいたことから、全国のオーディオ店から徐々に注文が入るようになってきた。
1967年には、オーディオテクニカオリジナルの「VM型」カートリッジを発表した。当時はアナログレコードがモノラルからステレオに切り替わりつつある時期だった。MM型カートリッジについては、欧米でそれぞれのリーディングブランドがパテントを取得していたため、日本で作った製品を海外に輸出できなかった。そこで、当社は新たなVM型機構を独自に開発して、パテントを取得。これにより、日本製のアナログ製品を海外に輸出できるようになった。その後、オーディオテクニカはアメリカ・オハイオに販売会社を設立し、世界各国に製品を輸出・販売してビジネスを拡大。世界各国からご支持をいただけるようになった。
当時の米法人の社長であったジョン・ケリー氏からの提案で、カートリッジと同じ販路を活かしてヘッドホンを販売してみてはというアイデアがあがってきた。そこで、オーディオテクニカとして初めてのヘッドホンを開発・販売したが、出だしは困難だった。というのも、当時ヘッドホンはステレオシステムを購入された方々への“おまけ”として添付されていたので、そもそも商売につながりにくいカテゴリーだったからだ。
現在、ヘッドホンは日本国内だけでも約380億円ほどの市場にまで成長した。200以上のブランドがしのぎを削る、とても競争が厳しいジャンルだが、当社はおかげさまでマーケットシェアNo.1を堅持している。
1978年には、初めてのマイクロホンも商品化した。これも米法人のジョン・ケリー氏の発案によるものだった。当時アマチュア愛好家の間では「生録」がブームで、きっと売れるだろうと期待されながらの発売だったが、残念ながらブームはすぐに去ってしまい、商品も売れ行きが芳しくなく、困ったものだった。
一方で、VM型カートリッジは日本で始まったステレオブームに乗って、販売はとても好調だった。「MM型カートリッジを搭載してもパテントの制約から海外に輸出して売ることができない」という環境も手伝って、当社のVM型カートリッジを自社製品として販売することはもちろん、OEM製品としてご採用いただく国内メーカーの数も多く、ピークの時期には100万台/月産の勢いを誇るほどだった。
こうして会社は順調に成長したが、1982年にCDが登場し、アナログからデジタルへ時代が構造が移り変わってきた。その結果、当社のアナログ製品も売り上げが落ちてきて、10年ほどは会社全体も厳しい環境に置かれた。この難局を乗り越えるため、社員が一丸となってアイデアを出し合い、可能性のある分野には何でも飛びついた。一例では、「家庭でにぎり寿司が食べられたら良いのでは」という、社内コンペのアイデアを受けて、全自動のにぎり寿司メーカー「にぎりっこ」を商品化した。しかしこれが売れなかった。CMイメージキャラクターにタレントのケント・デリカットさんを採用したが、製品はヒットせず、デリカットさんだけがブレイクしてしまったというエピソードもあった。
本製品については、ある寿司屋の方からモーターを付ければ売れるのではというご意見をいただいて、これを活かしてみたところ、ようやく軌道にのせることができた。
また、印刷会社の方の要望を受けて、フィルムに帯電する静電気を除去しながら、フィルムに付着するホコリをよけてくれる業務用製品「テクニクリーン」を開発した。現在ではこの静電除去の技術が、液晶パネル部材の生産に大変役に立っているとうかがっている。
1985年には、ユニポイントマイクを発売した。こちらはスピーチや会議用の小型マイクで、当時大型マイクしかなかったこともあり、国際会議場など世界の有名な大舞台で大変好感をもって受け入れられた。
1993年は私が社長に就任した。売上が伸びず、経営状態は難局であった。多数の新ジャンル製品を開発していたものの、販路がなかったり、生産力がなかったりとなかなか商売に結び付かないものが多数存在していた。私が就任して最初の仕事は、見込みのないジャンル製品の開発を止めるという「選択と集中」だった。音響製品以外では、にぎり寿司メーカーとテクニクリーンのみに集中。財務体質も改善し、株の売買や財テクもすべて廃止。これにより、1997年3月末には全ての借り入れを返済、利益率も5%に改善した。
そんななか、にぎり寿司メーカーやマイクが売れ始め、経営はようやく軌道に乗った。現在70〜80%のシェアを誇るカラオケマイクも、当初は全く受け入れて貰えなかったが、マイクがワイヤレス化する変革期にチャンスをつかみ、シェアを獲得することができた。
現在、販売拠点も国内から海外まで幅広いカバレッジを保持しており、全世界100カ国前後に輸出している。これだけの拠点を持つオーディオメーカーは他にないものと自負している。
2010年度は売上248億8,900万円で、ここ数年売上は伸び悩んでいる。これは、CD-ROM系からメモリーへと記録装置が変化してきたことで、光ピックアップの需要が落ち、売上が低迷しているためだ。今後はOEMのビジネスモデルを改善していく必要があると考えている。
いま、オーディオテクニカのマイクは、グラミー賞やオリンピックなど世界の檜舞台で活躍している。世界の歌手の方も、レコーディングで弊社のマイクを使用してくださっている。来年開催されるロンドンオリンピックでも、オーディオテクニカのマイクが採用されることになる。
現在台北、大連にショップを持っているが、今年12月には新たにパリはルーブル美術館近くに新しいショップをオープンする予定だ。
オーディオ産業の成長とともに成長してきたオーディオテクニカは、デジタル化に伴うダウンサイジングの影響を受けるなど数々の苦境をくぐってきた。これからも文化や習慣、技術革新、市場変化など、さまざまな影響を受けることだろう。しかし、私の方針は「企業は人なり」。社員ひとりひとりがイキイキと能力を発揮できる会社にしたいと思っている。2012年は、創立50周年記念コンサートや書籍の発刊なども行っていく予定だ。今後も皆様のご支援をぜひお願いしたい。
【記事目次】
・松下和雄社長が語るオーディオテクニカ50年の歴史
・中込直樹マネージャーが語るオーディオテクニカの製品コンセプト
・サウンドバーガー、バキューム式レコードスタビライザー − 50年の歴史が生んだユニークなプロダクトたち
・CMイメージキャラクターBoAさん登場 − 新CMソングを初披露
■松下和雄社長が語る、オーディオテクニカ50年の歴史
会の冒頭では、代表取締役社長の松下和雄氏から、ブランド50周年の歴史が紹介された。以下、松下社長のコメントを掲載する。
皆様から日ごろのご協力をいただき、当社は来年4月に50周年を迎える。オーディオテクニカの歴史は、1962年に私の父であり創業者の松下秀雄がアナログカートリッジを製作したことから始まった。父はアナログレコードの愛好者で、大変な音楽ファンだった。42歳までブリジストンに勤めたが、音楽への愛が忘れられず、音響の会社を設立した。これが現在のオーディオテクニカである。
オーディオテクニカの最初の製品は、MM型カートリッジ「AT-1」「AT-3」だった。これがなかなか市場に受け入れられず、父は、当初は失敗かと覚悟を決めたそうだ。ところが、その年の年末に発売されたオーディオ雑誌で「オーディオテクニカのカートリッジは音が良い」とほめていただいたことから、全国のオーディオ店から徐々に注文が入るようになってきた。
1967年には、オーディオテクニカオリジナルの「VM型」カートリッジを発表した。当時はアナログレコードがモノラルからステレオに切り替わりつつある時期だった。MM型カートリッジについては、欧米でそれぞれのリーディングブランドがパテントを取得していたため、日本で作った製品を海外に輸出できなかった。そこで、当社は新たなVM型機構を独自に開発して、パテントを取得。これにより、日本製のアナログ製品を海外に輸出できるようになった。その後、オーディオテクニカはアメリカ・オハイオに販売会社を設立し、世界各国に製品を輸出・販売してビジネスを拡大。世界各国からご支持をいただけるようになった。
当時の米法人の社長であったジョン・ケリー氏からの提案で、カートリッジと同じ販路を活かしてヘッドホンを販売してみてはというアイデアがあがってきた。そこで、オーディオテクニカとして初めてのヘッドホンを開発・販売したが、出だしは困難だった。というのも、当時ヘッドホンはステレオシステムを購入された方々への“おまけ”として添付されていたので、そもそも商売につながりにくいカテゴリーだったからだ。
現在、ヘッドホンは日本国内だけでも約380億円ほどの市場にまで成長した。200以上のブランドがしのぎを削る、とても競争が厳しいジャンルだが、当社はおかげさまでマーケットシェアNo.1を堅持している。
1978年には、初めてのマイクロホンも商品化した。これも米法人のジョン・ケリー氏の発案によるものだった。当時アマチュア愛好家の間では「生録」がブームで、きっと売れるだろうと期待されながらの発売だったが、残念ながらブームはすぐに去ってしまい、商品も売れ行きが芳しくなく、困ったものだった。
一方で、VM型カートリッジは日本で始まったステレオブームに乗って、販売はとても好調だった。「MM型カートリッジを搭載してもパテントの制約から海外に輸出して売ることができない」という環境も手伝って、当社のVM型カートリッジを自社製品として販売することはもちろん、OEM製品としてご採用いただく国内メーカーの数も多く、ピークの時期には100万台/月産の勢いを誇るほどだった。
こうして会社は順調に成長したが、1982年にCDが登場し、アナログからデジタルへ時代が構造が移り変わってきた。その結果、当社のアナログ製品も売り上げが落ちてきて、10年ほどは会社全体も厳しい環境に置かれた。この難局を乗り越えるため、社員が一丸となってアイデアを出し合い、可能性のある分野には何でも飛びついた。一例では、「家庭でにぎり寿司が食べられたら良いのでは」という、社内コンペのアイデアを受けて、全自動のにぎり寿司メーカー「にぎりっこ」を商品化した。しかしこれが売れなかった。CMイメージキャラクターにタレントのケント・デリカットさんを採用したが、製品はヒットせず、デリカットさんだけがブレイクしてしまったというエピソードもあった。
本製品については、ある寿司屋の方からモーターを付ければ売れるのではというご意見をいただいて、これを活かしてみたところ、ようやく軌道にのせることができた。
また、印刷会社の方の要望を受けて、フィルムに帯電する静電気を除去しながら、フィルムに付着するホコリをよけてくれる業務用製品「テクニクリーン」を開発した。現在ではこの静電除去の技術が、液晶パネル部材の生産に大変役に立っているとうかがっている。
1985年には、ユニポイントマイクを発売した。こちらはスピーチや会議用の小型マイクで、当時大型マイクしかなかったこともあり、国際会議場など世界の有名な大舞台で大変好感をもって受け入れられた。
1993年は私が社長に就任した。売上が伸びず、経営状態は難局であった。多数の新ジャンル製品を開発していたものの、販路がなかったり、生産力がなかったりとなかなか商売に結び付かないものが多数存在していた。私が就任して最初の仕事は、見込みのないジャンル製品の開発を止めるという「選択と集中」だった。音響製品以外では、にぎり寿司メーカーとテクニクリーンのみに集中。財務体質も改善し、株の売買や財テクもすべて廃止。これにより、1997年3月末には全ての借り入れを返済、利益率も5%に改善した。
そんななか、にぎり寿司メーカーやマイクが売れ始め、経営はようやく軌道に乗った。現在70〜80%のシェアを誇るカラオケマイクも、当初は全く受け入れて貰えなかったが、マイクがワイヤレス化する変革期にチャンスをつかみ、シェアを獲得することができた。
現在、販売拠点も国内から海外まで幅広いカバレッジを保持しており、全世界100カ国前後に輸出している。これだけの拠点を持つオーディオメーカーは他にないものと自負している。
2010年度は売上248億8,900万円で、ここ数年売上は伸び悩んでいる。これは、CD-ROM系からメモリーへと記録装置が変化してきたことで、光ピックアップの需要が落ち、売上が低迷しているためだ。今後はOEMのビジネスモデルを改善していく必要があると考えている。
いま、オーディオテクニカのマイクは、グラミー賞やオリンピックなど世界の檜舞台で活躍している。世界の歌手の方も、レコーディングで弊社のマイクを使用してくださっている。来年開催されるロンドンオリンピックでも、オーディオテクニカのマイクが採用されることになる。
現在台北、大連にショップを持っているが、今年12月には新たにパリはルーブル美術館近くに新しいショップをオープンする予定だ。
オーディオ産業の成長とともに成長してきたオーディオテクニカは、デジタル化に伴うダウンサイジングの影響を受けるなど数々の苦境をくぐってきた。これからも文化や習慣、技術革新、市場変化など、さまざまな影響を受けることだろう。しかし、私の方針は「企業は人なり」。社員ひとりひとりがイキイキと能力を発揮できる会社にしたいと思っている。2012年は、創立50周年記念コンサートや書籍の発刊なども行っていく予定だ。今後も皆様のご支援をぜひお願いしたい。
次ページ中込直樹マネージャーが語るオーディオテクニカの製品コンセプト