「ひこうき雲」から「深海の街」まで
ユーミンのハイレゾ解禁。荒井由実時代を含む全423曲、松任谷正隆×GOH HOTODA対談インタビュー
――先ほど松任谷さんには4つの時代があって、アナログからデジタルへの端境期の話が出ました。今回配信されるハイレゾ音源は「24bit/96kHz」のスペックですけれども、マスターが「24bit/96kHz」ではない楽曲もあったのでは?
GOH ありました。アナログ録音の時代は、使ってたコンソールとかミキシングコンソールとか、テープレコーダーの特性によってはその倍音が、20kHz以上、60kHzぐらいまで伸びているものもあったんですよ。でもデジタルになってからは48kHzまでしか収録されてないものが結構多かったんですよね。あるいはアナログのマルチテープ録音とデジタル録音が一緒に回っていた頃は、アナログの方は60〜70kHzぐらい出てるんですけれども、デジタルの方で歌とかダビングしたものが48kHzまでしか入っていなかったりとか。そうすると2チャンネルにミックスしてもやっぱりドラムや間奏だけはハイレゾになるんだけど、歌が始まるとグっと閉まってしまったり。これはもうハイレゾにするんだったら、ちゃんとハイレゾにしましょうということで、最初に言いましたようにソニーの特別なプラグインを使って、高周波まで入っていないものも含めて全て96kHzまで引き延ばして、それから作業を始めたんです。
――当時の録音技術を超えて今の技術を反映させてこそ出来たリマスタリングですね。
GOH 96kHzまで伸びると、やっぱり聴いた感じが元のデータと違うのが分かるんですよ。96kってのは一番上の方じゃないですか、倍音の倍音の倍音みたいな。
――なるほど。
GOH ところが20kHzというような下はもう、48kHzであろうが96kHzだろうが、下はそれ以下っていうのはないんですよね、5kHzに伸びるわけじゃないから。そういうところは結構自分なりに今の技術を使って、低音の倍音を足したりとか、それでやっとバランスをとれるようにしました。いくら上だけ延びちゃっても実際には聞こえないんですよね、感じることはできても。
――上を伸ばして下の倍音を足してと言いましたけど、それによって聞こえ方の違いというのは?
GOH 結果的にバランスよく聞こえるってことですね。96kHzの中にきちんとバランスよく聞こえるっていうか。それを踏まえてしっかりと取り組んでいる人はあまりいないので、今回が初めてかもしれないですね。
――こだわったユーザーさんは独自のツールで購入された音源の波形を見られる方もいるようです(笑)
GOH そうなんですか。僕も基本的にはオタクですから。あと由実さんのファンだからちゃんとやろうと(笑)。僕は中学生の時にアメリカ行っちゃったんですけれども、中学生の時に聴いた由実さんのアルバムの印象っていうのは残ってるんですよね、やっぱり。マスタリングしながらも、その時のことを結構思い出したりするんですよ、いろいろと。でも今の耳っていうのはね、やっぱり40年前とか50年前の耳ではないから、今の耳で解釈しながら進めていくというのは、凄く楽しかったですね。
■「ノーサイド」ハイレゾで聴いてみた
――それでは今日はハイレゾを用意してありますので、ここでお二人に楽曲を選んでいただいて、聴きながらお話を伺いたいと思います。まずGOHさんから。
GOH 結構上手くいったのはね、なんだっけね……。何がいいかな……「ノーサイド」にしようかな。
(「ノーサイド」を試聴する。1984年の『NO SIDE』に収録)
松任谷 イントロのアコースティック、いいですね。
GOH このウインドチャイム、出音が数えられるくらいクリアですね。
松任谷 いいですねえ。この部屋もいいなあ(笑)
――私も透明な楽器音に、松任谷由実さんのヴォーカルが綺麗に浮かんで、今までのCDとは違う印象を持ちました。
■マスタリングが難しかった80年代後半の頃の作品
松任谷 僕もGOHさんにお訊きしたいのですけど、時代的にとか、音源的にとかで、すんなりマスタリングができたもの、逆になかなか苦労したものっていうのはありますか?
GOH そうですね。意外と難しかったのは、80年代後半の頃の作品がちょっと難しかったかもしれないですね。録音技術が進んできて、多重チャンネルもどんどん増えてきて、いろんな音が入ってきたこともあります。
松任谷 一番苦労させたとしたら“シンクラヴィアの時代”かな(注※『ダイアモンドダストが消えぬまに』『Delight Slight Light KISS』『LOVE WARS』『天国のドア』『DAWN PURPLE』『U-miz (曲によって使用)』)。僕はすごく嫌で、全部トラックを作り直したいぐらい。だからマスタリングで嫌じゃなくしてほしい、ということで(笑)
GOH (笑)
松任谷 だって元が嫌なんだもん。あの時代はあれしか僕には選択肢がなかったんです。時代は本当に変化してて、自分たちの作り方とやり方ではもうシンクラヴィアしかチョイスがなかった。でも少し時間がたったら「何だ、もうちょっと自分でこうできたじゃん」という感じでしたけれども、もう世に出ていて、結構聴かれてるし意外に好まれていたりする曲だったりするので、それを作り直すってのはエゴでしかないんです。なのでマスタリングで少しでも自分の納得できる音に直るんだったら、直してもらいたかったんですよ。
――ハイレゾで実際にその時代の音を聞かれてみていかがでしたか?
松任谷 大分慣れたってこともあるけれど、でも全然良くなりましたよ。やっぱりシンクラヴィアは44.1kHz/16bitで聴いたらダメなんですよ。薄っぺらくて。
GOH 当時はシンクラヴィアがあれば何でもできましたからね。僕はその「シンクラヴィアの時代」のマスタリングをしながら、当時ニューヨークのスタジオにシンクラヴィアあったなぁ、とか思い出していました。でも当時の僕はニューヨークでリミックスばかりをやっていた時代だからAKAIのサンプラーだったんですよ。
松任谷 よっぽど新しい(笑)
GOH あの頃を思い出して。当時のクラブミュージックのリミックスの低音の感じとか、「ああいうアプローチをしてみたらどうかな?」と思って、いろいろ試してみたんですよね。その辺からサブソニック(超低域)を足した方がいいという事に気づいて。でもこのリマスタリングプロジェクトを始めて半年くらい経ってた頃だったから、また元に戻って全部やり直した方がいいかもしれないと(笑)
松任谷 僕もサブソニックは大好きです。フォーカスが上の方にあってサブソニックがベースにある、あの音が好き。
GOH それがスタジオの音なんですよね。大きなスタジオモニターのあるスタジオで録音して、結構でかい音で聞くと、低音はぐっ!とこう身体で感じるっていうんですか。そういった事もあって、また70年代の『ひこうき雲』まで戻ってもう一回やり直したわけですよ(笑)
松任谷 ずいぶん行ったり来たりしましたね(笑)
GOH それでまた80年代、90年代のまたまた違うテーマが出てくるじゃないですか。
――今回のマスタリングをされる順番は、年代を追ってされたのでしょうか?
GOH 最終的にはそのようになったんですけど、一番最初は難しいブロックからやろうって始めたんです。70年代のものは入っている音もそんなに沢山ではないし、より綺麗に聴かせればいいんじゃないかというぐらいのものだったので、そっちは手を付けないで、一番難しいとされているところから始めて。その辺は結構やり直してますね。松任谷さんからも「だったら全部リミックスやっちゃいましょうか」みたいな提案も。そっちの方が早いみたいな(笑)
■「ひとつの恋が終るとき」ハイレゾで聴いてみた
――では松任谷さんにも1曲選んで聴いてみたいと思います。聴いてみたいなという曲を選んでいただけますか?
松任谷 難しいなぁ……。何ですかね。これとか、かな。
(「ひとつの恋が終るとき」を再生する。2011年のアルバム『Road Show』収録)
GOH これ、いいですよね。ドラムは誰ですか?
松任谷 長髪の、カースケ(河村カースケ智康)なんです。
GOH ちょっとアメリカの音ですね。
松任谷 ええ、でもこの曲のビートは、アメリカのドラマーが叩くことが想像できなかったから。
GOH でもミックスは向こうですよね?
松任谷 ミックスはアル・シュミット。
(試聴はここまで)
松任谷 凄く久しぶりに聴いたよ。作っちゃうと聴きたくなかったんですよ(笑)。もう出来上がったものだから、皆で聴いてくださいって。