ハイレゾ配信も準備中
MUSIC/SLASH(エムスラ)はオーディオファンの救世主になれるか。代表・谷田光晴氏インタビュー
■「音が悪くても、音は鳴っていればいい」という文化
谷田:一方でYouTubeがどんどん人気になり、いろんな動画プラットフォームが出てくる中で、niconicoさんをはじめ世の中の注目が「コミュニケーション」のほうに向かっていきました。「コメントが流れる」とか「コメントを閲覧しながらコンテンツ見られる」など、やり取りで盛り上げる中でも、その時も「音」は置いてきぼりになっていました。
それでもプロジェクションマッピング作品では、音はオリジナルで作曲家に依頼したり、マスタリングにDSDを使ったり、そういう誰も気づいていない部分ですけど、音にこだわりを持ってやっていました。
そうやって音をよくしたいと思いながらやっているなかで、山下達郎さんに出会うこととなります。2018年に山下達郎さんのチームに映像クリエイターとして参加させていただき、初めて「最高と思えるレベルのバンドサウンド」と「自分の映像作品」がひとつになって、とてつもない可能性を感じました。さまざまなコンサートの演出をやるにあたっても、あらためて基本に立ち返ってやってみようと思いました。ライブ演出には音にこだわって、演出・映像監督として決めたりしながら、やっぱり音は大事だと気持ちは募っていきました。
2019年の山下達郎さんのライブツアーが終わったころ、達郎さんが2020年は東京オリンピックがあるからライブツアーはやらないと決めていて、じゃあ、この空いた時間に、私は新しい事業として、今までやりたいと思っていたことをやるチャンスじゃないかなと準備をしはじめました。
■MEDIAEDGEと基礎開発は準備済み。「今年こそ」と言い始めていたころにコロナ禍
谷田:一緒にエムスラ(MUSIC/SLASH)を開発している会社であるMEDIAEDGE(メディアエッジ)とは、2013年からアドバイザリー顧問契約を結んで頂いていました。それまでも「音のいい配信」とか「高画質の配信」など、エンタメ系に振った使い方をしたいと申し上げてきたのだけれど、結構いいところまで企画は作ってきても、「課金の部分が難しい」などの壁が立ちはだかっていました。それでも、良い音のエンコーダー開発などの基礎開発はすでに終わっていて、あとはクラウドフロントで、いい音で配信できるクラウド側の設定と調整のプログラミングが完成すれば、それができるところまで来ていた。
2019年の10月頃から「来年こそこれをやりたいね」と言い始めていました。そこにコロナ禍がやってきた。だとしたら、ここで勝負をかけるしかないということで、エムスラを「やる」ことになりました。
■なぜマネタイズできないのか。それは「音楽を流すために作られていない」から
谷田:実際、ライブエンターテイメントの世界に身を置いてみて、配信ビジネスがなぜマネタイズできない理由、しっかりとしたクオリティ保持ができない理由は何なのだろうかと考えたときに、結論は「音楽を配信するために生まれたメディアで配信ができていない」ことに問題があると思いました。
たとえば、YouTubeの場合は、広告ビジネスがメインで、いろいろなコンテンツを流すために多目的用途で作られた配信プラットフォームに、たまたま音楽を流している。それに対してエムスラは初めから音楽を流すために作られたプラットフォームで、そもそものベースが違う。なぜ世の中の配信はこんなに音が悪いのか。それは音楽を配信するためのメディアではないからです。だから私たちが作った。考え方は実にシンプルなんです。
─── たとえて言えば、「コンパクトディスク(CD)やアナログレコード」のように、音楽を容れるための器を配信用に作ったというわけですね。
谷田:そのとおりです。もちろんミュージシャンは音にこだわってライブを作っている。私たちは、多くの音楽を高音質配信で届けてほしいという人に届けたいし、「MUSIC/SLASH」という名前が表しているように、ひと区切りをつけたかった。スラッシュ(SLASH)は区切りという意味で、いままでの音楽配信と、ここからの配信は違う。音楽配信をここから変えますという意味です。
谷田:お聴きになったオーディオファンは絶対にわかるはずです。こだわりがこだわりを生む。こだわりがこだわりを引き寄せてくるのです。
そのために「384kbpsというスペックはどうなのか」という議論を繰り返してきました。256kbps以上は飽和していて、聴き取ることができないという意見もあります。なんども私たちは256kpsも384kpsも聴き比べてきましたが、何かが違う。それが何かはわからないけれど確実に違う。個人的には、たとえばノイズがあると思います。デジタルが間引いているノイズには、音の輪郭を膨らませる要素が入っていて、そこまで拾えるビットレートを確保しているかどうかが重要なのです。
最高の会場で、最高のスピーカーを使って、最高の音で聴けるとは限らない。そこにはエンジニアリングが必要で、そのエンジニアリングが介在する余地をしっかりと与えて、いい音で配信するためにどんどん介在してもらって、みんなと一緒に工夫して作れば、いい音になるのは当たり前です。そんなことをMUSIC/SLASHはしたかっただけなのです。
■ネットの世界の人たちが決めたルールは、過去の教訓を生かしきれていない。
─── まるでオーディオのデジタル化の歴史の繰り返しを見ているようです。1980年にCDが登場した当時、ソニーやフィリップスは、人間の耳には20kHz以上は聴こえないと説明していました。以来、数字では割り切れない音の議論が延々と繰り返されてきました。
谷田:まさしくソニーとフィリップスの話です。私が今回384kbpsと決断づけた理由のひとつです。人間はひとつの環境に馴れてしまうと、そのものがそれ以上の価値があることを疑わなくなる。でもそこにこそ答えがあると、過去の人は言っている。いまの配信業界においては、ネットの世界の人たちが決めたルールの中でやっているので、音楽の人たちが思っていた過去の教訓を生かしきれていないのではないでしょうか。
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