ストリンガーCEOを始め多数の参列者が集う
ソニー、大賀典雄相談役を偲ぶ「お別れの会」を開催
ソニー(株)、ソニーグループの会長、社長を歴任し、同社の発展に多大に寄与したソニー相談役の大賀典雄氏の生前を偲ぶ「お別れの会」が、東京・上野の東京文化会館で6月23日15時からしめやかに執り行われた。
ソニー会長兼CEOのハワード・ストリンガー氏が葬儀委員長を務め、会には同社関係者や業界関係者、音楽関係者などが参列。お別れの会は、生前に音楽を深く愛してきた大賀氏を偲び音楽葬の形で実施。故人が館長を務めてきた「東京文化会館」を会場に、故人が理事長を務めた「東京フィルハーモニー交響楽団」に加えて、ソニーフィルハーモニック合唱団やサントリーホール館長、桐朋学園大学学長でチェリストの堤剛氏が献奏を行った。
会は大友直人氏指揮東京フィルハーモニー交響楽団にようベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」第2楽章の献奏で始まり、参列者全員による黙祷の後、モーツアルト:レクイエムより「ディエス・イレ」、「ラクリモサ」の献奏、故人を偲ぶ映像が流された後、堤剛氏がバッハ:無伴奏チェロ組曲第6番サラバンドを献奏。
続いて、ハワード・ストリンガー氏が「ソニーを心から愛していた大賀さんは、技術とともにデザインやマーケティングのコンビネーションでお客様の琴線に触れる伝説的な商品を多数生み出し、ソニーを偉大な成功に導き、世界でも尊敬される燦たるブランドに育て上げた。さらにソニーにとってだけでなく、MADE IN JAPANの地位を飛躍的に高めることにも貢献した。その思いと与えられた薫陶を心に刻み、今後の指針としていきたい」と式辞を述べた。
次に、みずほフィナンシャルグループ名誉顧問の橋本徹氏の弔辞では、「昭和29年戸隠高原で行われた全国高校生キャンプに参加したおり、当時、東京藝術大学の学生であった大賀さんにキャンプファイアーの歌の指導を受けたのが出会いの始まりだった。その時に、歌の指導の素晴らしさだけでなく、リーダーシップとしての迫力に強い感銘を受けた。その後、音信が途絶えていたが、1982年にソニーの社長に就任されたとの新聞の記事を見てすぐにあの大賀さんだと分かり、あらためて交流が始まった」と故人を偲んだ。
また、橋本氏の周囲が心配する中、大賀氏の操縦するジェット機でシンガポールからクアラルンプールまで移動したことや、ソニーという世界的な企業の経営者として世界を飛び回る一方で、音楽と深くかかわってきたことについてのエピソードなどを披露した。
橋本徹氏の弔辞の後、再び、大友直人氏指揮・東京フィルハーモニー交響楽団がヨハン・シュトラウス2世:「こうもり」序曲、ベートーヴェン:交響曲第7番第2楽章を献奏した。
遺族を代表してあいさつした大賀氏の長男である大賀昭雄氏は、人生を徹底的に楽しんだ一方で50歳前後から怪我や病魔と闘い続けてきた毎日であった大賀典雄氏の後半生を振り返った。
1979年(当時、49歳)にヘリコプターの墜落事故による背骨を骨折したこと、1989年にカラヤン氏の自宅を訪問した折りに突然、目の前でカラヤン氏が亡くなったこと、また、その2日後、大賀典雄氏自身も心臓発作で入院したこと、中国の北京でオーケストラを指揮していた時にくも膜下出血で倒れた際に、現地の病院で応急処置を受けたのち、意識不明のまま日本に搬送され、奇跡的に回復したことなどを紹介しながら、下記のように述べた。
「しかし、そのたびに父は奇跡的な回復力を発揮してきた。昨年の大みそかにベッドから落ちて骨折し、体力や抵抗力が落ちているところにインフルエンザに冒され、2月4日に救急車で病院に運ばれた。お見舞いに来ていただいた方々に今回も必ず蘇るとおっしゃっていただき、私たちも奇跡が起き、回復して欲しいと神様に祈っていたが、残念ながら日々、意識がなくなり、4月23日午前9時14分、とうとう力尽き、ともしびが消えるように安らかな眠りについた」。
「父は、1999年、半世紀に渡りお側に付いた盛田昭夫氏の葬儀で、『我々残された者は、井深さん、盛田さんが築いた大きな夢と精神を受け継ぎ、21世紀もソニーはより輝いた素晴らしい会社に育てますことをお誓い申し上げた』と弔辞で述べている。約束通り、父は天国で井深さん、盛田さんに会って、21世紀もソニーは大勢の人に世界中で愛されていますよと報告していることだろう」。
「また、81歳と3カ月という同じ人生を過ごしたことになるカラヤン氏と音楽の話をしたり、最新の飛行機についてきっと世界地図を片手に楽しく語り合っているのではないだろうか。生前、父は『私はやりたいことはすべてできた。人生には悔いはない。だから、死んでも悲しむな』とよく言っていた。幸せな人生を送ることができた父だと思う。これは、今日、ご列席の大勢の皆様、また、内外にいらっしゃる大勢のお友達の皆様のおかげだと感謝しております」。
遺族代表のあいさつの後、シューベルト:交響曲第8番「未完成」第2楽章が流れる中、ソニー幹部、ご遺族代表らの特別献花が行われたのち、式の最後に大賀典雄氏自身が自分の葬儀での最後の曲にと希望していたシューベルト:「ロザムンデ」間奏曲第3番が大友直人指揮の東京フィルハーモニー交響楽団によって献奏された。
ソニー会長兼CEOのハワード・ストリンガー氏が葬儀委員長を務め、会には同社関係者や業界関係者、音楽関係者などが参列。お別れの会は、生前に音楽を深く愛してきた大賀氏を偲び音楽葬の形で実施。故人が館長を務めてきた「東京文化会館」を会場に、故人が理事長を務めた「東京フィルハーモニー交響楽団」に加えて、ソニーフィルハーモニック合唱団やサントリーホール館長、桐朋学園大学学長でチェリストの堤剛氏が献奏を行った。
会は大友直人氏指揮東京フィルハーモニー交響楽団にようベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」第2楽章の献奏で始まり、参列者全員による黙祷の後、モーツアルト:レクイエムより「ディエス・イレ」、「ラクリモサ」の献奏、故人を偲ぶ映像が流された後、堤剛氏がバッハ:無伴奏チェロ組曲第6番サラバンドを献奏。
続いて、ハワード・ストリンガー氏が「ソニーを心から愛していた大賀さんは、技術とともにデザインやマーケティングのコンビネーションでお客様の琴線に触れる伝説的な商品を多数生み出し、ソニーを偉大な成功に導き、世界でも尊敬される燦たるブランドに育て上げた。さらにソニーにとってだけでなく、MADE IN JAPANの地位を飛躍的に高めることにも貢献した。その思いと与えられた薫陶を心に刻み、今後の指針としていきたい」と式辞を述べた。
次に、みずほフィナンシャルグループ名誉顧問の橋本徹氏の弔辞では、「昭和29年戸隠高原で行われた全国高校生キャンプに参加したおり、当時、東京藝術大学の学生であった大賀さんにキャンプファイアーの歌の指導を受けたのが出会いの始まりだった。その時に、歌の指導の素晴らしさだけでなく、リーダーシップとしての迫力に強い感銘を受けた。その後、音信が途絶えていたが、1982年にソニーの社長に就任されたとの新聞の記事を見てすぐにあの大賀さんだと分かり、あらためて交流が始まった」と故人を偲んだ。
また、橋本氏の周囲が心配する中、大賀氏の操縦するジェット機でシンガポールからクアラルンプールまで移動したことや、ソニーという世界的な企業の経営者として世界を飛び回る一方で、音楽と深くかかわってきたことについてのエピソードなどを披露した。
橋本徹氏の弔辞の後、再び、大友直人氏指揮・東京フィルハーモニー交響楽団がヨハン・シュトラウス2世:「こうもり」序曲、ベートーヴェン:交響曲第7番第2楽章を献奏した。
遺族を代表してあいさつした大賀氏の長男である大賀昭雄氏は、人生を徹底的に楽しんだ一方で50歳前後から怪我や病魔と闘い続けてきた毎日であった大賀典雄氏の後半生を振り返った。
1979年(当時、49歳)にヘリコプターの墜落事故による背骨を骨折したこと、1989年にカラヤン氏の自宅を訪問した折りに突然、目の前でカラヤン氏が亡くなったこと、また、その2日後、大賀典雄氏自身も心臓発作で入院したこと、中国の北京でオーケストラを指揮していた時にくも膜下出血で倒れた際に、現地の病院で応急処置を受けたのち、意識不明のまま日本に搬送され、奇跡的に回復したことなどを紹介しながら、下記のように述べた。
「しかし、そのたびに父は奇跡的な回復力を発揮してきた。昨年の大みそかにベッドから落ちて骨折し、体力や抵抗力が落ちているところにインフルエンザに冒され、2月4日に救急車で病院に運ばれた。お見舞いに来ていただいた方々に今回も必ず蘇るとおっしゃっていただき、私たちも奇跡が起き、回復して欲しいと神様に祈っていたが、残念ながら日々、意識がなくなり、4月23日午前9時14分、とうとう力尽き、ともしびが消えるように安らかな眠りについた」。
「父は、1999年、半世紀に渡りお側に付いた盛田昭夫氏の葬儀で、『我々残された者は、井深さん、盛田さんが築いた大きな夢と精神を受け継ぎ、21世紀もソニーはより輝いた素晴らしい会社に育てますことをお誓い申し上げた』と弔辞で述べている。約束通り、父は天国で井深さん、盛田さんに会って、21世紀もソニーは大勢の人に世界中で愛されていますよと報告していることだろう」。
「また、81歳と3カ月という同じ人生を過ごしたことになるカラヤン氏と音楽の話をしたり、最新の飛行機についてきっと世界地図を片手に楽しく語り合っているのではないだろうか。生前、父は『私はやりたいことはすべてできた。人生には悔いはない。だから、死んでも悲しむな』とよく言っていた。幸せな人生を送ることができた父だと思う。これは、今日、ご列席の大勢の皆様、また、内外にいらっしゃる大勢のお友達の皆様のおかげだと感謝しております」。
遺族代表のあいさつの後、シューベルト:交響曲第8番「未完成」第2楽章が流れる中、ソニー幹部、ご遺族代表らの特別献花が行われたのち、式の最後に大賀典雄氏自身が自分の葬儀での最後の曲にと希望していたシューベルト:「ロザムンデ」間奏曲第3番が大友直人指揮の東京フィルハーモニー交響楽団によって献奏された。