ECLIPSE TD 10周年特別企画
ネットオーディオ時代にひときわ輝く“原音再生” − 「ECLIPSE TDシリーズ」これまでの10年、これからの10年
■「ECLIPSE TD」シリーズのこれから
ECLIPSE TDシリーズが登場してからの十年で音楽のリスニングスタイルは大きく変わった。音楽配信の世界的な普及である。
そして、オーディオも今変化の真っ只中にある。パッケージメディアは国境を越えた楽曲の安定した流通と普及をもたらしたが、その反面、一定のフォーマットに縛られるという音楽鑑賞の<悪平等>をも生んだ。
再生機器が高度で多彩な発達を遂げた現代である。簡便で合理的な形式で聴きたい人もいるだろうし、演奏会場に居合わせているかのような情報量とリアリズムを求める人もいる。
音楽配信は音楽が本来持たない物性から解放されデジタルデータになった。ラジオやSPといったメディアが出現する以前、音楽が楽譜出版という一種の視覚記号によって普及したことを考えると、ある意味先祖返りと言っても良いだろう。
これは音楽配信のプラグマティックな側面だが、クオリティという側面ではCDを超えるハイサンプリングを掌中にした。ハイサンプリングはダイナミックレンジと解像感、帯域の拡張をもたらすが、実際にハイサンプリング音源を聴いて私たちが打たれるのは、レンジ感よりむしろ演奏会場の音場感や演奏者や楽器の実在感なのである。
これは、再生機器の変革による部分が大きい。CDプレーヤーはディスクをサーボをかけながら高速回転させている。こういった内部のメカニズムの動作による機械振動や電源変動が、ジッターと歪みの原因となる。CDにしばしば感じられる音が突っ張った印象は、再生周波数の限界に加え歪みとジッターが原因である。
音楽配信/リッピング再生はこの桎梏から脱した。だから、ハイサンプリング音楽データは演奏を目の前にしているような空気感、実在感が味わえる。機械的要因と音への付加要素が減ることで、演奏本来の姿を取り戻す、これはまさに先章で紹介したECLIPSE TDシリーズスピーカーの発想の原点<音の付加要素をなくす>であり、不動のコンセプト<スピーカーが消える>そのものではないか。
ECLIPSE TDシリーズが、音楽配信とハイサンプリングの出現を2001年に予見していたというのは言い過ぎかもしれないが、ECLIPSE TDシリーズのコンセプトが、当初からいまの高品位音声配信にも対応できる懐の深さを持っていたことは確かだ。
先にふれた2004年のサイトウキネン・オーケストラの公開中継は、まさに大規模なパブリック形式での高品位音楽配信の試みであった。その再生スピーカーシステムの大役を、並居る大型の名機でなく、登場して間もない「TD712z」が担った事実は暗示的で、決して偶然ではないのである。
エンドユーザーにとって幸いなことに、ECLIPSE TDシリーズはコンパクトな6.5cmドライバーの「TD307II」から中核ラインの「TD508II」「TD510」、そしてモニターグレードの「TD712zMK2」まで、サイズとグレードの選択肢が多い。
省スペース性という点ではどれも優れているが、デジタル音楽データを高品位に再生する点で、小型機を使ってインテリアを音楽が息づく快適空間に変えて楽しむこともできるし、大型機を使って音場表現をシビアに追求することもできる。まさに、音楽配信時代に適したスピーカーシステムといえるだろう。
最後に、ECLIPSE TDシリーズの次の10年を望見してみよう。TDコンセプトの展開という点で、従来のシングルドライバー・コンセプトは堅守しつつさらに発展してもらいたいが、マルチウェイへの進展も期待したい。
再生帯域を分割、独立した複数のエンクロージャーに各ドライバーを収め、高性能な外部デジタルネットワークでシステム化する。あるいは、クラスDのマルチチャンエルパワーアンプとデジタルチャンネルデバイダーを一体化したインターフェースユニットでドライブするマルチウェイのECLIPSE TDシリーズ。こういったものを想像するとワクワクするではないか。
ECLIPSE TDシリーズ最初の10年は終わった。その大きな声価ゆえ、序章と呼ぶのはためらわれる気もするが、ECLIPSE TDシリーズが生を受けた<本当の使命>が達成されるのは、実はこれからの10年なのである。
(大橋伸太郎)