「イエスタデイ」を聴くだけでも価値がある
『ザ・ビートルズ 1』2015年版は何が変わったのか? 新リミックスされた全27曲を徹底解説
このプロジェクトの背景に、ザ・ビートルズのステレオ音源が現代の高音質再生でしばしば違和感を拭えないことが挙げられる。ザ・ビートルズの英国オリジナルLPはデビュー作「プリーズ・プリーズ・ミー」から「イエロー・サブマリン」までモノラル/ステレオ両方で発売された。「アビイ・ロード」と「レット・イット・ビー」はステレオのみの発売。
一方、英国でのシングルは「ジョンとヨーコのバラード」が初のステレオで、それ以前はモノラル。米国キャピトルは初期から独自のステレオ方式でリリースした。
最も信頼に足るビートルズのレコーディング資料『ザ・ビートルズ全記録』(マーク・ルイソン著)を閲覧すると、アルバムの録音が完了すると毎回、プロデューサーのジョージ・マーティンとザ・ビートルズのメンバーの立ち会いのもと、二、三日を費やして最初にモノラルミックスを作り、OKになるとその後マーティンの単独作業でステレオミックスをササッと仕上げていたことが分かる。つまりモノラルミックスが圧倒的に本流で、ステレオミックスはモノラルをベースに演出効果を狙った「二番手」であったのだ。
これは時間の経過でステレオ再生装置が世界的に普及し、ステレオの録音・再生効果が認識されるにつれて徐々に変わっていくが、前半のレコーディングで作為的なステレオ演出を生み出すことになった。
初期のザ・ビートルズのステレオ録音で最も多い定型は、リンゴのドラムスが左チャンネル、ジョージのリードギターが右、ここまではいいが、2トラック(3台のテープレコーダーでパラレル録音)、4トラック録音では、リズム楽器でワントラック、ボーカル中心にワントラック、バンドサウンドでワントラックというような録り方だったので、ベースが左で、それを弾いているはずのポールのボーカルがセンターなど、変な定位になっていた。2009年のリマスターでは、これはいじらなかった。
しかし今回はリマスターでなくリミックスである。「聖書の再解釈」ではないが、バンドサウンド本来の姿が現れるのではないかという期待とも不安ともつかないものを掻き立てる、今回の『ザ・ビートルズ 1』である。
筆者の手元にサンプル音源が届いたのは10月29日のこと。震える手で音源をMacBook ProからUSB経由でヤマハ「CD-S3000」のDAC部に入力した。
まず純粋な音質の比較から。2009年版『ザ・ビートルズ 1』(2011年発売)と比較した場合、2009年版は他のリマスター同様、従来比で低音の量感が増しノイズが減り、くっきりした輪郭の鮮明で聞きやすい音質だ。だがこれには不満があり、コーラスを始めとした高域の歪みが改善されていなかったのだ。それが今回のリミックス版(以後2015年版)では高域の歪みが消え、分解能が向上し、自然で濁りのない音質に変わった。
2009年版も低音描写がクリアに明瞭化したが、今回はベース、ドラム等低音楽器の音圧が一気に高まった。音量だけでない。音圧のムラがなく音程がつねに鮮明に聴き取れる。楽器の配置や定位についてはこの後の曲毎の各論に詳しく書くが、弦楽セクションやオーケストラ、効果音の音質、ステレオフォニックな広がりが大幅に向上し、音場が豊かに広がる。ソロボーカルの生々しさ、アコギの質感が大幅に向上し、まるでマイク越しに録音に立ち会っているかのようだ。なかでも白眉は「イエスタデイ」だ。
またアルバム初出時の、あまりに実験的なステレオミックスを、今回オーソドックスで端正なバランスに直した曲がある。それが「エリナー・リグビー」。従来はポールのリードボーカルが右、センターにデンと位置するのが弦楽四重奏(正しくは八重奏)。弦楽の厳粛かつ重厚な響きで曲の悲劇性を強調しているわけだが、このレイアウトはやはり不自然。今回の2015年版では、ポールの歌が背後に弦楽セクションを従える端正なバランスに改められた。
こう書くと良いこと尽くめのようだが、旧盤あるいは聴き馴染んだLPと比べ違和感を覚えたトラックもあった。例えば、「愛こそはすべて(オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ)」。1960年代を代表するメッセージソングである。放送衛星運用開始を記念した国際共同番組のイギリス代表でビートルズが出演・披露した新曲で、ロックスター総出演のサブカル讃歌、英国のお堅いイメージを覆す、ある種のパンクである。ポールのベースが不自然に強調されている。ロックベースの天才的改革者ポールだが、ここでの仕事は平凡。お祭り気分が後退してしまった。
というわけで長年のビートルズファンとしてはすべてが最高というわけに行かないが、音質の飛躍的向上を歓迎したい。続いて、全曲解説をお届けしよう。