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[連載]高橋敦のオーディオ絶対領域

【第140回】CayinのDAP兄弟「N6/N5」を聴く。天才肌な兄と秀才の弟、どっちが好み?

公開日 2015/12/21 12:38 高橋 敦
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■N6とN5の音質チェック!

では実際に聴いてみると…N6!完!全!挽!回!

しかしN5も機能との合わせ技含めて、また別の魅力がある。

▼N6驚異の粒子感!だが人も曲も選ぶ!

まずN6の方は、僕が聴いたことのあるポータブルプレーヤーの中でもその粒子感の豊かさは屈指のものだ。この「粒子感」という表現にはいくつかのニュアンスを込めている。

ひとつはいわゆる「響き」の豊かさ。音の響きなど微細な成分までが漏らさず描き込まれており、そういった微細な響きや気配が漂うことで空気感や空間性といったものが高まっている。その響きや気配を指しての「粒子」だ。

もうひとつはさらに微妙な表現なのだが、印象として「デジタル的な解像感ではなくアナログ的な粒子感」といったように感じるということ。例えば前述の空間を漂う気配のひとつひとつが、カチッと精密でスクウェアな音ではなく、心地よい曖昧さの光点のようなものとして届いてくる。楽器の音もカチッとしたパーツの組み合わせではなく、柔らかな粒子を手ごねして作られているかのような感触だ。わかりやすいように表現をちょっと大袈裟にしてはいるが…。

花澤香菜さん「こきゅうとす」との相性は抜群によい。この曲は気配に満ちた音作りだからだ。森、渓流、湖畔。そういった場所に優しい朝もやがかかっているような、その美しいぼやけをN6は見事に描き出してくれる。それを背景としつつそれぞれの楽器も、無駄にくっきりとした主張はせずしかし背景に不明瞭に埋もれることもなく、音楽の一部としての適当な存在感、それぞれの楽器として好ましいしなやかにほぐれた音色で躍動する。

音色においての粒子感はハイハットシンバル、そして声において顕著だ。ハイハットは一打ごとにその打点から金色の粒子がふわっと飛び散るかのよう。儚げに凛とした声の、その息の成分の粒子も実に繊細だ。

ただしその柔らかく豊かな粒子感が音源に合わなかったりリスナーの好みにそぐわない場合も当然ある。例えば喜多村英梨さん「掌 -show-」のようなハイスピード&高密度メタリックなアレンジ&サウンドの曲。ディストーションギターのシャープであったりジリジリしていたりするエッジ感はこのプレーヤーだと表現しにくい(ただしピッキングハーモニクス奏法のピギュワーッ!という伸びやかさには、高域の綺麗さと粒子の豊かさを発揮する)。空間を気配で満たすことで音の隙間が埋まりすっきりとした解像感も薄れるので、音を詰め込んだ高密度アレンジとの相性もいまひとつだ。

…つまり、このN6。操作性などの要素には残念な部分も多い「音質一点突破」プレーヤーである上に、音質も「『誰がどんな曲を聴いても安定していい音』…ではない、人も曲も選ぶ個性派プレーヤー!」なのだ。こ…こいつ…ハードル高いぞ!

次ページ続いて真っ当な人生を生きる弟、N5の音質をチェック

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