「ブートレッグ・シリーズ」の第15作
ディランはやっぱり怪物だった。「はるかに出来のいい」テイクを収録した3枚組LP『トラヴェリン・スルー』
ノーベル文学賞受賞後初となる来日公演が2020年4月に決まったのも大きな話題になっているボブ・ディランだが、発掘音源のリリースが止まらない。
今年は6月に、すっかりおなじみになった「ブートレッグ・シリーズ」には含まれないライヴ音源14枚組CDボックス『ローリング・サンダー・レヴュー 1975年の記録』がリリースになったから、76年まで続いた歴史的なツアーの後半が続くのかと思っていたら、そうではなくて、「ブートレッグ・シリーズ」の15作目が登場となったのだ。
伝説になっていたライヴ音源や、レコーディング・セッションをドキュメントしたアウトテイク集などを、ランダムに、聴けるかぎり商品化してきた「ブートレッグ・シリーズ」は、 “謎に包まれた男” として知られるディランの “真の姿” を伝えるものとして、「へたなオリジナル・アルバム以上に重要」と評されるようになっているが、第15弾『トラヴェリン・スルー』は、1967年から70年にかけてのさまざまな未発表音源で構成されたもので、またも素晴らしい内容になった。
今回はCDもLPも3枚組。アナログ盤の復権を意識したのか、LPの箱も簡素で、価格が抑えられている。「ブートレッグ・シリーズ」のアナログ盤は収録曲が膨大だとダイジェスト版になることが多かったから、LPを購入するだけで全部聴けるのは嬉しいかぎり。簡素とは言え、ボックスのデザインは気が利いているし、資料性の高いブックレットも文句なしである。これまでは箱が重厚すぎて開けるのも面倒なほどだったから、このぐらいの方がかえって好ましい。
■数々のミュージシャンに影響を与えたディランの “前向きなルーツ回帰”
66年7月のバイク事故をきっかけに隠遁生活を余儀なくされたディランは、67年春からウッドストックの “ビッグ・ピンク” で、のちに『ベースメント・テープス』として陽の目を見る大量のデモ録音を、ザ・バンドの面々と行った。しかし、同年10月、11月にナッシュヴィルで行われた新作のレコーディングにはザ・バンドを帯同せず、チャーリー・マッコイやケネス・バトレイといった当地のスタジオ・ミュージシャンを起用して、フォークに回帰した『ジョン・ウェズリー・ハーディング』を12月27日にリリースする。
サイケデリック・ロックが音楽シーンを席巻している最中に出たこのアルバムは、 “最先端のロック” を感じさせたザ・バンドとの66年前半のツアーの “つづき” を期待していた多くのファンに肩透かしをくらわすものだったが、サイケデリック・ロックに飽きていたローリング・ストーンズなどはディランの行動を “前向きなルーツ回帰” と捉え、『ベガーズ・バンケット』と『レット・イット・ブリード』で、ブルース、カントリーやアメリカ南部のR&Bに根ざしたロックを完成させていくことになるのだ。
68年夏にはディランのもとから巣立つ形でザ・バンドがデビュー。『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』と名付けられた彼らのファースト・アルバムは、カントリー・ロックやスワンプ・ロックを世界に広めることになり、ビートルズやエリック・クラプトンにも多大な影響を与えることになった。
今年は6月に、すっかりおなじみになった「ブートレッグ・シリーズ」には含まれないライヴ音源14枚組CDボックス『ローリング・サンダー・レヴュー 1975年の記録』がリリースになったから、76年まで続いた歴史的なツアーの後半が続くのかと思っていたら、そうではなくて、「ブートレッグ・シリーズ」の15作目が登場となったのだ。
伝説になっていたライヴ音源や、レコーディング・セッションをドキュメントしたアウトテイク集などを、ランダムに、聴けるかぎり商品化してきた「ブートレッグ・シリーズ」は、 “謎に包まれた男” として知られるディランの “真の姿” を伝えるものとして、「へたなオリジナル・アルバム以上に重要」と評されるようになっているが、第15弾『トラヴェリン・スルー』は、1967年から70年にかけてのさまざまな未発表音源で構成されたもので、またも素晴らしい内容になった。
今回はCDもLPも3枚組。アナログ盤の復権を意識したのか、LPの箱も簡素で、価格が抑えられている。「ブートレッグ・シリーズ」のアナログ盤は収録曲が膨大だとダイジェスト版になることが多かったから、LPを購入するだけで全部聴けるのは嬉しいかぎり。簡素とは言え、ボックスのデザインは気が利いているし、資料性の高いブックレットも文句なしである。これまでは箱が重厚すぎて開けるのも面倒なほどだったから、このぐらいの方がかえって好ましい。
■数々のミュージシャンに影響を与えたディランの “前向きなルーツ回帰”
66年7月のバイク事故をきっかけに隠遁生活を余儀なくされたディランは、67年春からウッドストックの “ビッグ・ピンク” で、のちに『ベースメント・テープス』として陽の目を見る大量のデモ録音を、ザ・バンドの面々と行った。しかし、同年10月、11月にナッシュヴィルで行われた新作のレコーディングにはザ・バンドを帯同せず、チャーリー・マッコイやケネス・バトレイといった当地のスタジオ・ミュージシャンを起用して、フォークに回帰した『ジョン・ウェズリー・ハーディング』を12月27日にリリースする。
サイケデリック・ロックが音楽シーンを席巻している最中に出たこのアルバムは、 “最先端のロック” を感じさせたザ・バンドとの66年前半のツアーの “つづき” を期待していた多くのファンに肩透かしをくらわすものだったが、サイケデリック・ロックに飽きていたローリング・ストーンズなどはディランの行動を “前向きなルーツ回帰” と捉え、『ベガーズ・バンケット』と『レット・イット・ブリード』で、ブルース、カントリーやアメリカ南部のR&Bに根ざしたロックを完成させていくことになるのだ。
68年夏にはディランのもとから巣立つ形でザ・バンドがデビュー。『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』と名付けられた彼らのファースト・アルバムは、カントリー・ロックやスワンプ・ロックを世界に広めることになり、ビートルズやエリック・クラプトンにも多大な影響を与えることになった。