最新リマスターから探るビートルズの真実
『レット・イット・ビー』の終わらない旅 -52年目の〈ゲット・バック・セッション〉-
第3章 スペクターの名人芸が浮かび上がる最新リマスター
■オリジナル発売から51年を経て登場したスペシャル・エディション
この度発売となったスペシャル・エディションは複数のパッケージが用意されているが、最も充実したスーパー・デラックスには『レット・イット・ビー』正規版リマスターを中核としたDISC1、セッションのアウトテイク集DISC2/3、そしてグリン・ジョンズ版DISC4、シングルモノラルバージョンとDISC4を補完する2曲をコンパクトに収めたDISC5、そして正規版の音源をハイレゾとサラウンド(ドルビー・アトモス)でリミックスしたブルーレイディスクが収められている。なお、同時にアナログLPも発売される。
ユニバーサルミュージックのご厚意で発売前にお預かりしたストリーミング音源で2021年リマスター効果と、盛り沢山の公式初出音源の聴きどころを順次紹介していこう。
■DISC1 スペクター正規版『レット・イット・ビー』最新リマスター
「トゥー・オブ・アス」
ジョンズ版で地味な背景曲だったこの曲は元々スペクターの職人仕事の典型例だが、今回のリマスターでリンゴのドラムの打撃が量感と切れを増し鼓面の波動が聴き手に押し寄せる。定位も改善。「俺たち、ずっと相棒じゃないか」とポールが中央で呼びかけジョンが右に寄り添ってハーモニーを付ける姿が目に浮かんで感動を呼ぶ。
「ディグ・ア・ポニー」
ジョンの歌詞は50年経った今もワケが分からない。ビートルズ流レイドバックを「ドント・レット・ミー・ダウン」と共に代表する曲。コンプレッションを上手く効かせ、LP時代に聴けなかった金属質な太い芯を感じさせる音に生まれ変わった。思えば、ビートルズはヘビーメタルの源流であった。モノラル的な音場で、アキュフェーズのプリアンプ「C-2850」のモノラルスイッチのオンオフであまり変化がない。アルバム全曲のモノミックスが欲しかった。
「アクロス・ザ・ユニヴァース」
シンプルなバラードがスペクターのウォール・オブ・サウンド導入でドラマティックに生まれ変わったのだが、後で登場する「ザ・ロング・アンド…」のような水と油的違和感、過剰感を感じないのは、ジョンのフィルへの信頼とフィルのジョンへの尊敬が根底に感じられるからでしょう。オーケストラアレンジと指揮は、ブライアン・ロジャーズ、コーラスアレンジはジョン・バーム。リマスターでウォール・オブ・サウンド効果が際立ちモノラルに近い音場だが、オケとコーラスの厚みと広がりが格段に向上した。
「アイ・ミー・マイン」
「この何年か、アンタときたら、俺が、俺を、俺の曲だ!と威張ってばかり。まったく、泣けてくるぜ」ジョージのポールへの愚痴を綴った、ザ・ビートルズ(ただし、ジョンを除く3人)最後のレコーディング曲(1970年1月3日)。当然8トラック録音。LP時代からアルバム中最もステレオ効果が鮮明なトラックで、ジョージのエレキギターと嵐のごときビリー・プレストンのオルガンの対比がアレンジとサウンドの中心だが、S/Nとダイナミックレンジが向上しドラマティックな聴き応え十分。
「ディグ・イット」
ジョンの野太いシャウトとプレストンのオルガンが混然となったモコモコした音塊の量感を楽しむロックンロールだが、意外にステレオ/モノの切り替え効果が大きい。
「レット・イット・ビー」
スペクター流サウンドマジックが発揮されたトラック。ジョンズの選んだテイクをベースにポールのボーカルのリフを増やし、リンゴのドラムスをオーバーダビングし、ジョージのワイルドなギターソロを入れ直し、さらに背景にブラスセクションをフィーチャーし素朴なゴスペル曲が華美なヘビーロックに生まれ変わっただが、今回のリマスターで音空間が拡張されてポールのボーカルと演奏のバランスがよくなり、窮屈さ、やかましさが大きく改善された。「レット・イット・ビー」は、シングルのモノラルバージョンに限る、と思っていた方も一聴の価値がある。
「マギー・メイ」
セパレーションとS/Nの改善でLchのジョン、Rchのポールの歌声の声質さが鮮鋭化して、バンドの初心に戻ってトラディショナルナンバーをデュオする旧友二人が楽しく目に浮かぶ。
「アイヴ・ガッタ・ア・フィーリング」
前作『ザ・ビートルズ』で聴けなかった、ジョンとポールの共作、デュエット、掛け合いがアルバムの一つのテーマであり、それが最もドラマティックに発揮されたのがこの曲.ジョンズ版で完奏されなかったこの曲をLP時代のB面一曲目に持ってきたのもスペクターの慧眼。コンプレッション効果とダイナミックレンジ改善でこの時期のザ・ビートルズの重心の下がったドロドロしたヘビーなバンドの音圧を今度こそ存分に受け止めることができる。
「ワン・アフター・909」
リマスターでもステレオ分離効果が控え目だが、楽器の分離は鮮明。5人の奏者(ひとりはビリー・プレストン)が肩を寄せ合うようにコンパクトにひしめいて演奏する音場描写に、彼等が毎夕演奏したキャバーンクラブの夜毎の熱いステージが蘇る。
「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」
スペクター版「レット・イット・ビー」を象徴する曲。ゴージャスなオーケストラアレンジはリチャード・ラーソン。背景のバンドサウンドと水と油で演奏テンポを無理して合わせているので当初は落ち着かない過剰な風味だったが、50年の歳月を経て熟成され、リマスターのS/Nの改善とリミックスで透明感が生まれ、聴き手に染み渡る素直な飲み味のヴィンテージワイン。しかし、オケの厚い音圧の向こうのバンドサウンド、オーケストラやコーラスのパートが浮かび上がる立体感はDISC5のハイレゾが聴き物。
「フォー・ユー・ブルー」
ジョージの隠れた人気曲。クラプトンらを引き連れた日本公演で演奏しなかったのが残念だが、この時期の自分の曲によい思い出がないのかもね。LPで最もステレオ分離効果が強調されていた曲。今回のリマスターは左右の楽器のコントラストがやや控え目に抑えられ、グルーヴィな一体感が重視されている。
「ゲット・バック」
ヨーコとの恋にうつつを抜かして心ここにあらずのジョンにバンドに帰れ、と呼びかけつつ、メンバー全員でロックンロールバンドの初心に返ろうと呼びかけたメッセージソング。アルバムを棚上げして1969年4月に先行発売されたシングルはモノラルだったので、スペクター版にはステレオバージョンで聴き直す新鮮さがあったのだが、今回のリマスターはS/Nの向上でビリーのエレピ、ジョージのギターがLchにジョンのリズムギターがRch寄りに分離して、中央に揺るぎないリズムを刻むリンゴのドラムスがどっしりと定位、50年のベールが消えて、純粋なロックロールバンド、ザ・ビートルズが姿をついに現し、数奇な運命を辿った問題作に真の古典の風格。
51年を経たスペクター正規版『レット・イット・ビー』は、リマスターでS/Nと解像度が格段に上がり、スペクターの職人芸の見事さが浮かび上がってくる。元来のスペクター版は、ジョンズ版の音のマス感を重視したモノラル的なミックスと、多くのベーストラックで追加録音した「アイ・ミー・マイン」等の8トラック録音を駆使したステレオミックスとの不整合感によってアルバムの完成度を下げていたが、リマスターは音場の見通しがよくなり、適度なコンプレッション効果でアルバム全体の音場を貫く太く強い芯が生まれた。聴き直してスペクターは音楽のプロで本物の職人だったことを実感した。今度こそ名誉回復の音楽の魔法使い、永遠の生命はレコードに残し、2021年1月逝去。
■DISC2/3 『レット・イット・ビー』最初期の姿を伝える外伝的存在
DISC2は「アップル・セッションズ」、ディスク3は「リハーサルズ・アンド・アップル・ジャムズ」と題されているが、これらをアウトテイク集と考えてはいけない。「グリン・ジョンズ、ファースト・コンピレーション」完成にさらに先立つ段階で、米英のDJ等にザ・ビートルズ最新録音曲のダイジェストのアセテート盤が宣伝用に配布された。いわば、「ゲット・バック」(レット・イット・ビー)の最初期の姿で、ここからブートレッグが出回ったことはいうまでもない。最も有名なものが「ゲット・バック・トゥ・トロント」である。このブートレッグからさらにコピーが生まれ、後にアップルから流出した音源が加わり、レコード史上最もバージョン違いとアウトテイクだらけのよくいえば豊穣、悪くいうと混沌とした演奏集となった。
だから、今回、DISC2/3に聴くビートルズの演奏は、筆者のような年季の入ったビートルズ・レコードファンにとって、正規版に寄り添う『レット・イット・ビー』外伝なのである。耳に馴染んだトラックをオリジナルテープから52年後にアーカイブされた鮮明な正規音質で聴けることは望外な喜びである。
完成版と異なったイントロの「レット・イット・ビー」(DISC2トラック6)も、「ゲット・バック・トゥ・トロント」収録曲。「ゲット・バック」の最長バージョンやルーフトップ・バージョンの「ドント・レット・ミー・ダウン」等、完成発表版に勝るとも劣らない聴き応えあるトラックが多く、コアなビートルズファン以外も一度聴く価値がある。
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