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哲学者・黒崎政男とオーディオ評論家・山之内 正が語る

【特別対談】ドルビーアトモスで蘇るショルティ《ニーベルングの指環》。奇跡の録音が聴かせる新たな可能性

公開日 2023/12/31 07:00 黒崎政男/山之内 正 構成:ファイルウェブオーディオ編集部・筑井真奈
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ドルビーアトモスで蘇るワーグナー《ニーベルングの指環》



ワーグナーが手がけた《ニーベルングの指環》は、総時間は15時間、通しで演奏するのに最短4日を必要とする壮大なドラマが展開されるオペラ作品である。神々と人間、さまざまな種族の思惑が絡まり合うこの作品は、誕生から100年以上経った現在もなお人々を惹きつけてやまない。

「ニーベルングの指環」の中でも、特に名演・名録音と名高いのが、1950〜60年代にかけて収録されたサー・ゲオルグ・ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による《指環》の全曲録音である。それが新たにリマスタリングされSACDとして発売されるともに、史上初の“ドルビーアトモス”ミックスによる配信がスタートしている。



世紀の名録音は、ドルビーアトモスでどのような新しい世界を見せてくれるのだろうか。ワーグナーがオーディオを始めるきっかけになったというオーディオ評論家の山之内 正氏と、奥様との出会いのきっかけがワーグナーであったという哲学者の黒崎政男氏のおふたりが、山之内氏の自宅に据えられた最新オーディオビジュアルシステムで《指環》のドルビーアトモスを体験した。

山之内氏の自宅試聴室にて、ドルビーアトモス&LP&SACDの聴き比べを行った。右が哲学者の黒崎政男氏

なお、本編に先立ち、ワーグナーの「ニーベルングの指環」の作品誕生の背景と、世紀の名録音を手がけたプロデューサーのジョン・カルショーの役割について、山之内氏による簡単な解説を付しておく。すでに本作についてよくご存知の方は読み飛ばしていただき、2p目の対談本編から読み進めていただければ幸いだ。また「ニーベルングの指環」のストーリーについては、里中満智子の『マンガ名作オペラ ニーベルングの指環』(上下巻・中公文庫)がコンパクトにまとまっており、入門者にオススメできる。

《ニーベリングの指環》の入門に適した里中満智子のマンガ・名作オペラシリーズ

愛憎渦巻く重層的な関係を描く《ニーベルングの指環》(山之内)



​​前人未到の壮大な作品群を台本から音楽まで一人で作り上げたワーグナー(1813-1883年)。そのなかで最も複雑かつスケールの大きな作品が《ニーベルングの指環》である。「ラインの黄金」、「ヴァルキューレ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」からなる四部作を連続上演するには最短でも4〜10日ほどかかるが、それでも歌手の負荷が大きいため、一年に一作程度を上演することが多い。

四部作すべて上演すると計15時間に及び、主な登場人物だけで約40名。ブリュンヒルデやジークフリートなど主役級の歌手たちは大編成のオーケストラと対峙して延々と歌い続けなければならず、他の作曲家のオペラとは比較にならないほど難度が高い。

歌手とオーケストラだけでなく聴衆にとっても過酷なオペラが現代までずっと生き延びているのは、《ニーベルングの指環》でなければ体験できない世界があり、抗えないほど強烈なワーグナーの魅力があふれているからだ。ワーグナー自身、この作品を完成させることへの執着は異常なまでに強く、構想から完成まで26年を費やし、理想的な上演のための専用劇場をバイロイトに建てるほど没頭した。そこまで強く引き込まれる理由の一つは物語の展開に普遍性があるからだ。

<あらすじ>
第一部:ラインの黄金
指環の物語は黄金を守るラインの乙女たちの三重唱から始まる。地底に暮らすニーベルング族のアルベリヒは、世界を支配する力がそなわる黄金の魅力に取り憑かれ、愛を断念する代償としてその黄金を手に入れて指環を作る。その指環を最初に狙ったのが神々の一族を支配するヴォータンだ。ヴォータンは神々が住むための豪華な城を巨人族に作らせながら支払いを拒否。人質に取られた女神フライアを取り戻すために巨人族に指環を渡す羽目になる。アルベリヒは強奪された指環に呪いをかける。指環を手にした途端、巨人族の兄弟が内輪もめを起こし、弟ファフナーが兄ファゾルトを撲殺。神々は呪いの恐怖におののく。

第二部:ヴァルキューレ
人間の世界。ジークムントが宿敵フンディングから双子の姉妹ジークリンデを奪取して逃走。ヴォータンは人間の女性に産ませた我が子ジークムントを救おうとするが、結婚の神である妻フリッカの反対に押し切られる。英雄の守護神ヴァルキューレの一人でヴォータンの長女ブリュンヒルデが抵抗するが、ヴォータンが妨害し、フンディングがジークムントを殺害。ヴォータンは命令に背いたブリュンヒルデの神性を奪って燃え盛る岩山に封じ込める。ブリュンヒルデを救えるのは恐れを知らない英雄だけだ。

第三部:ジークフリート
ジークリンデが生んだジークムントの子ジークフリートはアルベリヒの弟ミーメに育てられるが、父親を知らないジークフリートは恐怖の概念をも理解しない。ドラゴンに変身して指環を守るファフナーを、譲り受けた剣でジークフリートが退治。返り血を浴びて不死の肉体と指環を手に入れたジークフリートは岩山で眠るブリュンヒルデを目覚めさせる。

第四部:神々の黄昏
アルベリヒの子ハーゲンの策略で記憶を失ったジークフリートはブリュンヒルデを忘れてしまい、他の男の妻にするために岩山から誘拐を図る。一度はブリュンヒルデに贈った指環も他人になりすまして奪う。態度が急変したジークフリートへの怒りが収まらないブリュンヒルデは、指環の奪取を狙うハーゲンにジークフリートの急所を教えてしまう。その情報を頼りにハーゲンはジークフリートを殺害。ブリュンヒルデは指環を取り戻し、ラインの乙女たちに返すが、その後、自ら炎に身を投じ、その炎が神々の城ヴァルハラを焼き尽くす。

ワーグナーは主な登場人物全員と剣や指環など重要な素材に特定の旋律(ライトモティーフ)を割り当て、複雑な物語に統一感を与えた。三世代に及び愛憎渦巻く重層的な関係を文字だけで理解するのは難しいが、歌唱と大規模な管弦楽を駆使しながら共通の旋律を軸に描き出すことで、ストーリーと音楽が一体になり、直感的に理解できるように工夫したのだ。

当代最高峰の歌手を揃えた《指環》。ステレオ録音の手法も模索される



ワーグナーが《ニーベルングの指環》を構想してからほぼ一世紀後、プロデューサーとしてイギリスのレコード会社「デッカ」に在籍していたジョン・カルショーが同作品に注目、全曲録音に取り組むことを決断した。モノラルからステレオへの移行期で、大作オペラの世界初ステレオ録音が話題を呼ぶのは必至と考えたのだ。

完成度を高めるために最高峰の歌手を揃え、オーケストラはバイロイト音楽祭で豊富な経験を積むウィーン・フィルを抜擢。指揮者は当時ワーグナーの指揮ではまだ駆け出しだったゲオルグ・ショルティに白羽の矢を立てたが、それが結果として大正解。最高水準の演奏を目指すショルティとカルショーの強い意志に歌手とオーケストラが強く共鳴し、後にも先にも例のない超名演が実現した。

サー・ゲオルグ・ショルティ (c)Decca Christina Burton

録音は1958〜1965年にかけてウィーンのゾフィエンザールで行われ、クラシック録音史上の最高傑作として揺るぎない地位を確立している。

録音セッションは一作ごとに緻密なスケジュールを組んで歌手を厳選し、端役も含めて配役に妥協はない。素晴らしい声の持ち主でも作品への理解が足りないとカルショーが判断すれば、歌手を交代させることも厭わなかった。演出上で必要なら録音会場の仮設舞台上で独唱歌手を歩かせ、ステージの広がりや奥行きを再現するなど、ステレオ録音ならではの空間表現にもこだわっている。

録音に挑むショルティとカルショー (c)DECCA

剣を鍛える音や爆発音など、効果音にも最大限のリアリティを追求した。オーストリア各地から金床を集め、巨大な鉄板を打ち鳴らして雷を再現するなど、小道具の確保に奔走したり、ドラゴンに変身したファフナーの声を再現するためにエコー室を用意するなど、劇場では再現できない仕掛けもあえて採用。リマスタリングの成果で、録音チームの情熱が生んだリアルな音を細部まで聴き取れるようになった。

この録音は過去にも何度もリマスターされて再発されているが、2022年にショルティ生誕110周年・没後25周年を記念して新たにリマスターが行われた。オリジナルのステレオマスターテープから作成された192kHz/24bitのマスターデータをベースに、新たにDSDマスターとドルビーアトモスのデータを作成。DSDマスター音源はSACD盤として、ドルビーアトモスはApple Music等のストリーミングサービスにて再生することができる。

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