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連載:世界のオーディオブランドを知る(3)日本発ブランドの象徴「デノン」の歴史を紐解く
これまでに多くの世界的なオーディオブランドが誕生してきているが、そのブランドがどのような歴史を辿り、今に至るのかをご存知だろうか。オーディオファンを現在に至るまで長く魅了し続けるブランドは多く存在するが、その成り立ちや過去の銘機については意外に知識が曖昧...という方も少なくないのではないだろうか。
そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第3回目となる本稿では「デノン(DENON)」ブランドについて紹介しよう。
東京都港区愛宕にあるNHK放送博物館の3階「ヒストリーコーナー」に、「戦時下の放送」と題された一角があり、展示品のひとつに「玉音盤」がある。直径25cmの黒いセルロース製円盤は、劣化を免れるために金属製の容器内で厳重に温度(湿度)管理され、その周囲がひときわ厳粛に静まって感じられる。1945年8月、天皇陛下の終戦詔書朗読を収め日本を戦争終結に導いたラッカー盤(音を直接刻んだレコード)である。
放送博物館にあるのは、玉音盤そのものと円盤録音機の同形機である。録音を行ったのは日本放送協会と日本電気音響株式会社の選りすぐりの技術者たちであった。天皇陛下みずから終戦を宣言し日本は破滅を免れ、道のりは険しいものの一縷の希望を抱かせる終戦を迎えた。一枚の録音盤が歴史を動かしたのである。
玉音盤録音を実現した日本電気音響株式会社は、昭和九年(1933年)に技術者・坪田耕一によって発足した。坪田の早稲田大学の同期に井深大(ソニー創業者)がいた。このころのレコード会社は、ろう盤を用いた大型録音機を使っていたが、昭和11年のベルリンオリンピックのラジオ放送を機に独テレフンケン社製の円盤録音機が登場。録音してすぐに再生できる機動性で現場を席巻し、昭和15年に予定された「幻の東京オリンピック」を前に国産円盤録音機の誕生が急がれた。
日本放送協会は国内数社に試作を要請し、日本電気音響製の二連可搬形円盤式録音再生機「DR-14B」が採用された。放送業務機器「デノン(DENON)」の歴史がここに始まった。円盤録音機は改良を重ね玉音放送の大役を担ったのは、数世代を経た「DP-17-K」であった。
戦争終結から三年。昭和23年に放送5カ年計画がスタートし、日本電気音響製作の円盤録音機「R-23-A」が、全国の日本放送協会(以後NHK)放送局に配備された。改良を重ねながら円盤録音機の時代はその後も続くが、磁気録音(テープ)の時代を迎え、1951年、同社はNHKにテープ録音機を納入する。おりしも翌年に最初の民放ラジオ放送(ラジオ東京・現TBS)がスタート。音響産業は変化と飛躍の時期を迎えつつあった。
復興は人々に音楽への渇きを呼びおこした。進駐軍とともになだれこんだジャズや洋楽が、戦前からの歌謡曲と野合して音楽の新しい葉枝を生い茂らせた。音の技術集団・日本電気音響株式会社にラブコールを送った会社があった。1907年創立の日本最古参のレコード会社日本コロムビアである。
同社は、天才少女歌手・美空ひばりや、クラシック出身の名歌手・藤山一郎らを擁する最大手だが、音楽市場の急成長を前に、それまでのSPに代わるLPレコードの量産の要に迫られ、高度な録音・製盤技術が新たに求められていた。そこで、白羽の矢を立てた先が日本電気音響株式会社だった。
1947年、同社は日本コロムビアの系列下に入る。1950年、SP/LP用モノラル・ムービングコイルカートリッジ「PUC-3」を完成。翌年NHKに標準採用される。NHK FM放送開始の1957年、同協会の要請でステレオカートリッジ「PUC-7D」を開発。ステレオLPが日本で発売されたのがその翌年だった。
1963年、日本電気音響株式会社と日本コロムビアは合併し、新ブランド・DENON(デノン)が電機部門を担っていく。1965年、NHKとの共同開発でMC型ステレオカートリッジ「DL-103」が誕生する。広大な再生可能帯域、フラットな周波数特性、優れたセパレーション、ステレオ/モノラルが一個で再生可能と、先行する欧米のステレオカートリッジをことごとく凌駕していた。
高度成長真っ只中、良い音を求める耳の肥えた音楽ファンが育っていた。彼らはこの「ステレオ原器」を見逃さなかった。1970年、日本コロムビアはDL-103の市販を開始、翌年に業務用フォノモーター「DN-302F」が「DP-5000」として販売開始される。業務用機メーカーDENONと音楽ファンとを結ぶ確かな絆が生まれたのである。
1970年代半ばになると、ダイレクトドライブターンテーブル「DP-3000」を筆頭に、全段直結純コンプリメンタリーOCL回路プリメインアンプ「PMA-700」や、ピアレスコーンスピーカーシステム等を続々送り出し、総合オーディオメーカーに発展。オーディオファンあこがれのブランドとなる。一方、業界を席巻した4CHステレオには距離を置いた。プロ機器を出自とするデノンは、長く愛用され信頼できる製品作りが信条で、一過性の流行に慎重だったのである。
そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第3回目となる本稿では「デノン(DENON)」ブランドについて紹介しよう。
■オーディオの歴史を動かした黒い円盤
東京都港区愛宕にあるNHK放送博物館の3階「ヒストリーコーナー」に、「戦時下の放送」と題された一角があり、展示品のひとつに「玉音盤」がある。直径25cmの黒いセルロース製円盤は、劣化を免れるために金属製の容器内で厳重に温度(湿度)管理され、その周囲がひときわ厳粛に静まって感じられる。1945年8月、天皇陛下の終戦詔書朗読を収め日本を戦争終結に導いたラッカー盤(音を直接刻んだレコード)である。
放送博物館にあるのは、玉音盤そのものと円盤録音機の同形機である。録音を行ったのは日本放送協会と日本電気音響株式会社の選りすぐりの技術者たちであった。天皇陛下みずから終戦を宣言し日本は破滅を免れ、道のりは険しいものの一縷の希望を抱かせる終戦を迎えた。一枚の録音盤が歴史を動かしたのである。
玉音盤録音を実現した日本電気音響株式会社は、昭和九年(1933年)に技術者・坪田耕一によって発足した。坪田の早稲田大学の同期に井深大(ソニー創業者)がいた。このころのレコード会社は、ろう盤を用いた大型録音機を使っていたが、昭和11年のベルリンオリンピックのラジオ放送を機に独テレフンケン社製の円盤録音機が登場。録音してすぐに再生できる機動性で現場を席巻し、昭和15年に予定された「幻の東京オリンピック」を前に国産円盤録音機の誕生が急がれた。
日本放送協会は国内数社に試作を要請し、日本電気音響製の二連可搬形円盤式録音再生機「DR-14B」が採用された。放送業務機器「デノン(DENON)」の歴史がここに始まった。円盤録音機は改良を重ね玉音放送の大役を担ったのは、数世代を経た「DP-17-K」であった。
戦争終結から三年。昭和23年に放送5カ年計画がスタートし、日本電気音響製作の円盤録音機「R-23-A」が、全国の日本放送協会(以後NHK)放送局に配備された。改良を重ねながら円盤録音機の時代はその後も続くが、磁気録音(テープ)の時代を迎え、1951年、同社はNHKにテープ録音機を納入する。おりしも翌年に最初の民放ラジオ放送(ラジオ東京・現TBS)がスタート。音響産業は変化と飛躍の時期を迎えつつあった。
■「音楽を創る、奏でる、聴く」総合音響メーカーに
復興は人々に音楽への渇きを呼びおこした。進駐軍とともになだれこんだジャズや洋楽が、戦前からの歌謡曲と野合して音楽の新しい葉枝を生い茂らせた。音の技術集団・日本電気音響株式会社にラブコールを送った会社があった。1907年創立の日本最古参のレコード会社日本コロムビアである。
同社は、天才少女歌手・美空ひばりや、クラシック出身の名歌手・藤山一郎らを擁する最大手だが、音楽市場の急成長を前に、それまでのSPに代わるLPレコードの量産の要に迫られ、高度な録音・製盤技術が新たに求められていた。そこで、白羽の矢を立てた先が日本電気音響株式会社だった。
1947年、同社は日本コロムビアの系列下に入る。1950年、SP/LP用モノラル・ムービングコイルカートリッジ「PUC-3」を完成。翌年NHKに標準採用される。NHK FM放送開始の1957年、同協会の要請でステレオカートリッジ「PUC-7D」を開発。ステレオLPが日本で発売されたのがその翌年だった。
1963年、日本電気音響株式会社と日本コロムビアは合併し、新ブランド・DENON(デノン)が電機部門を担っていく。1965年、NHKとの共同開発でMC型ステレオカートリッジ「DL-103」が誕生する。広大な再生可能帯域、フラットな周波数特性、優れたセパレーション、ステレオ/モノラルが一個で再生可能と、先行する欧米のステレオカートリッジをことごとく凌駕していた。
高度成長真っ只中、良い音を求める耳の肥えた音楽ファンが育っていた。彼らはこの「ステレオ原器」を見逃さなかった。1970年、日本コロムビアはDL-103の市販を開始、翌年に業務用フォノモーター「DN-302F」が「DP-5000」として販売開始される。業務用機メーカーDENONと音楽ファンとを結ぶ確かな絆が生まれたのである。
1970年代半ばになると、ダイレクトドライブターンテーブル「DP-3000」を筆頭に、全段直結純コンプリメンタリーOCL回路プリメインアンプ「PMA-700」や、ピアレスコーンスピーカーシステム等を続々送り出し、総合オーディオメーカーに発展。オーディオファンあこがれのブランドとなる。一方、業界を席巻した4CHステレオには距離を置いた。プロ機器を出自とするデノンは、長く愛用され信頼できる製品作りが信条で、一過性の流行に慎重だったのである。
次ページデジタルオーディオの幕を開いたデノン。その後ホームシアターの音の担い手に