公開日 2011/03/01 11:23
「インセプション」の昏さ、なまめかしさをWoooで引き出す
話題のソフトをWoooで見る
この連載「話題のソフトを“Wooo”で観る」では、AV評論家・大橋伸太郎氏が旬のソフトの見どころや内容をご紹介するとともに、“Wooo”薄型テレビで視聴した際の映像調整のコツなどについてもお伝えします。
昨日発表されたアカデミー賞で主要賞は逸したが、『インセプション』は撮影賞、音響録音賞、音響編集賞、視覚効果賞を受賞した。世界的な興行成績という点では2010年屈指の作品である。
白日夢でなく睡眠中に見る夢をテーマにした映画は、実はあまり多くない。近作では『海を飛ぶ夢』くらいか。映像の最大の特性(長所)は「もしも」をリアルに描けることで、だから白日夢(願望・妄想)は映画が最も得意な題材だが、夢はそうではない。
人間が目覚めてつい今しがた見たばかりの夢を忘れてしまうのは、夢に論理的構造がないせいである。一方の映画は2時間なら2時間という尺の制限の中で、観客を掴んで引っ張らなければならないから論理的構造が欠かせない(あえてそれを逸脱した映画もあるが)。だから夢は映画の題材になりにくいのだ。
夢を題材にした最も有名な作品が黒澤明の『夢』で、私の周辺にも黒澤の作品中『夢』が一番好きだという人がいる。確かに黒澤のカラー作品として色彩画家の感性が最も発揮された作品だが、最初の方の子供時代の夢はともかく、だんだん暗く尻すぼみになっていく本作は、黒澤の第一級作品とはいいがたい。
このように映画で夢を扱うのは巨匠であっても難しいが、『インセプション』は例外的な成功を収めた。その理由はどこにあるのだろうか。
■「夢」モチーフなのに成功を収めた理由
本作のストーリーについてざっと紹介しておくと、高額の報酬で他人の睡眠中の「夢」に侵入して、その人の秘密を探る「抜き盗る」(EXTRACT)ことを商売にしているチームが、日本人富豪・斉藤の夢に侵入するが抜き取りに失敗する。赦免と引き換えに斉藤が出した条件とは、目の上のタンコブのような商売敵の二世社長の夢に侵入し、秘密を抜き取るのでなく観念を「植え付ける」(INSEPTION)こと。その観念とは、「会社を分割する」ことだった。
チームに斉藤(渡辺謙)が加わり、ロバート(二世社長)が見る夢のデザインと共有実験が始まるが、チームリーダーのコブ(レオナルド・ディカプリオ)には誤算があった。それは、自殺した彼の妻モル(マリオン・コティアール)が彼の贖罪意識から夢の中に棲みついていて、チームの脚を引っ張るのだ。
本作の着想の新しさは、モチーフの「夢」をアクションと融合させた点にある。人間が夢を見ている時に味わう、時間が引き伸ばされていく感覚(夢の中の数時間は現実の時間では数分)、飛んだり浮かんだり、宙ぶらりんになったりの浮遊感覚をアクションのキーに、CG が描いた(夢の)奇想天外な実景を背景に展開したのである。
本作を見て観客が最初に疑問に思うのは、なぜ3D立体視を選ばなかったのか、ということかもしれない。本作で夢の中のパリの街道が折り紙細工のように畳まれてまた開いたり、エッシャーの無限階段が立体になって出現するのを見れば、これが3Dだったら、と誰もが思うはずである。
想像するに、監督のクリストファー・ノーランは3Dメガネを掛けるという現在の3Dが不満だったのである。ノーランはインタビューにこう答える。「(興味深いのは)夢の世界は心の中でつくっていながら、自分でつくっていることを考えずに体験していることだ」。
メガネを掛けることで観客はこれから特殊なものを見るのだ、と意識してしまう。誰でもそれと気付かずに夢を見ているのだ。彼はこうも語る。「映画をつくるサイドにいる自分としては、観客に映画の中で現実から逃避するような体験をしてもらおうとしたんだよ」。
つまり、映画自体がうたかたの夢のような体験で、今回の作品では現実との「一線」を曖昧にしたかったのである。現時点のメガネを掛ける3Dは彼のたくらみにそぐわなかった。しかし撮影、映像のテイスト、そして画質という2Dの領域で彼は「夢のリアリティ」を生み出すことに成功した。それこそが、実は『インセプション』を家庭のテレビで見る(体験する)上での鍵でもある。
昨日発表されたアカデミー賞で主要賞は逸したが、『インセプション』は撮影賞、音響録音賞、音響編集賞、視覚効果賞を受賞した。世界的な興行成績という点では2010年屈指の作品である。
白日夢でなく睡眠中に見る夢をテーマにした映画は、実はあまり多くない。近作では『海を飛ぶ夢』くらいか。映像の最大の特性(長所)は「もしも」をリアルに描けることで、だから白日夢(願望・妄想)は映画が最も得意な題材だが、夢はそうではない。
人間が目覚めてつい今しがた見たばかりの夢を忘れてしまうのは、夢に論理的構造がないせいである。一方の映画は2時間なら2時間という尺の制限の中で、観客を掴んで引っ張らなければならないから論理的構造が欠かせない(あえてそれを逸脱した映画もあるが)。だから夢は映画の題材になりにくいのだ。
夢を題材にした最も有名な作品が黒澤明の『夢』で、私の周辺にも黒澤の作品中『夢』が一番好きだという人がいる。確かに黒澤のカラー作品として色彩画家の感性が最も発揮された作品だが、最初の方の子供時代の夢はともかく、だんだん暗く尻すぼみになっていく本作は、黒澤の第一級作品とはいいがたい。
このように映画で夢を扱うのは巨匠であっても難しいが、『インセプション』は例外的な成功を収めた。その理由はどこにあるのだろうか。
■「夢」モチーフなのに成功を収めた理由
本作のストーリーについてざっと紹介しておくと、高額の報酬で他人の睡眠中の「夢」に侵入して、その人の秘密を探る「抜き盗る」(EXTRACT)ことを商売にしているチームが、日本人富豪・斉藤の夢に侵入するが抜き取りに失敗する。赦免と引き換えに斉藤が出した条件とは、目の上のタンコブのような商売敵の二世社長の夢に侵入し、秘密を抜き取るのでなく観念を「植え付ける」(INSEPTION)こと。その観念とは、「会社を分割する」ことだった。
チームに斉藤(渡辺謙)が加わり、ロバート(二世社長)が見る夢のデザインと共有実験が始まるが、チームリーダーのコブ(レオナルド・ディカプリオ)には誤算があった。それは、自殺した彼の妻モル(マリオン・コティアール)が彼の贖罪意識から夢の中に棲みついていて、チームの脚を引っ張るのだ。
本作の着想の新しさは、モチーフの「夢」をアクションと融合させた点にある。人間が夢を見ている時に味わう、時間が引き伸ばされていく感覚(夢の中の数時間は現実の時間では数分)、飛んだり浮かんだり、宙ぶらりんになったりの浮遊感覚をアクションのキーに、CG が描いた(夢の)奇想天外な実景を背景に展開したのである。
本作を見て観客が最初に疑問に思うのは、なぜ3D立体視を選ばなかったのか、ということかもしれない。本作で夢の中のパリの街道が折り紙細工のように畳まれてまた開いたり、エッシャーの無限階段が立体になって出現するのを見れば、これが3Dだったら、と誰もが思うはずである。
想像するに、監督のクリストファー・ノーランは3Dメガネを掛けるという現在の3Dが不満だったのである。ノーランはインタビューにこう答える。「(興味深いのは)夢の世界は心の中でつくっていながら、自分でつくっていることを考えずに体験していることだ」。
メガネを掛けることで観客はこれから特殊なものを見るのだ、と意識してしまう。誰でもそれと気付かずに夢を見ているのだ。彼はこうも語る。「映画をつくるサイドにいる自分としては、観客に映画の中で現実から逃避するような体験をしてもらおうとしたんだよ」。
つまり、映画自体がうたかたの夢のような体験で、今回の作品では現実との「一線」を曖昧にしたかったのである。現時点のメガネを掛ける3Dは彼のたくらみにそぐわなかった。しかし撮影、映像のテイスト、そして画質という2Dの領域で彼は「夢のリアリティ」を生み出すことに成功した。それこそが、実は『インセプション』を家庭のテレビで見る(体験する)上での鍵でもある。