公開日 2017/09/01 10:41
あらゆる可能性を探り“美”を追求
ハンドメイドで最高の音を再現するレコード再生ブランド、AUDIO NOTEを聴く
鈴木 裕
AUDIO NOTEは、コンデンサーなどの部品レベルからハンドメイドでこだわり抜いたハイエンドオーディオを手がける国産ブランドだ。本記事では、あらゆる可能性を探って美を追究し、ハンドメイドで最高の音質を再現するAUDIO NOTEのブランドフィロソフィー、そして主要製品を鈴木裕氏が解説する。
ブランドの成り立ちと歴史
■世界初の銀線を使ったオーディオ機器を開発
オーディオ・ノートは日本のブランドである。現在の業務内容としては、オーディオ製品全般(アンプ、アナログプレーヤー、トランス、カートリッジ、ケーブル等)の製造および販売を行っているが、特に真空管アンプと超弩級のアナログプレーヤーのイメージが強い。もともとは1976年に近藤公康氏によって創業されている。
「日本のブランド」とか「もともとは」といった表現をあえて書くのには理由がある。一時期、具体的に書けば1990年代から2009年まで、オーディオ・ノートは日本市場においては幻の存在だったからだ。メインの市場はイギリスをベースとした欧米だったのだ。創業者の近藤公康氏は、世界で初めて銀線を使ったオーディオ機器を開発した。それは音のための妥協を許さない姿勢からだったが、製品は大変高額なものになり、日本市場では幻のブランドになってしまった。
近藤氏は2006年に亡くなったが、その2年前から社長を継承してきたのが芦澤雅基氏だ。最初は音響関係の学校の授業で生徒として近藤の講義を受け、同社でのアルバイトも経験。卒業後に他のメーカーに就職するものの、結局オーディオ・ノートに入社したのが1990年。そこから16年間、オーディオについての考え方や、妥協を許さない技術を学んでいるのが芦澤氏だ。同社のウェブサイトにはこう記されている。「創業者、近藤の急逝後も、オーディオ・ノートの姿勢は何一つ変わってはいません。オーディオ・ノートは、ひとつひとつ手作りで製品を作りあげます。(中略)すべて最高の音質を再現するということのために」。
目指す音と技術ポイント
■鋭敏な感受性が生み出す緻密な技術と正しい設計
オーディオ・ノートの製品に求めているものは、ある意味シンプルだ。「本来の音楽をありのままの姿で素直に、正しく再生するもの、真に音楽を楽しむために存在するもの」と考えている。そしてそのためには「鋭敏な感受性を持って、緻密な技術と正しい設計」を行うことが必要だと。短くまとめると「生き生きとした音楽を忠実に、豊かな表現力を持って再生する」というシンプルな結論に到達する。
ここで注目したいのは「再生」という言葉だ。英語で言えばプレイ。日本語だと「再生」。ごくごく当たり前に使われているが、これはいったん命が失われたものを再び息づかせる営みのことだ。死に体にあったものを蘇生させる、というように言ってもいい。では蘇生される音楽とはそもそも何か。
オーディオ・ノートではこう考えている。「音楽も音響も、突き詰めればそれは“美”の表現そのものです。美しい音を導き出すために、あらゆる可能性を探り、“美”を追求」しなければならないと言っている(筆者はここに強く賛同する)。
そのための技術的な特徴として挙げなければいけないのは銀という素材だ。世界で初めてオーディオに銀線を用いた近藤公康氏が、「音の銀細工師 TheAudio Silversmith」と呼ばれた所以である。
使われているのは銀入りのハンダ、銀箔を用いたコンデンサー、銀線を巻いたトランス、そして、銀の導体を使った信号ケーブル、スピーカーケーブルなど、音の入り口から出口まで妥協せずに出来る限り銀を使っている。それ故に「温かく、時にはシャープに、音楽の息吹を最大限に表現」できるという。また、銅によるシャーシなど、理想的な構造だ。
ブランドの成り立ちと歴史
■世界初の銀線を使ったオーディオ機器を開発
オーディオ・ノートは日本のブランドである。現在の業務内容としては、オーディオ製品全般(アンプ、アナログプレーヤー、トランス、カートリッジ、ケーブル等)の製造および販売を行っているが、特に真空管アンプと超弩級のアナログプレーヤーのイメージが強い。もともとは1976年に近藤公康氏によって創業されている。
「日本のブランド」とか「もともとは」といった表現をあえて書くのには理由がある。一時期、具体的に書けば1990年代から2009年まで、オーディオ・ノートは日本市場においては幻の存在だったからだ。メインの市場はイギリスをベースとした欧米だったのだ。創業者の近藤公康氏は、世界で初めて銀線を使ったオーディオ機器を開発した。それは音のための妥協を許さない姿勢からだったが、製品は大変高額なものになり、日本市場では幻のブランドになってしまった。
近藤氏は2006年に亡くなったが、その2年前から社長を継承してきたのが芦澤雅基氏だ。最初は音響関係の学校の授業で生徒として近藤の講義を受け、同社でのアルバイトも経験。卒業後に他のメーカーに就職するものの、結局オーディオ・ノートに入社したのが1990年。そこから16年間、オーディオについての考え方や、妥協を許さない技術を学んでいるのが芦澤氏だ。同社のウェブサイトにはこう記されている。「創業者、近藤の急逝後も、オーディオ・ノートの姿勢は何一つ変わってはいません。オーディオ・ノートは、ひとつひとつ手作りで製品を作りあげます。(中略)すべて最高の音質を再現するということのために」。
目指す音と技術ポイント
■鋭敏な感受性が生み出す緻密な技術と正しい設計
オーディオ・ノートの製品に求めているものは、ある意味シンプルだ。「本来の音楽をありのままの姿で素直に、正しく再生するもの、真に音楽を楽しむために存在するもの」と考えている。そしてそのためには「鋭敏な感受性を持って、緻密な技術と正しい設計」を行うことが必要だと。短くまとめると「生き生きとした音楽を忠実に、豊かな表現力を持って再生する」というシンプルな結論に到達する。
ここで注目したいのは「再生」という言葉だ。英語で言えばプレイ。日本語だと「再生」。ごくごく当たり前に使われているが、これはいったん命が失われたものを再び息づかせる営みのことだ。死に体にあったものを蘇生させる、というように言ってもいい。では蘇生される音楽とはそもそも何か。
オーディオ・ノートではこう考えている。「音楽も音響も、突き詰めればそれは“美”の表現そのものです。美しい音を導き出すために、あらゆる可能性を探り、“美”を追求」しなければならないと言っている(筆者はここに強く賛同する)。
そのための技術的な特徴として挙げなければいけないのは銀という素材だ。世界で初めてオーディオに銀線を用いた近藤公康氏が、「音の銀細工師 TheAudio Silversmith」と呼ばれた所以である。
使われているのは銀入りのハンダ、銀箔を用いたコンデンサー、銀線を巻いたトランス、そして、銀の導体を使った信号ケーブル、スピーカーケーブルなど、音の入り口から出口まで妥協せずに出来る限り銀を使っている。それ故に「温かく、時にはシャープに、音楽の息吹を最大限に表現」できるという。また、銅によるシャーシなど、理想的な構造だ。