「オーディオ哲学宗教談義」
【対談】オーディオは本当に進歩したのか<第1回> 哲学者・黒崎政男氏と宗教学者・島田裕巳氏が語る
ナマ音 VS オーディオ再生
黒崎 そもそも当時『バラード』などはあまり評価されていませんでした。ところが、90年代、2000年代に入ると、ジャズといえば「コルトレーンの“バラード”」と代名詞になるくらい評価が上がってきました。コルトレーンの楽器のリードの調子が少し悪くて「プッ」っとやったのが永遠に残って、全世界で何十億回もかけられているという……。
それでは、その『バラード』を聴いてみましょう。
〜ジョン・コルトレーン『バラード』から「SAY IT」試聴〜
島田 当時『バラード』からコルトレーンを聴き始めた人はいなかったですよね。私も、後になって聴くようになったと思います。
コルトレーンは亡くなる前年の66年に来日して、それは『コルトレーン・イン・ジャパン』という作品として残っています。一緒に来日したジミー・ギャリソンがものすごく長いソロをとっていて、植草さんも、それを初日に聴いてあまりに素晴らしく2日も続けて聴きに行った、と書いた文章があって、すごく印象的でした。
黒崎 島田さんはライブなどリアルな関わり方をされていますよね。でも、私は完全なるオーディオ少年だったので、生は軽蔑していたの。「オーディオこそが本当だ」と。録音されたものを自分のコンディションに合わせて自分の聴きたい時に聴くという、これこそ正しい音楽の聴き方だと思っています。生は演奏者に合わせなきゃならない。1時間半かそこら、その状況に合わせる。それもうまく演奏できるか分からないのに。
一同 (笑)
島田 ちょっとそれは、おかしくないですか?
黒崎 生の音楽は本当で、録音はサブで、っていうのは一般通念ですよね。私は違う。本当の感動は、レコード音楽にこそある、と。今でもそう思っています。
ところで、先ほどハーツフィールドで聞いたコルトレーンの同じ曲を、島田さんもお使いのリン、最先端のシステム「EXAKT」で聴いてみましょう。
〜LP12+KLIMAX EXAKT 350でコルトレーン『バラード』を試聴〜
島田 マッコイ・タイナーは、実はとても上手だったんですね。
これまで聴いてきたのは誰だ? 違う人を聴いていたのかな?って。
黒崎 いいよね。この装置で聴くと。オーディオを換えると「ごめん、下手だと思っていたよ」という人がいっぱい出てくるんですよね。
例えば、61年録音の秋吉敏子の『トシコ、旧友に会う』。日本で最高のジャズメンを集めた一枚。冒頭の「So What」、ベーシストの原田政長を下手だと思って聴いていたけれど、LINN LP12で聴いてたら、あ、ごめん、あなた! 上手かったのね! ってなった。
LP12は一旦買ったら泥沼なんですよね。シャーシ換えて見ましょう。電源換えてみましょう。あぁ、すごいすごいすごい、ってなる(笑)。オーディオ装置を改善することでその上手さに気づく。オーディオの良し悪しは、演奏の印象自体に結び付くんですよね。
ビル・エヴァンスだって、『ブルースの真実』で、これついて行ってないじゃん、って思っていたし。『エリック・ドルフィー・アット・ザ・ファイブ・スポットVol.1』のピアニストのマル・ウォルドロンだって、ものすごく下手だと思っていたけど、後半のソロを昨日このLOUNGEで聴いたら、ものすごく上手く聴こえたの。
島田 あのピアノは調律がちゃんとされていなくて、音が外れるんだけど、マルはそのキーをやたらと叩く。
黒崎 マル・ウォルドロンは好きですか?
島田 そんなでもないけど、生は聴いたことがある。
一同 (笑)
島田 僕のライブ初体験は、菊地雅章さんのゲイリー・ピーコックとの演奏。銀座のヤマハホールで。『スイングジャーナル』がワークショップというのを1969年からやっていたんです。僕が行ったのは1970年。その時に菊地さんの六重奏団と、ゲイリー・ピーコック・トリオをやっていた。当時ゲイリー・ピーコックは心の悩みを抱えていて、日本に逃げて来ていた。日本の禅文化に触れるとかしていた。ラジオで『ゲイリー・ピーコックを探せ』っていう番組がその頃あったようですよ。
それで、そのワークショップのひとつの回で、マル・ウォルドロンがゲストで出て、菊地さんともデュオをした。当時、マルは神聖視されていて、ちょっと崇め奉られていたところがあったような気がします。そんななかで聴いたので、良いとか悪いとかそういう感じではなかった。
コルトレーンに話を戻すと、現代においてコルトレーンの存在を説明するのはとても難しい。当時、「コルトレーンを聴いていないとジャズを聴いていることにならない」というような何か、ジャズファンのあいだでの合意のようなものがあった気がします。それがアルバート・アイラーになると話は違う。ジャズ喫茶で長居している客を帰そうとする時はアルバート・アイラーをかけるとか。
一同 (笑)。
黒崎 コルトレーンが『至上の愛』の後に、ファラオ・サンダースとかアリス・コルトレーンとかとフリージャズに行っちゃった。60年に入った辺りまでがジャズで、レコード再生で聴くのがつまりジャズを聴くことだ、と。ブルーノートでかけるとかアトランティックでかけるとか。島田さんみたいに生で追いかけるという人もいたかもしれないけれど、普通は皆オーディオでジャズレコードを聴いたのです。しかもモノラル中心。
こんな聴き方は私だけかなあ。マイルスなら『ワーキン』『クッキン』(1954)や『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(1956)、せいぜい『カインド・オブ・ブルー』(1959)まで。あるいは、チャーリー・パーカーやバド・パウエル。そこまでがジャズであって、そのあとは「あっち行っちゃった、もう聴かない」というのが真っ当だった。
島田 それがまさに69年問題で、マイルスの『ビッチェズ・ブリュー』をどう評価するかというところで分かれた。
黒崎 そもそも当時『バラード』などはあまり評価されていませんでした。ところが、90年代、2000年代に入ると、ジャズといえば「コルトレーンの“バラード”」と代名詞になるくらい評価が上がってきました。コルトレーンの楽器のリードの調子が少し悪くて「プッ」っとやったのが永遠に残って、全世界で何十億回もかけられているという……。
それでは、その『バラード』を聴いてみましょう。
〜ジョン・コルトレーン『バラード』から「SAY IT」試聴〜
島田 当時『バラード』からコルトレーンを聴き始めた人はいなかったですよね。私も、後になって聴くようになったと思います。
コルトレーンは亡くなる前年の66年に来日して、それは『コルトレーン・イン・ジャパン』という作品として残っています。一緒に来日したジミー・ギャリソンがものすごく長いソロをとっていて、植草さんも、それを初日に聴いてあまりに素晴らしく2日も続けて聴きに行った、と書いた文章があって、すごく印象的でした。
黒崎 島田さんはライブなどリアルな関わり方をされていますよね。でも、私は完全なるオーディオ少年だったので、生は軽蔑していたの。「オーディオこそが本当だ」と。録音されたものを自分のコンディションに合わせて自分の聴きたい時に聴くという、これこそ正しい音楽の聴き方だと思っています。生は演奏者に合わせなきゃならない。1時間半かそこら、その状況に合わせる。それもうまく演奏できるか分からないのに。
一同 (笑)
島田 ちょっとそれは、おかしくないですか?
黒崎 生の音楽は本当で、録音はサブで、っていうのは一般通念ですよね。私は違う。本当の感動は、レコード音楽にこそある、と。今でもそう思っています。
ところで、先ほどハーツフィールドで聞いたコルトレーンの同じ曲を、島田さんもお使いのリン、最先端のシステム「EXAKT」で聴いてみましょう。
〜LP12+KLIMAX EXAKT 350でコルトレーン『バラード』を試聴〜
島田 マッコイ・タイナーは、実はとても上手だったんですね。
これまで聴いてきたのは誰だ? 違う人を聴いていたのかな?って。
黒崎 いいよね。この装置で聴くと。オーディオを換えると「ごめん、下手だと思っていたよ」という人がいっぱい出てくるんですよね。
例えば、61年録音の秋吉敏子の『トシコ、旧友に会う』。日本で最高のジャズメンを集めた一枚。冒頭の「So What」、ベーシストの原田政長を下手だと思って聴いていたけれど、LINN LP12で聴いてたら、あ、ごめん、あなた! 上手かったのね! ってなった。
LP12は一旦買ったら泥沼なんですよね。シャーシ換えて見ましょう。電源換えてみましょう。あぁ、すごいすごいすごい、ってなる(笑)。オーディオ装置を改善することでその上手さに気づく。オーディオの良し悪しは、演奏の印象自体に結び付くんですよね。
ビル・エヴァンスだって、『ブルースの真実』で、これついて行ってないじゃん、って思っていたし。『エリック・ドルフィー・アット・ザ・ファイブ・スポットVol.1』のピアニストのマル・ウォルドロンだって、ものすごく下手だと思っていたけど、後半のソロを昨日このLOUNGEで聴いたら、ものすごく上手く聴こえたの。
島田 あのピアノは調律がちゃんとされていなくて、音が外れるんだけど、マルはそのキーをやたらと叩く。
黒崎 マル・ウォルドロンは好きですか?
島田 そんなでもないけど、生は聴いたことがある。
一同 (笑)
島田 僕のライブ初体験は、菊地雅章さんのゲイリー・ピーコックとの演奏。銀座のヤマハホールで。『スイングジャーナル』がワークショップというのを1969年からやっていたんです。僕が行ったのは1970年。その時に菊地さんの六重奏団と、ゲイリー・ピーコック・トリオをやっていた。当時ゲイリー・ピーコックは心の悩みを抱えていて、日本に逃げて来ていた。日本の禅文化に触れるとかしていた。ラジオで『ゲイリー・ピーコックを探せ』っていう番組がその頃あったようですよ。
それで、そのワークショップのひとつの回で、マル・ウォルドロンがゲストで出て、菊地さんともデュオをした。当時、マルは神聖視されていて、ちょっと崇め奉られていたところがあったような気がします。そんななかで聴いたので、良いとか悪いとかそういう感じではなかった。
コルトレーンに話を戻すと、現代においてコルトレーンの存在を説明するのはとても難しい。当時、「コルトレーンを聴いていないとジャズを聴いていることにならない」というような何か、ジャズファンのあいだでの合意のようなものがあった気がします。それがアルバート・アイラーになると話は違う。ジャズ喫茶で長居している客を帰そうとする時はアルバート・アイラーをかけるとか。
一同 (笑)。
黒崎 コルトレーンが『至上の愛』の後に、ファラオ・サンダースとかアリス・コルトレーンとかとフリージャズに行っちゃった。60年に入った辺りまでがジャズで、レコード再生で聴くのがつまりジャズを聴くことだ、と。ブルーノートでかけるとかアトランティックでかけるとか。島田さんみたいに生で追いかけるという人もいたかもしれないけれど、普通は皆オーディオでジャズレコードを聴いたのです。しかもモノラル中心。
こんな聴き方は私だけかなあ。マイルスなら『ワーキン』『クッキン』(1954)や『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(1956)、せいぜい『カインド・オブ・ブルー』(1959)まで。あるいは、チャーリー・パーカーやバド・パウエル。そこまでがジャズであって、そのあとは「あっち行っちゃった、もう聴かない」というのが真っ当だった。
島田 それがまさに69年問題で、マイルスの『ビッチェズ・ブリュー』をどう評価するかというところで分かれた。