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【対談】オーディオは本当に進歩したのか<第3回> 哲学者・黒崎政男氏と宗教学者・島田裕巳氏が語る
ステレオ録音が習得されるまで
黒崎 話を戻しますが、今日、かけたいものがあるんです。私は昔モノラルしか聴かなかった。ステレオは失敗作だと思っていたから。カートリッジもモノラル専用を使って。音は全部モノラルレコードがいいと思っていた。
島田 失敗作ってどういう意味?
黒崎 つまり、あんな33回転の細いマイクログローブに右と左を刻むなんて、狂気の沙汰だ、失敗していると思っていたわけです。ものすごく小さなごみがついていたって影響があるわけじゃないですか。78回転で溝の太い蓄音器なら多少のごみは全然影響しないんですよ。
島田 ステレオの方がごみは影響する?
黒崎 ものすごく影響する。これは失敗作だとずっと思っていたから、LPレコードは嫌いでした。ところが、実は50年代にすごく天才的なプロデューサー達がいたんですね。ステレオとは何かということを体で分かっていた。50〜60年代にかけて、素晴らしいステレオ録音があったんです。マーキュリーとかRCA。あるいは、ベルリンフィルを録っていたドイツ・グラモフォン、ウィーン・フィルを録ったデッカなど。70〜80年代に入って、マルチトラックで厳密に音を捉えられるようになってからの方がむしろ、劣化した、ここのところそんな風に感じています。そこで、60年代初頭に録音されたレコードをちょっと聴いていただこうと思います。
61年のバイロン・ジャニスの『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番』を。アンタル・ドラティがロンドン・シンフォニーを振ったんですけれども。当時すでに、どうやって録音したのかの説明が、ライナーに書いてあるんですね。ウィルマ・コザードっていう、とんでもない天才的な女性のプロデューサーがいて、今でいうワンポイントマイクで、真ん中、右、左の3本だけを使って録っています。それをすごく特殊な35mmのマグネクティック・フィルムに一生懸命記録したものです。ものすごく手間がかかったので、その後はあまり続きませんでした。さぁ、50年代から続く初期のステレオがどのように録音されているかを聴いていただきましょう。
島田 (LPジャケットを掲げて)でっかく「STEREO」って書いてある。
黒崎 嬉しかったんですよ、ステレオ録音が。リビングプレゼンツと言ったり、生の存在感というか。これを聴くとやっぱりステレオって凄い発明だったのかもしれないと思えてきます。
〜バイロン・ジャニス『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第3番』試聴
(LP) 〜LP12 + KLIMAX EXAKT 350
島田 尋問させていただきますが(笑)。ステレオがだめだと思っていたと言っていましたが、なぜ改心したんですか?
黒崎 LINNのLP12を褒めることになってしまうのですけど(笑)。私はかつて45cmのターンテーブルを使っていまして……ちょうどこのイベントの一回目に使ったようなもの(RCA業務用ターンテーブル)を自宅に置いて、ロングアームでオイルダンプ方式のものにモノラル専用カートリッジをつけて聴くという、マニアックなことをやっていたわけです。モノラルは実にいい音がして満足していました。
ステレオはアームがSME2012でオルトフォンのAシェル、ステレオ用カートリッジを使っていました。でも当時、ステレオ盤は今のように聞けなかったと思うんですよ。ステレオLPレコードは現在のカートリッジとか、プレーヤーとかがあってこそ、この音になっているわけで、こんな風に鳴っていなかったと思います。
そこでもうひとつ、現代のLP12で聴いていただきたいのが、ワーグナーの『ニーベルングの指環』です。私、SP盤でも「ワルキューレ」の一幕を全曲(ブルーノ・ワルター指揮盤)を持っていますが、一幕しかないのにSPの場合は20枚くらいをかけ替えるので地獄なんです。今日はLPを持ってきました。
島田 音的には?
黒崎 素晴らしいんです。このLPは、指揮者のショルティと、カルショーというディレクターがウィーンフィルで1958年から65年にかけて収録したものです。これがまさに「指環」のステレオとして初めての試みであり、かつこれを超えるステレオ録音は今後もないと思えるような素晴らしい録音なんです。これこそモノラルからステレオになったときに、ソニックステージという音でステージを作るという。そういうことを本当にやっちゃった。その苦労話が本にもなっています。
では、その中から「ラインの黄金」を。これのラスト、いろんな事件が起こって神々がヴァルハラ城に昇っていく前のときに、雷を呼ぶんですよ。その雷が落ちるときを表現する銅鑼の音が収録されている。10mくらい上から銅版を垂らして、それを打つんです。オーケストラのそばに本当に銅鑼があるわけですね。
島田 歌舞伎の御簾みたいですね。
黒崎 銅鑼の音を、後からかぶせるのではなく、スタジオに実際に置いて、演奏と同時に叩いているんです。
島田 それは、演奏会ではやらないの?
黒崎 演奏会ではなかなか難しいと思う。これはやっぱりスタジオ録音だからできた。
島田 馬も出てくる?
黒崎 最後の「神々のたそがれ」の「私の愛馬、グラーネ!」と歌うと、本当に馬が出てくるんです。ビルギット・二ルソンが歌っているときに、カルショーたちが陰で実物の馬を(ビックリ!)用意していた。本当に馬が出てきて、大笑いになった。そんな冗談を本気でやっていた。凄い予算と意気込みと、とにかく大規模な形で遂行された第企画でした。では、計算し尽くされたステレオ録音ということで、銅鑼の出てくるシーンを。58年の録音です。
〜ワーグナー『ラインの黄金 雷』試聴
(LP) 〜LP12 + KLIMAX EXAKT 350
黒崎 このレコードはオリジナル(初版、ファーストプレス)なので、当時発売されていたレコード盤でこの音がする。つまり、音はレコードに入ってはいたんですよ。だけどかつての自分のステレオでこの臨場感は出なかった。そういう意味ではオーディオは進歩した。今聴いたように聴けるようになったわけですから。
島田 私もかけてみたいLPがあります。山本剛トリオの『MISTY』です。録音が非常に特殊で、ピアノの音がものすごく接近して聞こえる。1974年のものでこちらは復刻版です。
黒崎 解説書にマイク位置などどうやって録音したかの録音環境が記載されていますね。
〜山本剛トリオ『MISTY』試聴
(LP) 〜LP12 + KLIMAX EXAKT 350
黒崎 すごいね! さっきのショルティに触発されてかけたくなったんでしょう?(笑)。ピアノのペダルを踏んだ時の音も聴こえるような。
島田 オーディオが進化してきたことで、聴こえる音がどんどん増えてくるという典型です。初めてこの作品を聴いた人たちの音と、今、我々が聴いた音は、おそらく全然違うでしょう。ピアノを刻むように叩いている音も聴こえてくる。普通、こんなことしない。非常に大胆な録音です。何回もいろんな形でリリースされていて、45回転盤も出ています。これも、アナログプレーヤーでないとこの感じは出ないという感じがします。