哲学者と宗教学者でおくる注目イベント
黒崎政男×島田裕巳のオーディオ哲学宗教談義 Season2「存在とはメンテナンスである」<第3回>
古典というものが持つ意味と無意味
島田 ということは、古い録音で、なおかつ何回も聴いているものの方が意味がある。
黒崎 その中でも取捨選択されていきますけど。SPレコード時代だったら、例えばG.エネスコがヴァイオリンを弾いている『ラ・フォリア』のレコードは……。
島田 ???
黒崎 エネスコ(1881~1955年)というルーマニアの音楽家が、1929年くらいに8〜10面くらい、ヘンデルやショーソンなどのヴァイオリン曲を録音した超貴重なレコードがあります。エネスコは音楽教育者ですが、我々にとっては宝物のような演奏。そのレコードは聴かれる対象として飛び抜けていて、飽きられる演奏もたくさんある中で、生き残っていけるものだと思うんです。ある種の古典だと思います。古典はずっとあるわけだから、自分の人生の節目節目でその古典を読んだ時の自分と向き合うでしょう。
島田 カント哲学も変わってきた? 最初に出会った時と、いまの黒崎さんのカント哲学は違うわけでしょ?
黒崎 そりゃ、出会った時は純粋になんでカントってこんな風に考えていたんだ、すごいと思っていたけど……。今は学生に向かってカントはこんなに面白いんだよと、これを言えば学生が反応してうちの大学に入ってくるかなとか、道具になっている側面も……。
一同 (笑)
黒崎 ……なんて、そればっかりじゃないけどさ。なんでこんなに自分を貶めなきゃいけないの(笑)。
島田 今の黒崎さんにとって、カントっていうものが新たな意味を持つことはあるんでしょ?
黒崎 新たな意味、というより意味を持たなくなっていっているという感じもある、一面では。例えば20年前の私だったら、カントが語った「美とは主観的普遍性」だって、えっ、何? と思っても、カント大先生が言ったという絶対性があったわけですよ。でも最近では、カント先生が言ったからってそれは真実なのか? という風に、ちょっと距離は出てきている。古典に対する深い畏敬の念は、思想に関しては薄れてきているかも。
往年の文豪の作品を「若いな」と感じる
島田 最近思うけど、昔の人って早死にじゃない? だから、今の自分の年齢より若い歳で書かれたものが多くて、そういうのを読むと、なんかちょっと物足りない。
黒崎 それは島田先生が偉いからじゃないですか。
島田 偉いからじゃなくて。「若いな」と感じるということですよ。漱石だって49歳で亡くなっているじゃないですか。
黒崎 そうですねえ。
島田 49歳を超える前に漱石を読んでいた時に比べて、その歳を超えてからは、漱石に関心を持てなくなっている気がして。多々あるんですよ。古典とされているんだけど、「若いな」っていう。できた年月は古いけど、書かれたのが著者の20代とか30代だったりすると、若いから、崇め奉るというより。
黒崎 確かに、文学系と思想系だとちょっと違うかもね。文学系だと、ものに対する人生の考え方というのはもろに、出るわけじゃないですか。そしたら20歳の時の漱石は青いなと我々も思うかもしれません。でも、思想に関して言うと、カントなんか遅咲きで、『純粋理性批判』を書いたのは60近いし、逆にヘーゲルは早咲きで30代で『精神現象学』を書いている。たまに、若い時の作品だよな、っていうのもないわけではないけれども、なるほどね。私はあまりそういうことは考えたことはなかった。でも島田さんは物書きだし、漱石もこう来た、俺もこう来たとか同一視するところもあるかもしれませんね。
島田 音楽に関してはそういう感覚ってないんです。コルトレーンだって、この時って30代後半でしょう。
黒崎 なるほど。演奏家で言ったらソニー・ロリンズなんて長い演奏歴じゃないですか。若い頃は本当に固かったけれども、ロリンズ自身がだんだん変化していく。そういう意味での年齢はどうなんでしょう。そして、それを聴くのはどういう意味があるのか……。
島田 では、どういう曲かを確認するために、ビル・エヴァンスで「マイ・フーリッシュ・ハート」を聴きましょう。
〜ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビィ』より「マイ・フーリッシュ・ハート」をストリーミングTIDALで聴く〜
システム:LINN KLIMAX EXAKT 350
島田 オーディオショウやオーディオ店で試聴する時にこれがかかっている。
これが、現代になるとこういうものになる。今度はチック・コリアです。
〜チック・コリア『トリロジー』より「マイ・フーリッシュ・ハート」をストリーミングTIDALで聴く〜
システム:TIDAL、LINN KLIMAX SYSTEM HUB 、LINN KLIMAX EXAKT 350
変化するジャズのあり方
島田 ビル・エヴァンスの「マイ・フーリッシュ・ハート」は名演奏ですけれども、当時真剣に聴かれていたか分からない。
黒崎 だから後ろでガチャガチャ食器の音がしているんですよね。
島田 そう、聴衆は名演奏だと認識していなかったかもしれない。で、そういう音楽が、現代になってくるとね、ジャズのあり方が変わって来ているじゃないですか。真剣に聴く音楽ではなくなって来て、ジャズというフォーマットの中に、いろんな要素を入れている。
チック・コリアの場合、ギターは、一時盟友でもあったパコ・デ・ルシアが亡くなってしまったから、代わりに似たようなギタリストを入れています。
黒崎 尺八のようなフルートも入っている。
島田 そう。なかなか面白いんです。この『トリロジー』は、基本はチック・コリアのトリオ。クリスチャン・マクブライドというベースとブライアン・ブレイドというドラムスとチック・コリアがやっているところに、ゲストがたまに入ってくるという演奏です。これ自体はとてもいいし、チック・コリアが最近になっていい感じ。チック・コリアというのは、一部ではカルト宗教と言われている「サイエントロジー」の信者なんです。
黒崎 現代のジャズも、嫌だと思わない、いいですけれども……。
一同 (笑)
島田 正直に言って!
黒崎 つまりね、「マイ・フーリッシュ・ハート」で言えば、最初にかけたビル・エヴァンスのが象徴的であるように、ジャズの黄金時代があって、それへのトリビュートとかね、そういう形でやっと生き延びているっていうか、そうとも言い切れませんけれど……。
島田 誰に文句言っているの?
黒崎 いやいや、島田さんに。新しいジャズにも意味があるでしょ、って言うことに対して、これは2016年に演奏されるジャズだけど、60年代の遺産との関係でやっているわけですね。そういうことを一切抜きにしたジャズってどういうものがありますかね? スタンダードナンバーを重ねていくというと、連続感があるでしょう?
島田 そういう側面もあるけれども、あらゆる音楽が過去の音楽を踏まえることによって成り立っていると思いませんか?
黒崎 そういう意味では、70年以降終わっているという言い方は失礼でしたね。