哲学者と宗教学者でおくる注目イベント
黒崎政男×島田裕巳のオーディオ哲学宗教談義 Season2「存在とはメンテナンスである」<第3回>
感覚の快楽、音の愉悦
黒崎 で、ショルティのストラヴィンスキーの「春祭」。こちらも昔の装置で聞いたら、非常に良くなかったんじゃないかと。どこをかければ感覚的な喜びを感じられるでしょうか。
リンジャパンスタッフ(古川) 「春の祭典」は、オーディオファンの方々はよく使っている音楽ですけれど、レコードの時代、ちょうど尺が一部と二部、A面とB面に分かれます。ファゴットのソロで始まるイントロダクションから、次の「春のきざし」へ行くところが割と定番なのですが、今日は昔でいうB面の2部のイントロダクションから、ちょっと炸裂するところを聴いていただきましょう。
黒崎 なんか、古川さんって、このレコードを作った人みたい(笑)。
一同(笑)
黒崎 名盤中の名盤と言われるレコードですね。ショルティがデッカで入れた。
〜ショルティ(指揮)『ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」』LPより「第1部 大地への讃仰 序曲」から「春のきざしと若い娘達の踊り」にかけてを聴く
「第2部 生贄」から「序曲〜若い娘たちの神秘的な集い」
システム:LINN KLIMAX LP12(+URIKAU)、LINN KLIMAX SYSTEM HUB 、OCTAVE V80SE+SUPER BLACKBOX、PIEGA Master Line Source 2
黒崎 こういう音楽は60年代、70年代、80年代は自分のプレーヤーではちゃんとは、というか、こんなに感覚的快楽を伴っては聴けなかったわけですよ。
島田 やっぱり精神の部分は蓄積的な、経験的な側面があるんじゃないの? それと一方で、黒崎さんの仰る「身体的喜び」その場、その場で聴いて楽しい、という世界ですね。でもその2つだけで覆っているわけではないでしょ? クラシックでいうと、この2つに当てはまらないものはあるの? あるいは、こういう音楽は聴かないというものはありますか。
黒崎 ショパンは何十年も嫌いだったんですよ。ショパンなんて、パンシロンとか、太田胃散のCMに使われていて、表面的なきれいさだけだと感じていたわけ。だからリパッティがワルツ集を録音していても、昔はあんまり聴き込んだりしなかった。最近、前奏曲を連続できちっと聴いたら、ショパンって素晴らしいなって思い始めました。今までだめだったものが広がって、良くなっていく。
ジャズも、私はライヴじゃなくてレコードだったので、最初はピアノしか聴けなかったの。ピアノしか理解できなかったというか、他は分からなかった。オスカー・ピーターソンばかり、高校生の時に聴いていた。サックスの音は最初、全然良さが分からなかった。
そのうちサックスが、良くなってきたわけ。前嫌いだったものが良くなると、より一層良いと思える。というか、こちらの感性が改変されてというか変化させられると、それはとても深く好きになる。一聴してすぐいいと思うものは、すぐに飽きる。それは自分の感性が変わらなくて済んでいるからね。そしてコルトレーンを追いかける。ロリンズを追っかける。ちょっと壁が高いけどチャーリー・パーカーまで。あ、俺、すっごく良く分かるようになったって。その良さが分かるまでは、何年も十数年もかかります。
それからヴォーカル。これも壁が高くて、ビリー・ホリディなんか最初はどこがいいんだか、まったく分からなかったわけ。いまは良くて良くてたまらないけど。
ジャズの場合だと、誰かひとりに夢中になるんです。3カ月くらいその人だけ聴いて、満足するとその次の人が出てきてそれ聴いて、って2〜30年やっていると大体ジャズは網羅できるようになるというか。
島田 逆に嫌いになっちゃうものはないの? 失うものとか。
黒崎 あんまりないんじゃないかな。
島田 どんどん増えていく。
黒崎 谷川俊太郎のお父さんの谷川徹三が、骨董について、こう書いています。「これが良くなってきた、これも良くなってきた、というのは、自分の目が落ちている」。見る目が適当になってきているから注意しろって。自分の人生やってきて、分かるものが広がっていくのは喜びで、音楽に関してもオーディオ装置の発展によって広がっていくのは嬉しいことですよね。
現代において、哲学とは何か?
島田 いつ勉強しているの?
黒崎 え? そ、それは超人的な時間の使い方で(笑)。
島田 研究は飽きたの?
黒崎 え。うーん。
島田 もういまじゃあ、カントっていう人に対して、全然言及しない。物事を考えるとき、カントに戻って考える必要がないみたい。
黒崎 最近、ちょっとそういう感じは否めないかも。
島田 黒崎さんがもし音楽の世界に出会っていなかったら、哲学者としてやることもないし。
黒崎 いや、骨董やっているから大丈夫!
島田 それは研究じゃないでしょう。
黒崎 哲学というのは、なにか固定した対象じゃなくて、態度というか姿勢というか、それが哲学的、ということだと。
島田 哲学に飽きたんだよね。哲学なんてもの、必要ないと。黒崎的問題だけじゃなくて、それこそ、昔の哲学、思想と言われていたものが、価値を失っていますよね。はっきり言うと。
黒崎 うーん、そういう側面もありますね。表面的にいえば、ベルリンの壁の崩壊と、ソ連の消滅があって、自由がいいのか平等がいいのか、資本主義か社会主義かなどの、価値観の中で考えた時に、一方が崩壊したので、思想として対決していく雰囲気が崩れるわけですよね。社会主義の思想であったマルクスが読まれなくなり、マルクスを支えるヘーゲル、皆ヘーゲルを読んでいたわけですよ、だけど……。
島田 今、ヘーゲルに共感する人がいたらおかしいでしょうってなっていますよね。
黒崎 あのね。Amazonで「ヘーゲル」って検索かけてみるでしょ、そしたら、ほとんど、新しい研究者の出版物がない。もちろん知り合いのヘーゲル研究者は数多くいますよ。でもヘーゲルは90年初頭ぐらいで急速なデフレ。カントの場合は『永遠平和のために』とか読まれ続けているけれども。
生きることと哲学することが一体だった旧制高校時代とか明治から大正、昭和にかけての西田幾多郎ブームって、皆、「直観はなんだ?」ってやっていた、そういう時代はとっくに終わっている。とっくに終わっているけれども、60年代、70年代は政治運動、共産主義の問題があって、イデオロギーって形、思想で考えてきた。でも、21世紀に入って、ますます「思想」が無力化していっているということは、感じられますよね。
島田 黒崎さんの場合は、音楽が救ってくれている。
黒崎 何? 哲学やることなくなったから音楽やっているって?(笑)
島田 本当に。骨董も音楽もそれを哲学っていう名前でなんとなくやっていると。
黒崎 哲学ってつければ、やったことになった、って形にして生き残ってきました。
一同 (笑)
黒崎 今、哲学科の学生も、カント研究、とかデカルト研究、なんていう哲学者を中心とした研究をする学生はほとんどいません。ファッションの哲学、とか、ディズニーランドを哲学する、とか。まあ人工知能の哲学、というのは今は極めて人気がありますが。そういう風に広がっているわけです。カントも言っているんですよ。哲学は「哲学」という名詞じゃないんだ、と。フィロゾフィーレン、「哲学する」という動詞として捉えるべきなんだ。言葉がそうなんですが、いつも現在進行形なんだ、と。あ、哲学者らしいことを言えました。
聴く側の感性のメンテナンス
島田 ちょっと1曲かけようか。コリー・ヘンリーというオルガニストの音楽を聴いていただきましょう。完全にゴスペル。ゴスペルのオルガン。僕がジャズを聴いてきた中でもあんまり聴かないタイプの音楽なんだけれども。ハモンドオルガンの音が、新しいオーディオ装置で聴くと、なかなか素晴らしいんだよね。
2016年の録音ですが、昨年2017年の東京ジャズに来ていました。
〜コリー・ヘンリー『リヴァイヴァル』TIDAL Flac 88.2kHz/24bitより「主の祈り」を聴く〜
システム:TIDAL、LINN KLIMAX DSM、OCTAVE V80SE+SUPER BLACKBOX、PIEGA Master Line Source 2
島田 ピエガで聴くと気持ちがいい。
ジャズって黒人の音楽から来ているわけだから、ゴスペルって入っているわけですけれども、そういう生きている音楽というものが、現代でも生き残っていくのかな、って気がするんですね。
キース・ジャレットとチック・コリアって同世代のピアニストがいる。彼らの大きな違いは、プエルトリコの生まれであるチックには、ゴスペルは入っていない。キース・ジャレットというのはゴスペルが根底にものすごくあって、それが彼の魅力になっている。
僕はキリスト教の信者ではないんだけれども、そういう音楽が評価できるし広がっていく。非常に面白いなと思っている。
黒崎 ジャズをやるモチベーションというのが、ゴスペルとか宗教性にあるのであればね、整理されるだろうと思う。今の音楽、悪くないし、その方向で意味がある気がするのね。
ただ、この演奏に関していえば、どういうオチにしたらいいかって迷いを感じる。ここで刺激を入れておこうとか。今は演奏者にとってもナチュラルにできない時代になってきている。クリエイトしながらやることが非常に難しい状況です。
島田 黒崎的文脈に沿うと、身体的快楽の音楽の方は、現代の奏者が演奏し、最新の録音技術でもって十分楽しめるわけでしょう? でも、精神性で聴く方は、やっぱりそういう演奏をできる人がもう出てこないでしょう?
黒崎 そう。この会のSeason1第2回でシューマンのピアノ四重奏曲のモノラル盤をかけた時に、島田さんが、すごくいい演奏だけれども、ホールもないし、メンタリティも今はおそらくなくなっているよね、って言ったことにつながりますね。
私が個人的に、5〜60年代初頭くらいまでの演奏こそが宝だ、と言うのは、そういうメンタリティ、演奏するモチベーションの意味がその時代まではあった、と。一方で身体的快楽的音楽っていうと簡単な言い方なんだけど、ガッティのマーラーなんかも、まだいける感じがする。というわけで、音楽を今後、演奏する人は大変です。
島田 聴く方は。
黒崎 聴く方はただ好きに選べばいいだけ。オーディオも良くなれば楽しめるし。
さて、今回は「存在はメンテナンスである」って威勢がいいことを言いましたが……。
島田 存在はメンテナンス、と言った時に、音楽やオーディオ装置という側面もあるけれども、聴く側の感性のメンテナンスが重要なんじゃないかなと思います。
黒崎さんが聴く音楽がいろいろ広がっていくと言ったけれども、広がっていけるだけの感性がないと。あるところまでしか聴けないと辛いものがある。
黒崎 物自体のメンテナンスもあるけれども、それに対する我々のメンテナンスいますか、変化、強い言葉だと切磋琢磨とか、改変とか、いつも育てているとかっていうことが必要かなと思います。
存在を語ると必ず、哲学ではそれを認識する認識の話になるわけだけれども、その意味では、「存在のメンテナンスは感性のメンテナンス」となるのではないでしょうか。
というわけで3回、どうもありがとうございました。
(哲学宗教談義 Season2 完)
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黒崎政男Profile 1954年仙台生まれ。哲学者。東京女子大学教授。 東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。 専門はカント哲学。人工知能、電子メディア、カオス、生命倫理などの現代的諸問題を哲学の観点から解明している。 「サイエンスZERO」「熱中時間〜忙中趣味あり」「午後のまりやーじゅ」などNHKのTV、ラジオにレギュラー出演するなど、テレビ、新聞、雑誌など幅広いメディアで活躍。 蓄音器とSPレコードコレクターとしても知られ、2013年から蓄音器とSPレコードを生放送で紹介する「教授の休日」(NHKラジオ第一、不定期)も今年で10回を数えた。 オーディオ歴50年。 著書に『哲学者クロサキの哲学する骨董』『哲学者クロサキの哲学超入門』『カント「純粋理性批判」入門』など多数。 |
島田裕巳Profile 1953年東京生まれ。宗教学者、作家。 東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。 専門は宗教学、宗教史。新宗教を中心に、宗教と社会・文化との関係について論じる書物を数多く刊行してきた。 かつてはNHKの「ナイトジャーナル」という番組で隔週「ジャズ評」をしていた。戯曲も書いており、『五人の帰れない男たち』と『水の味』は堺雅人主演で上映された。映画を通過儀礼の観点から分析した『映画は父を殺すためにある』といった著作もある。 『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)は30万部のベストセラーとなった。他に『宗教消滅』『反知性主義と新宗教』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『スマホが神になる』『戦後日本の宗教史』『日本人の死生観と葬儀』『日本宗教美術史』『自然葬のススメ』など多数。 |