邦画初ドルビービジョン。カラーグレーダーにインタビュー
『シン・ウルトラマン』UHD BD、監督も「劇場と同じ」と太鼓判! こだわり満載の制作過程を聞く
『シン・ゴジラ』と『シン・ウルトラマン』の違い、複数カメラ素材を用いた画の「狙い」
───お話いただいた考え方をふまえた上で、『シン・ウルトラマン』上映本編のカラーグレーディングについて質問です。CGパートや実写パート、「キャストがカメラを持って撮影する」といった 様々な “材料” が並んでいます。それらを一つの作品として取りまとめる上で配慮したポイント、最終的な仕上がりについて意識した点を教えてください。
齋藤 作品を観ればお気づきになると思いますが、様々な撮影素材を繋ぎ合わせるというスタイルは、2016年公開の『シン・ゴジラ』でもやっています。ALEXAのシネマカメラを始め、GoPro、iPhoneなど20台から30台くらいが混在した状態で撮影を行いました。当然、それぞれカメラのキャラクターが違うわけですから、カットごとに違ったカメラの質感が表れて、作品のキャラクターもコロコロ変わって見えてしまいます。
それが狙いになる時もあれば、見ている人からすれば「急に違う番組が始まった…」みたいな困惑も与えてしまう事もあります。実際にテレビ放送でCM→ドラマ→CMという流れを一連で見ていると、雰囲気の変わり方で無意識の内にCMが入ったことに気付きますよね。狙いの外でカットごとにシーンの質感が違うと、映画内で似た現象が起きてしまうわけです。
様々なカメラで撮った素材を一つの世界にまとめる難しさを『シン・ゴジラ』で経験できたのもあり、そこが『シン・ウルトラマン』の制作に活きているというところもあります。
『シン・ウルトラマン』でも撮影専門の方が回すカメラのほか、演出部の方が回すカメラなど、現場では膨大な種類のカメラを使用しています。「大きなカメラだと入れない位置にカメラを据える」ですとか、「小型カメラだからできるカメラワーク」、手元で計算されてないがゆえに表れる「ライヴ感」みたいな、カメラの種類を増やすことで、画としてのサプライズを求めるという庵野さんと樋口さんの意図は、十分に理解できていました。
それらを物語の中に違和感が無く繋げていくという作業は『シン・ゴジラ』の時よりも多かったといいますか、大事なポイントでしたね。『シン・ゴジラ』の時は、逃げ回る人の視点みたいなライヴ感や、喧騒感が重要で、極端な話をするとカメラの種類がバラバラでも良かったんです。
今回の『シン・ウルトラマン』の場合は、お芝居の中でカメラが混在しているという状況だったので、画の意図として喧騒感ということにはならない。上手くまとめないとシーンの流れで違和感となってしまうので、難易度が高かったですね。カメラフォーマットの違いをまとめ上げるテクニカルワーク、それを土台に映像のルックをまとめ上げるクリエイティブワーク、どちらが欠けても求める画は成立しませんでした。
───劇場で見た際も、アングル的に「これは特殊なカメラを使っているな」というシーンも繋ぎも違和感がなく、完成までの苦労を感じました。
齋藤 実際、最初は苦労しましたけど、庵野さんや、樋口さんの意図を汲んだ上で、観客目線でシーンを見て違和感がないかをチェックする客観性も重要でした。「こういう風にしたい」という作り手の想いも当然あると思いますが、観客目線でシーンが意図通り伝わるか否かというところです。
撮影現場に常に立ち会っているわけではないので、監督たちと比較すると、立場は観客に近い。フラットに見て「想いはわかるけど、そういう風には見えないですよ」という箇所があれば進言することもありました。
まさにカメラの混在が一因ですけど、iPhoneの画に「そのままの雰囲気でいいよ」と言われたとしても、直前までのカメラと編集で繋がった時に、「どう見てもiPhoneの映像でしょう」と気付く違和感があれば調整を掛けたい。その画が創作上の「狙い」であれば良いのですが、「今変な画があったな」と思われたら、その段階で観客が1回スクリーンから出てきちゃうんですよね。没入感が削がれてしまう。
僕は観客にそうさせたくないので、「これは(画の雰囲気を)揃えたほうが良いと思います」というような事も言ったりしました。そういった感じで特殊なカメラを使った撮影で、画調をそのままにする意図が汲み取りづらい場合には、進言した上でメインカメラ(シネマカメラ)のルックに基本は合わせています。
「監督陣に応えたい」テクニカルな部分を詰め、クリエイティブに回す時間を創出
───CGパートのグレーディングにおいて何か指示はありましたか?
齋藤 樋口さんの指示で、合成の上がりに対してアレンジしていくという流れでした。グレーディングで何かを補うのは、言ってみれば最終手段なので、合成チェックに同席させてもらい、最終的な画の完成度を高める為に僕の方から意見を出すということも多々ありました。
───合成段階の意見というのは、カラーグレーディングの段階ではどうにもならない箇所をあらかじめ伝えておき、後段まとめ上げる際に、より画を引き立たせるといった感じのものでしょうか?
齋藤 そうですね。ネガティブな意見というよりは、画をもっと良くする可能性として、カラーグレーディングで僕ができることなのか、合成上でやるべきなのか、という目指すクオリティに対して、どちらでやるのがベストかという考え方になります。
合成までわざわざ戻らなくても、僕のグレーディングのアプローチで済んでしまうこともあれば、僕の方で簡易的にそういうことができるけど、これは合成まで戻ればもっと高いレベルで詰められるということがあれば、あえて進言させてもらうこともありました。全ては「良い画にするためにはどうするべきか?」という試行錯誤ですね。
───スタッフインタビューで語られていたような、CG素材の度重なるブラッシュアップ作業など、最後までこだわり抜いて作られた作品という印象ですが、グレーディング作業の段に大きく影響はありましたでしょうか?
齋藤 一体となって作業を進めていくところがあったので、影響というのはありませんでしたね。例えば合成のプロセスでは、カメラの種類や撮影条件の違い、どのシーンにこの素材を使うのかを把握した上で、メインカメラの画調にマッチングさせて合成素材として渡すという作業があります。場合によっては、全く違う用途で撮った画を他のシーンに流用するということもあり、画調を流用先にマッチさせる作業も発生しました。
そういったように、合成前素材のマッチング・整理というのをすべての素材に対して行っているので、前段の作業待ちや、バトンを渡されるという感覚は無かったです。
あとは、制作上の問題として表出する前に、問題になると予想される要素を上流から叩けるか否かが重要ですね。そういう要素というのは放置していると段々肥大化していきます。早い段階でそういった部分をテクニカルな要素で叩いておいて、終盤戦はクリエイティブなことに集中できるような環境を構築するというのも大きなポイントです。
本作のように作品の規模や、スタッフの動員数が大きいタイトルで、テクニカルな事をルーズにしていると、終盤戦でテクニカルなトラブルに巻き込まれることがあります。参加されているスタッフが多い分、それぞれのやり方や、いろいろな想いがあります。想いは思いっきり発揮してもらいたいですが、テクニカルな部分がとっ散らかってしまうと、それが発揮できない。
樋口組・庵野組というチームには、長い年月ご一緒させて頂いているスタッフが多く居ますが、そこにお互いの信頼感や、距離感というのが他の座組より近しいというか、言いたいことをちゃんと言える環境があるチームだなあと感じます。
なので、素材に関してこういう風にまとめて渡さなきゃというのを、言われてやっているのではなく、「こういう部分で苦労しちゃうからこうしておいた方がいいな」というシミュレーションが出来ていて、託す段階で起こり得るトラブルを想定して整理していくという流れが出来上がっています。
毎回毎回、前作の反省を踏まえながら、作業やテクニックをブラッシュアップしているつもりですけど、それでもやっぱり時間が足りなくなりますね。それは当たり前のことだと都度納得しています。ほぼ無限にやりたいことがあるお二人なので(笑)。
でもその二人が何処までの力を発揮できるかというのも、今言った細かい下地になるテクニカルな部分を少しずつ積み上げていくと、最後に粘れる時間が少しずつ増えていくわけです。少しずつ積み重ねていくと、もう一回リテイクができるか否かという回数に関わってきます。
そこを1日でも2日でも稼いであげたいというのがあるし、稼いだところで全部使われちゃうんですけど(笑)。