オーディオの世界はとても幅広くなってきている。オーディオビジュアルの進化、そしてデジタルオーディオの一般化により、大きく変化してきたわけだ。本格ピュアオーディオを頂点に、ホームシアター、ミニシステム、ポータブルデジタルプレーヤー、携帯電話とその意味する幅は広い。それに合わせたソフトもCD、DVD、配信系形を含めて多種多様。耳へのインターフェイスは、スピーカーからヘッドホンに移りつつあるのも現実だ。ここではその幅広いオーディオの原点を見直す意味で、ピュアオーディオ、特に2チャンネルステレオ録音・再生の大御所といえる菅野沖彦さんに登場していただき、そのオーディオの中で、より音楽再生と、人間の感動に根付いたピュアオーディオの楽しさ、奥深さを熱く語って頂く。(編集部)
一言で、オーディオという言葉で括られるジャンルがあります。スピーカーもそうですし、ヘッドホン、イヤホンも広義のオーディオといえるわけです。しかしこれからお話ししていこうとしているオーディオというのは、その中で特に音の美しさとか、音楽の魅力に、焦点を絞った趣味の話です。音があることが前提のお話しですが、音が持つ独特の魅力、ちょっと難しくはなりますが、音というのは抽象である、という魅力についてです。殆ど私たちの身の回りにあるものは具象です。見えて形のわかるものですね。抽象というものは見えないものですが、一端理解してしまうと無限の広がりのある魅力を秘めています。そこが趣味のオーディオの、一番の人を惹きつけて止まない特質です。抽象というのは先ほどの様に、見えない、触れないものですから、それが私たちの知覚、イマジネーションに作用して、心象を作り出します。その心象がない限り「無」なのです。音を聴いて何も感じなければ、俗に言う馬の耳に念仏、馬耳東風に過ぎません。
さてその普段聴いている音から、何かの意味や魅力を見つけるには、ある程度の訓練が必要になります。その始めは音や音楽に対する関心です。普段我々が接しているものの中で、これに近いものとして挙げられるものは、五感の中で、味、味覚でしょうね。様々な意味で一番近いと思います。味は、食べれば誰でも味わえるものですが、その中でグルメという趣味にもなり得るわけです。特に味の魅力というのは百人いれば、みんな同じ感じ方をするのではなくて、百通りの感じ方があります。特に関心の強い人がグルメとなるわけです。音もそれと同じです。健常者であれば、誰でも音は聞こえます。その中で、その音の意味とか美しさを聞き分けられるのは、極く一部の人、ということはしかたがないことでしょう。その意味では、抽象の世界というのは、人間の持っている認識の弱い世界ではあります。
認識の弱い、抽象の音を素材としてできあがったものが、他のどんな芸術とも違う音楽芸術という世界なのです。音楽芸術が他の芸術と比して、どうのこうのという必要はありませんが、抽象であるということが際限のない広がりを持つことになります。その広がりと密接に結びつく趣味がオーディオの趣味だといえるわけです。
際限がないから奥行きが深い。自分で開拓して、掘り下げていく世界といいますか、悪く言えば自己満足の世界(人がやることは全てがそうですが...)。自己満足なるがゆえに、その欲求が強く高ければ、常にエンドレスなわけです。その抽象的な心象の世界に、現代を代表するメカトロニクス、オプト・メカトロニクスという明晰な先端技術が結びついているところが、オーディオの独特の魅力でしょうね。
頭の中の際限のない抽象の世界、というと現実的なハードウェアと無縁のように感じます。ところがその形がないものを、最先端のオプト・メカトロニクスと結びつけ、始めて人に、魅力として感じさせるわけです。当然ですが、そうした高度に難しい世界を録音し、再生する機械、ここで言う機械は、メカニズムという意味だけではなく、それを実現する仕掛け全体のことですが、この仕掛けは非常に高度なものといえます。抽象に結びついた不思議で高度なものです。機械といえば、人間の運動の代行をしたり、何か利便性を与えるもののように思いますが、オーディオ機器はそれとは全く違います。私たちの頭と心〜感性や情緒に直接働きかける機能を持つ、とても変わった機械といえるでしょう。感性を通して、得体の知れない人の心を動かす不思議な機械といえます。電気を使っていたり、電気屋さんで扱っていたりするので、電気製品と思われる方も多いでしょうが、月並みな電気製品とは全く次元を異にする、人の心に密接に結びつく特殊な機械だと考えています。
以下、第二回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)