編集部から「自分で買った最初のレコードは何か」という質問を頂きました。遡って思い出すと、お小遣いを貰って買ったので、厳密には自分で買ったとはいえませんが、取り敢えずお金を握りしめて西荻窪駅前の村上堂に行き「これ下さい」といって買ったのは、軍歌か漫画のレコードだったと思います。漫画というのは田河水泡の「のらくろ」で、今でいうアニメのレコード版でした。その頃は映像がないため、音だけでドラマを作ったわけです。日本が太平洋戦争に突入する直前、中国で戦端を開いた頃だったのでしょう。のらくろは時代とともに2等兵から階級が上がっていきます。私が聞いた頃は、確か伍長の時代の話でした。将来は将校まで出世することになりますね。
本当の意味で自分でレコードを買ったのは、第二次世界大戦が終わってからのことです。戦争が終わってしばらくは日本のレコード会社は活動していませんでしたから、新品のレコードは入手できません、当然中古を探すわけです。当時中野が中古レコードの聖地で、駅前にいくつかの中古レコード店がありました。本当は神田に行けばいいのでしょうが、電車賃がかかるし時間もかかるので、中野をよく回っていました。
中古の洋楽で何が一番初めかはよく憶えていませんが、ブルーノ・ワルター指揮のウィーンフィルが演奏した「ベートーベン/交響曲第6番・田園」を買ったのはよく憶えています。SP盤5枚のアルバムで、稲穂のマークの付いたものでした。そのほかでは、やはりブルーノ・ワルターとヴァルター・ギーゼキングの録音した「ベートーベン/ピアノ協奏曲第5番・皇帝」も忘れられませんね。これもSPレコードでした。前にお話しした「美しき水車小屋の娘」はその後のLP時代の、印象的な体験となったわけです。
その頃、私にとって、今思うと慚愧に堪えないことがありました。それは父親から譲り受けたかなりの枚数のクラシック音楽のSPレコードコレクションを、ある時、すべてLPレコードに換えてしまったことです。自分の部屋の中に足の踏み場もないほど在った大量のSPレコードが、一山のLPレコードに変わってしまったのですが、後から大変に後悔しました。それ以来レコードは売るものではないと思い直し、取っておくことにしています。部屋の中に溜まっていって大変なのですが。
話をウエストミンスターのLPレコードに戻します。ペトレ・ムンテアヌに関しては、その後にリリースされた「シューベルト/白鳥の歌」はもちろん入手しました。ただペトレは結局「冬の旅」は吹き込むことはなかったようで、三大歌曲集は揃いませんでしたね。もちろんウエストミンスター・レーベルに関しては、以前申し上げたように注目していましたので、そこからリリースされるレコードの数々、たとえばピアニストとして名高いパウル・パドゥラ=スコダやアントニオ・ヤニグロというチェリスト、そして高名なチェリストであるピエール・フルニエの弟でバイオリニストのジャン・フルニエの3人による「ベートーベン/大公トリオ」は、演奏も美しいものでしたが、特に録音も素晴らしいものでした。私が後年録音を考える上での、理想とか原点であった思います。私にとってウエストミンスターはひときわ、輝くレーベルでした。
以下、第50回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)