よく言われるのが、オーディオ再生は生演奏の代用である、ということです。生演奏が上でレコードが下というわけです。確かに演奏がなければ、レコードやCDもないわけです。しかし、どちらも音楽の本質は同じであり、それぞれに価値を持っています。鑑賞形態と条件のカテゴリーが違いであることを認識する必要があります。この認識が不足しているから音楽ファン、イコール、レコードオーディオのファンではないのでしょう。また、困ったことですが、オーディオファンが必ずしも音楽ファンでないことも、ままあります。オーディオ装置は大変立派なものをそろえているのに、レコード(録音物=アナログレコード、CD等のメディアの意味)は僅かしかないというオーディオファンも確かにいますね。生もレコードも音楽の本質は同じですが、それぞれに、音楽の鑑賞手段としての固有性と独自性をもっていると考えるのがよいと思います。
生演奏とレコード再生の関係において、「ライブはレコードにない感動がある」とよく言われます。それは、一面、本当だと思いますが、音楽による感動の本質的な問題や価値では同じだと思います。音楽の本質は音に託されて伝わる心から心へのメッセージです。音楽を演奏することは、演奏の心を空気の波動を通して聞く人の心に伝えることです。音楽の演奏を聴くということは、同じように空気の波動をとおして演奏の心を自分の心に響かせることです。その音や心という姿形のないものは、演奏者と聴き手が、フェイス・トゥ・フェイスで対峙して生まれるものですから「音楽はライブだよ」とおっしゃる方は、対面している事実を確認して「心を感じたいんだよ」と言われるのでしょう。しかし、問題は全て音なのです。
レコードの中には、確かに演奏の心を失ったものもありますし、機械・電気のプロセスを経たメディア音楽だという先入観があると、そこに心が記録されていたとしても、そうは思えなくなってしまうこともあるかもしれません。しかし、録音は演奏者の心を記録することが可能ですし、生でしか心が伝わらないというものでもないし、生でも十分豊かに心が伝わらない演奏もあります。危険なことに、レコードやオーディオに間違った偏見や先入観を持っていると、もう心は通じません。レコードを聴く時は、謙虚な姿勢と、音楽として本物であるという認識、さらにはそれらに対する敬意がなければ、心は伝わりにくいもなのです。
それはオーディオやレコードに対して高い価値観を持たなければ、あり得ないことです。レコードを単なる記録物と考えていたり、オーディオ機器を単なる電気製品と思っていたら、そこから出る音楽に心を感じることは難しいかもしれません。オーディオ製品を選ぶ場合も、できるだけ安上がりにしようとか、価格勝負というような姿勢が、そもそも、この世界に価値を認めていない証拠で、そういう聴き手に音楽演奏の心が伝わるわけはないのです。
本当にレコードに対して敬意を払い、本物の心が込められているメディアだと信じる謙虚な姿勢と集中力でスピーカーから出る音に臨めば、優れた音楽メディアなら必ず演奏者の心も記録されていて、それが聴き手に伝わるはずです。もし、それが伝わらない場合は、聴き手側の何かが足りないと思う謙虚さが必要ですね。レコードとオーディオで一度でも音楽的感動を体験すれば、必ずや、このことを信じることが出来るでしょう。成功体験ですね。
音楽の音は一回性なるが故に貴重です。その貴重さや希少性がライヴです。それも含めてライブには、心が伝わる、感動する条件やお膳立てが具体的なリアリティーとして整っています。オーディオにあるのは純粋に音だけですから、それらが欠けていますが、反面、音だけによる純粋さと、その貴重な一回性を繰り返し聴くことができるマジックがあります。それは、ライブとは正反対で、同じ演奏を繰り返し聴く度で理解が深まり、より豊かに心が伝わり、また新たに感動できるという特質もあるわけです。これはライブでは不可能なことです。こういう楽しみと感動がオーディオ趣味の極致と言ってもいいでしょう。
以下、第5回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)