前回述べたような経緯で私はオーディオアンプの製作に進みました。当時、できあがったアンプを学校に持ち込み、レコードコンサートを開いたりもしたものです。その頃、いろいろな人と出会ったり、お世話になったりしました。オーディオ輸入代理店(株)エレクトリの創業者、故、服部一郎さんもその一人でした。高校の1年先輩で物理部におられた同好の士です。服部さんからは、オーディオのパーツを調達して貰いました。その頃から商才があったのでしょうね。神田で仕入れては、我々仲間に供給するわけです。
中学、高校と同級生だった江川三郎君には特別、お世話になりました。彼は私のアンプ作りの先生でした。何しろ、彼のお父さんは芝浦工業大学教授。彼の2人お兄さん達も技術者で、当時は、一家でラジオやアンプの製作修理をしていました。ですから、彼の家に行くと、テスター、オッシログラフから、バルボル、巻線機まで揃っていたのです。江川君とは我が家で一緒にアンプ作りに明け暮れていた時代がありましたが、その後、志向の違いで、同じオーディオでも随分違う道を歩んでいますが、オーディオ仲間であることは間違いありません。
その頃はSPレコードの時代でした。音楽は私の一番の趣味でしたから、とにかくレコードが欲しかった。父から小遣いを貰い、あるいはアルバイトをして買うわけですが、当時は、アルバイトなどの仕事はあまりなく、お金を稼ぐのは今のように楽ではありませんでしたね。ワルター、フルトヴェングラー、ワインガルトナーといった指揮者達のベートーヴェンの交響曲が欲しかったですね。その交響曲1曲は、大体SP4〜5枚の上製のアルバムになりますが、これを買うのが大変でした。一夏アルバイトをして、2曲、2刷のアルバムを買うのがやっとでした。ただし、その頃、SPレコードは、新品は売っていません。大戦前の中古盤なのですが、3段階のグレードがありました。ちゃんとした材料を使った漆黒の艶のある本番、戦争で物資が欠乏し始め、少し混ぜものが入った特盤、相当具合が悪くなった頃、混ぜものが多く使われて、茶色に近い色になったN盤です。特盤、N盤ともにレーベルに近い無音溝の部分に刻印がありました。この3種で音やノイズが大きく違うわけです。あまり使っていない本盤で、中央の穴周りにスピンドル跡のない、程度の良いものは得難いし、かなり高価だったことを記憶しています。私のレコードの聖地は中野界隈。もちろん本当は神田なのですが、電車賃も掛かるので、杉並に住んでいた関係から中野でした。そこの中古レコード店を何軒も歩き回って探して買うのが、当時の私にとっては究極の楽しみであり、贅沢でした。
当時買って聴いたSPレコードは、どれも忘れられないものばかりです。中でも特に忘れられないレコードは、ロート・クワルテットによるシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」全曲アルバム。本当はワルターのベートヴェン第6交響曲「田園」を買うために、やっとの思いで父から小遣いを貰いレコード店に行きました。ところが、目的のものが、売れてしまっていたので、枚数も同じ5枚組で、価格も同等の、これも、かねてから欲しいと思っていた「死と乙女」があったので買って帰ったのです。これを知った父には酷く叱られました。「目的のものがなかったら、一度帰って相談してからにしろ」というわけです。同じようなものでも、無断で別のものを買うのは曲げることだと叱られたのです。お店に返品に行ったら店主から「それは、お父さんが正しい」と、そこでも、たしなめられ、快く返品に応じてくれた...ということで忘れられない思い出なのです。
クローズアップした稲穂の柄が箔押しされている表紙の、ワルター指揮ウイーンフィルのベートーベンの交響曲第6番「田園」、やはりワルターとギーゼキングのベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、そしてシゲティのベートーベンのヴァイオリン協奏曲、シュナーベルとプロアルテのシューベルトの五重奏曲「ます」などは、特に思い出深いSPレコードです。
以下、第9回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)