一時的に音楽とオーディオの仕事から離れ、アメリカ人の友人が経営する外資系の貿易会社に勤めたわけです。3年間勤めました。私が唯一音から離れた時代です。ここで様々なことを経験し学びました。ですが、どうしても、「音楽制作とオーディオ」という夢を捨てがたく、この職を辞し、結局1年間浪人生活をすることになりました。
その間レコード会社からの話は、いろいろありました。でも当時のレコード会社の仕事、特に私の関わりたかった、クラシックやジャズの分野の仕事は、カタログからタイトルを選んで、マスターを取り寄せて、工場にまわし、ジャケットの印刷を依頼するといったもので、私が関わりたい、録音制作の仕事はほとんどありません。あるとすれば歌謡曲や邦楽でした。悩んでいた時に、フランスのアシェット社が朝日新聞と組んで、新しいメディアのソノシートを作り、音の出る雑誌として出版するという話が舞い込みました。これなら録音制作もできるだろうし、紙の編集もできるということで、今までやって来た経験をそのまま生かせる、まさに私にぴったりの仕事に思えました。朝日新聞には、音を扱える「音屋」がいない、ということでその朝日ソノラマを出版する朝日ソノプレス社に入社することになりました。これが私の音楽とオーディオの人生に、決定的な転機になったわけです。
ソノシートはご存知のように、アナログレコードと同じ溝が刻まれた、ぺらぺらのビニールシートですが、プレス工程の前の原盤までは、全く通常のレコード制作と同じ工程なのです。これは私がやりたかったレコード制作そのものでした。
月刊朝日ソノラマは、音が出る雑誌というのが基本で、編集記事とリンクする音の入った、ソノシートが数枚付属する雑誌です。その編集部は、朝日新聞と朝日放送からの出向社員、そして私のような新しい人材で構成されていました。生産工場は、レコードのプレス工場ではなく、本文の印刷と同じ、凸版印刷が担当しました。先ほど記したように、私くらいしか「音屋」がいないので、それは大変な忙しさで、何でもやりました。録音、編集、マスタリングなど、凸版にわたす原盤まで、すべてやりました。これが後々の私の仕事の基礎になったわけです。
もう少し詳しくソノシートに触れておきましょう。原理はアナログレコードそのものですが、印刷技術の応用で、大量生産を可能にしたものです。生産工場の凸版印刷は、新聞と同じ大型の輪転機を開発し、大判の紙の代わりに、大型のビニールシートのロールからソノシートを印刷するように作ったわけです。サイズは7インチ盤のみで、最初は片面だけに、記録されていました。
内容は、政治、経済、社会、スポーツ、芸術などで、ソノシートの内容は音楽だけではないのです。もちろん音楽もありました。後に、安価に大量生産できるソノシートの特質を生かして、大規模な音楽全集や楽器の教則本等の出版も手掛けるようになりました。そこでベストセラーになった代表的なもののお話しをしましょう。
それは、あの有名な、初めてピアノを習う子供の教則本「バイエル全曲集」です。いまでこそ、いろいろな音楽の教則本が溢れていますが、当時は、バイエルを録音して発売するという発想はありませんでした。レコードにするのは名演奏家が演奏する名曲であり、名演奏家が弾くバイエルというのはあり得ませんでした。私はこれを当時、バッハの権威で芸術会員の豊増昇氏に依頼してバイエル全106曲の全曲録音を実現しました。これが何と、50万部の大ヒットとなりました。
*菅野氏と朝日ソノラマとの関わりは、現在発売中の「季刊analog17号」において詳しい記事が掲載されています。是非御併読ください。
以下、第11回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)