ピアノの大家が弾く、全106曲の「バイエル全曲集」は大ヒット になりました。その後、ギターのカルカッシを始めヴァイオリンの鈴木慎一メソッドのソフトなどを出版して、その後の大ブームを作り出しました。この、今までなかった模範演奏付きの音楽教則本の出版が成功したのは、ソノシートの特質があったからです。安く早く大量にできるという特質です。
私はこの特質を生かしてもう一つの方向にも挑戦しました。月刊朝日ソノラマでは、政治、経済から芸術まで、様々なものを録音していましたが、その中の音楽ものはほとんど私が手掛けていたわけです。ということで、教則本から一歩進めて、邦人演奏家による音楽ものの録音を企画しました。もちろん当時は、日本ビクター、日本コロムビア、キングなどのレコード会社が、優れた海外レーベルのLPレコードを出していましたが、ジャズやクラシックは、海外の演奏家のものが中心でした。そこで日本の演奏家の録音を積極的に進めたわけです。おかげさまで、この頃、日本の音楽家と大勢知り合いになることができました。ジャズから映画音楽、そしてクラシックの音楽家達とのつきあいに範囲は広かったといえます。
オーディオの再生システムはコンソール型ステレオが家庭に入り始めた時代でした。朝日ソノラマがでてから、多くの会社が、ソノシートを使った出版物を盛んに作るようになりました。小学館、筑摩書房などをはじめとして、ソノシートが数多く出版されたものです。プレスはほとんど凸版印刷が生産していたようです。ですから、凸版印刷は、板橋工場に専用ラインを設置して、大量プレスをしていました。新聞の輪転機と同様の機械で大判のビニールシートのロールを回してプレスするわけですから、圧倒的なスピードと量産性だったといえます。言ってみれば、その頃のマルチメディアというか、最先端のメディアでしたね。
ソノシートは最初モノラル盤でした。その後ステレオ時代が本格的になったために、ソノシートもステレオプレスをするようになりました。しかしそこで大問題が起きました。ソノシートは輪転機にかけた、ビニールのロールを回し、プレス前に熱を加え柔らかくしてプレスするわけです。通常のレコードもプレスと言ってはいますが、概念的には、スタンパーとスタンパーの隙間にビニールを熱し流し込むモールディングに近い方式です。そこではステレオ化は何の問題もありませんでした。しかし、ソノシートは先ほど説明したように、一度平面シートに加工されたものに熱を加えて圧力で溝を成型します。ご存じのようにステレオは左右に45度/45度のステレオ溝でなければなりませんが、ソノシートは、冷却後しばらくすると、ビニールの特性で、溝が元の平面シートに戻ろうという力が働きいて広がり、ステレオ溝の45/45の角度が維持できなくなります。その結果、針が、溝の底を擦って、ノイズを発生させたり、45/45の左右信号の入っている、左右のステレオ信号をうまく拾えないなどのトラブルが続出しました。モノラル時代にも、平面に戻る同じ現象は起こっていましたが、溝がが水平の横波なので問題なく再生できたわけです。これには大変苦労させられました。音に関するクレームは録音制作者にくるわけですから。この問題も結果的には、凸版印刷の協力で、材料を厚くし、プレスとモールドの中間の方式のような機械を開発することにより、結果的にはソノシートのステレオもうまくいきました。
こうして、今、振り返るとレコード制作の1から10まで、アーティストのブッキングから、録音原盤の制作、パッケージの編集、それらの手作業から工場レベルの仕事まで体験したのは、この世界でも、多分私だけではないでしょうか。これは、その後の私にとって大変貴重な体験となりました。
*菅野氏と朝日ソノラマとの関わりは、現在発売中の「季刊analog17号」において詳しい記事が掲載されています。是非御併読ください。
以下、第12回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)