オーディオにおいてのブランドとサウンドの関わりについてお話ししましょう。オーディオだけではなく、様々なジャンルで、商品にはブランドがありますが、ブランドには大きな誤解もあるように思われます。
そもそも、ブランドというものは、あるものを作った人間が、「これは私が作りました」という証しとして付けるものです。そして、その仕事が優れていて、歳月をかけた積み重ねが信頼を築き、意味を持ってきて、有名なブランドになるのです。単に名前を付けただけではブランドとはいえません。
オーディオ関して言えば、作る人間が止むに止まれぬ思いと、自分の信じる技術のオリジナリティが原点になければ、立派なオーディオ機器とはいえないと考えます。そうして、そのような熱意と優れた技術の込められた機器は、必ず魅力を感じさせるものなのです。オーディオは産業ですから、個人の作品を製品化して、ある程度量産化しなければなりません。その製品がマーケットでの認知を得て普遍的に、時間的に継続して社会で信用を得るようになれば、その名称がブランドと呼ばれるものになるし、それらを生み出す企業には、別に社名がある場合もあります。ブランドと社名は異なる場合も同じ場合もありますが、いずれにしても、ブランドとは、そういう実績と内容を持たねばならないのではないでしょうか。
このように、ブランドというものは、意味と責任をもつものですから、反面、大きな危険性も併せ持ちます。中身がないのに、ブランドだけが一人歩きしている例はその典型ですね。現在の経済状況での、社会構造にでは、ブランドのもつ危険性は大きいと言わざるを得ません。
私は、客観的な第三者的な、何がなんだかわからない抽象的なブランドが好きではありません。作った人の名前をブランド名にすべきだと考えています。
ブランドについて、もう一つ大事なポイントがあります。ブランドというのは、その商品を評価して買って使う人間が作り上げていくものだ、ということです。作る人間の独りよがりだけで成立するものではない、ということです。ユーザーが、その商品をいかに評価し、価値を認めるかが重要なのです。そこで忘れてはならないのがブランドの年数です。昨日今日できたブランドがまともなブランドであるわけはありません。ブランドという言葉で表される内容と意味は、一朝一夕にしてできるわけではないのです。
現代の日本において、このブランド観が歪んでいるのではなかろうか、と思うことがありますす。これはオーディオに限りませんが、価値と価格の高いブランドものを買う、使うには、その人の資格が問われるのではないでしょうか。誰にでも買えるような、安いものだけを作っているようなメーカーのブランドはそれなりの価値と価格であり、大衆的なブランドとして有名にはなっても、高級ブランドになるわけがありません。誰にも買えない高価なものと、高級ブランドは矛盾しないのです。そうした意味でブランドというものは、使う人の力や能力の象徴でもあると言えるでしょう。日本の場合、ブランド観が歪んでいると言ったのは、中学生や高校生の女の子が、高級ブランドのハンドバッグやアクセサリーを持っていたりする。その奇妙な現象が当たり前になっているように感じられるからです。
これはファッションの世界のことですが、同じようなことがオーディオの世界でもいえるかもしれません。使う資格、力のない人が、お金があるというだけで、ブランド品を買い漁る。そして、それが「あの人は、何々のオーナーだから力がある...」という評価にすり替わることがよくあります。「あの人はJBLのDD66000を持っているから、本格派だ..」という具合に、ブランドがその人の力や中味の説明にすり替わる。それほどブランドというのは重要である同時に、大きな誤解を生む、危険性を持つことになります。
以下、第14回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)