オーディオ製品のブランドというのは、作る人のオーディオへの止むに止まれぬ情熱と、自分の信じる技術とオリジナリティーを具現化したものです。その気持ちで作られるオーディオ機器でなければ、まともな製品とはいえないと思います。そういうブランド製品というものは使う人との協調というか、ある種のケミカライズによって力を発揮します。それがなければ、まあ「猫に小判」という例えがありますが、これでは勿体ないわけです。その猫みたいなユーザーが増えていくと、やがて、そのブランドの価値自体が落ちていきますね。というようにブランドというのは常に流動的で難しいものなのです。前回お話ししたように、現在のように、ブランドが持つ人の内面的価値を象徴するようになるとなおさらですね。
JBLを買った、マッキントッシュを持っている、あるいはゴールドムンドを使っているというだけで、その人は、優れたオーディオファイルである、凄い音を出す、と思ったら大間違いです。フェラーリを買ったら誰でも早く走れるのか?ポルシェを買ったら、誰でもレースで勝てるようになるのか?という例えがわかりやすいでしょう。それでは、事故を起こして死ぬのが関の山でしょう。それどころか、エンジンをかけて走り出したとたん、エンジンストールして、止まってしまうかもしれません。技術のない人は、その辺の普通の自動車に乗っていた方がいい。これは全くオーディオでも同じ事なのです。私は幸いなことに、この数十年で、数百人の熱心なオーディオファイルを、日本列島の北から南まで訪ねることができました。一度も行っていない県はありません。その中で半分の方が、何とかその所有する機器に見合った音を出しておられました。そして、残りの半分は、まだまだその機器の持つ可能性を発揮し得ていなかった...。おおざっぱに言ってそんな感じです。もちろん訪ねる前には、雑誌で紹介するに値する人であるかどうかを調べてから出かけるわけですが...。それでさえこれが現実です。
そこで得られた現実は、世評の高級なブランドの製品が、その実力に見合った凄い音を出している例は数少なく、皮肉にもその逆が多いということでした。それよりごく普通の製品を使っているのほうが、熱心に鳴らし込み、素晴らしい音を出しているケースが多かったですね。そういった実体験をするにつれ、つくづく、ブランドというものは難しいものだなと思います。
音というものはそれに関わった人の姿を映し出します。その保証として、ブランドというものに置き換えられたなら、確かにブランドは音なりといえます。逆に言えば、そのブランドさえ買えば、その音が手に入るということと短絡してしまいます。ここには大きな誤解と危険が潜んでいます。スタインウェイは弾き手によって、いい音が出るピアノとして有名なブランドですが、誰が弾いてもいい音で鳴るわけではありません。
かつて、私は、フランスのピエール・ブゾンという、素晴らしいピアニストを発見しました。レストランで弾いているのを聴いて、これは凄いピアノだろうと思って、ピアノのそばへ行って見ますと、銘機ではなく、ごく普通のブランドのピアノでした。これはピエール・ブゾンというピアニストが素晴らしい音で音楽を奏でていた、ということなのです。そこで私は、この人に素晴らしい音の名器を弾かせてみたいと考えました。そうして作ったレコードは今も忘れられない作品となっています。これはオーディオにも同じような事が言えるわけで、こと程左様に、ブランドというものは難しいものなのです。
以下、第15回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)