前回ピエール・ブゾンの話をしました。ありふれたピアノを弾いていた彼に、本当にいい銘器で弾かせたい、それを録音したいという思いに駆られ、レコードを作りました。お陰様で大好評を頂きましたし、私の大好きな作品の一つとなっています。ことほど左様に名ブランドの製品というのは質が問われるものであると同時に、それを使う人の質も選ぶわけで、そのバランスがフィフティ・フィフティが理想でしょう。そのバランスで、年月をかけて作り上げられていくのが本物のブランドと言えるのではないでしょうか。
こうして、せっかく作り上げられた名ブランドの価値を壊すことは悲劇なのです。いまやオーディオは産業になりました。産業が生み出す製品となると、オーディオのような特殊な趣味製品は、利益を追求する企業が、その文化芸術的な質を左右することになります。オーディオの特質というのは、大メーカーが大量に作り、大量に供給するという体質と合わない部分が多いのです。これは料理に例えればわかりやすいでしょう。本当に美味しい料理は、大量生産の大きなファミレスでは味わえませんね。やはり、選ばれた才能のある料理人が手塩にかけたもの作らなければ、その味は保てなくなるものです。一方で、逆の例もあります。それは誠心も才能もない人が作る料理よりも、大衆の好みの平均値をいく適切なレシピで、大量に作られたレトルト料理などの方が美味しいことが、ままあるものだということです。これらの話は大切なことを物語っています。
手作りや、小規模メーカーの製品なら全てがいいとは言えません。しかし、安価で簡便なオーディオ機器も結構ですが、大量生産、販売して、音楽ファンを増やすのも大いに結構なことだ思います。しかし、それは私が一生をかけて追求してきたオーディオの世界とは似て非なるものなのです。私にとってのオーディオは、人生、生活そのもので、心の糧です。多くのオーディオファイルもそうだと思います。そういう世界で使う機器は大量生産販売から生まれる簡便な機器では難しい。先ほどの例で言えば、どうしても、専門店、腕のいい料理人のいるレストランや割烹ということになるのです。大量生産販売の世界はファミレスやレトルト食品に当たるものなのです。その意味では、この中間の中途半端なものがもっとも手に負えない、難しいものということになるかもしれません。このことを、オーディオファイルや関連企業には十分理解して欲しいのです。
オーディオはサイエンティフィックテクノロジーの産物であり、技術の先端を行くものです。ですから、その科学技術を身につけた人が開発するものです。最近、気がついたことは、その最新のテクノロジーの知識を身につけた人は、本人も周囲も、即、教養と情操のある、もののわかった人と思い込むことです。私は最近、それが、そうではないことに思い至りました。特に電気系の業界は最先端の科学技術を身につけ、大きな成果も上げているけれど、教養と情操がそれに伴わない傾向が目立つことに気が付きました。それはこの半世紀の電機業界を見てくればわかります。確かに技術進歩が、大量に優れた製品を作り出すことができるようになった反面、文化の質を堕落させてはいないでしょうか? これはそれらの人間集団の教養と情操が欠けていたことに他なりません。その中で、オーディオ文化を高めるべく、技術と教養情操がバランスのとれた製品を作ってきたメーカーも、幾つかあります。それは大方、小さなメーカーの製品です。つい最近開かれた、東京インターナショナルオーディオショウを見て頂ければわかります。中で最大の出展メーカーはボーズです。ボーズは小さなメーカーではありませんが、株式を上場している大メーカーでもなければ、そういう金融資本の傘下にも入っていません。
この半世紀、高度な機械文明と産業が、かつてはあり得なかった素晴らしい現代文化の世界を築きました。オーディオもその一つです。しかし、これからは、人々の教養と情操、企業のモラリティがバランスして伴わなければ、その技術の進化が文化の質の低下を招き、心ならずも、人間に不幸をもたらしかねない...という危険も認識すべきです。
以下、第16回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)
<ニュース>
菅野氏、あのサトエリとNHKのBSに登場
NHKの「エジソンの玉手箱」というタイトルの番組で本欄担当の菅野沖彦氏が出演する。レコード&オーディオの特集で、サトエリこと佐藤江梨子。猪俣猛クインテットが共演する。菅野氏がスタジオで録音を実演するというのも興味深い。
チャンネルは、NHK BSハイビジョン。
本放送 12月13日 夜11:00〜11:25
再放送 12月29日 朝11:15〜11:40