技術の進歩はオーディオ文化の価値を保ち高めることと、必ずしも一致するものとは限らず、逆に、価値を下げる危険性もあるということを、前回お話ししました。また、ブランドへのこだわりも、使う側の器量や技量がバランスしなければ無意味だし、やがて、そのブランドの価値も薄れます。一見、名ブランドのように見えていても、その中身は変質していく例は多いのです。小規模の名門だと思っていたら、いつの間にか名ばかりになり、大企業の傘下であったりします。いくつかの専門のブランドが統合される例もあります。往々にして、過去にそのブランドを作り上げ、その技術や質を支えてきた人達は去ってしまい、企業体質が変わってしまうことも珍しくありません。
音は人なりといいます。ブランドも、それを作り出す「人」の力によるものです。つまり、突き詰めると、そのブランドではなく、それを作り上げた「人」こそが大事なわけです。ブランドだけ残って、肝心の人がいなくなる。これは大変寂しいことであり、危険なことでもあります。それでもブランドだけは残るのです...。創業数十周年とかいう伝統は、本当に、創業の精神を保ちつつ、内容を積み上げてきた歴史なのかどうか、よく観察する必要があるでしょう。これは皆さんも気をつけなければならないことです。そのブランドを放っておけばなくなってしまうかもしれませんから、それを買収して守っていくことは良いことかも知れません。しかし、大資本により過去の伝統が活かされていくか、どうかには疑問が残ります。オーディオ業界でも、特にアメリカでは、そうした例が珍しくありませんが、果たしてよいことか悪いことかは、真剣に考えるべき時に来ていると思います。このように、ブランドというものは信頼の象徴であると同時に、極めて危うい部分も併せ持つわけですね。
ブランドというのは、創業者の魂や技術が生みだし、長い年月をかけて評価された結果のものですが、その品位が生き続けていなければなりません。中味は変質してしまっているのに名声だけが残り、実体価値のないものが、伝統のある素晴らしいものに見せかけられていることもあり得ます。才能のある若い人が新しく、素晴らしい製品を作れるのなら、昔の死んだようなブランド名を敢えてつけることをしないで、新しいブランドとして立ち上げるべきでしょう。
カルティエというフランスの貴金属の名ブランドがあります。ルイ・カルティエ(1847〜1912)という人は、本当に素晴らしい職人でした。貴族のために優れた宝飾品を作り名を成したわけです。今も、名ブランドの代表格だといってよいでしょう。ブランドについて考えるのであれば、このブランドの歴史を学ぶと思います。かつては個人企業であったカルティエも今や大企業です。そして、多くの国際企業体によるグループ経営でもあります、そして、当然、現在のカルティエの商品レンジは、大きく拡大しているにもかかわらず、最高級品のイメージを保っているのは見事です。私はこジャンルには素人ですが、ブランドのイメージと製品のクオリティのバランスを堅持しつつ、より広い顧客層を捉え、世界的な企業となるのに成功した例と言えるのではないでしょうか? ブランドの大衆化の好例と言えますね。オーディオブランドは、この辺りのコントロールがあまり巧くありませんね。
次回から、人とブランドの例を具体的に述べていきたいと思います。
以下、第17回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)