オーディオのブランドの例を英国のクオード(QUAD)というユニークで伝統的なブランドに見てみましょう。同ブランドは1930年代創業のイギリスのメーカーで、創業者はピーター・ジェームス・ウォーカー氏。コンデンサースピーカーシステムとアンプを作り続けてきた名門です。現在はIAGという企業がブランドを引き継いでいますが、この企業はクオード・ブランドを大切にしていると思います。譲り受けた当初は私の眼にも、「これは違う...」と不満を感じるような製品も出しました。しかし、その後は、このイメージを払拭するような素晴らしい新製品を発表して現在に至っています。創業者のウォーカー氏が見ても納得するだろうと思えるコンデンサースピーカーを作り上げたのです。しかし、現代は、このような特殊な高級機はそう大量には売れません。そこで、数年前から、長い同社の歴史上初のダイレクトラジエーターによる2ウェイ小型ブックシェルフのダイナミック型スピーカーを作り始めたのです。
私は、初めてその製品を見た時、愕然としたものです。「なんていうことだ!この企業はクオード・ブランドをどう考えているのだ?」と失望を感じたのです。しかし、とにかく、音を聴いてみよう...と気を持ち直して試聴したところ、それは素晴らしい音を聴かせる小型システムでした。ああ、よかった...と安堵したのを覚えています。しかし、私は、担当者に言いました。「こういう製品をつくるのも仕方がない実情も解るし、幸いこれは良い音だが、クオード・ブランドが長年築き上げたアイデンティティーとは大きな矛盾を感じさせる製品だ」と。確かに、現在は、高価で特殊なコンデンサースピーカーだけで会社の経営を維持するのは大変なことで、ペア10万円程度で買えるブックシェルフ型を量産量販することも必要であることは、よくわかります。そして、幸い、この製品が、この価格としては素晴らしい出来のモデルであると思います。しかし、往年のクオードを知るものとしては、なんと言ってもクオードのイメージとは違いすぎるのです。そもそも、クオードのように伝統的で志の高い孤高の名ブランドを冠した製品が10万円で買えるということ自体がイメージ上、大問題なのです。
私は続けて言いました。「できれば、新しいブランド名を付けて、バイ・クオードとするべきだった...」と。後日、この話を聞いた経営者は、「なるほど。しまった!そうすればよかった」と後悔したということでした。もはや、その時点では変更は不可能だったでしょうが、もし、そうしていれば、クオードの長年かけて築いた名声を保ちながら、さすがに安価でコンヴェンショナルなスピーカーを作っても名門の伝製品は違う...と、新たなユーザーもが増え、古くからのクオードファンでも、より高いメージを獲得しただろうと、私は今でも考えています。
これは、ブランドを引き継いだ企業の製品がそのブランドをよく体現した例ですが、現実には、この逆が大変多いわけです。つまりブランドは引き継いだたものの、利益だけを追求し、中味はまったく違う製品が供給されるということになると問題です。このように、ブランドというものは、慎重に大切にしなければならないものだと思います。隅々まで考え抜いて、ブランドを尊重する信念を堅く持たないと、名ブランドは維持できませんね。長年苦労して築き上げたものが、簡単に壊れてしまうわけです、それでは高いお金で企業買収した意味もないのです。
このようにブランドが生き残るためには、企業の姿勢が大切であることはもちろんのこと、ユーザーやジャーナリズムなどの評価こそが大切であると言えるでしょう。
以下、第18回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)