「暮しの手帖」誌とトリオ(現在のケンウッド)との関係ですね。「暮しの手帖社」は商品テストの走りを実行した出版社でした。商品はすべて市場で買ってきて、それを実際に使って長期間テストするという、厳格さに大きな特徴がありました。その姿勢に多くの読者が集まり、その後、記事の内容にも幅ができてきました。それは単に商品テストだけではなく、主な購読者である知的な主婦層の、広い意味での家庭生活を豊かにする教養情操雑誌となって発展したのです。音楽の記事も掲載されるようになりました。最初は、同誌らしいレコードの聴き比べでした。
クラシック音楽を例にとると、ベートーベンの第九交響曲であれば、SPレコード時代はフルトヴェングラー、クライバー、ワインガルトナー、ブルーノ・ワルターなどの演奏が名演とされ、野村あらえびす(胡堂=代表作「銭形平次捕物控」)の名著「名曲決定盤」などで語られていましたが、LP時代になって、20種類を超える同曲演奏盤が出るようになったわけです。第九や第五など、人気の名曲は特にそうです。さらにLP時代には、録音・音質の良し悪しが戦前以上に取り沙汰されるようになってきました。「暮しの手帖」らしい、いい演奏といい録音のレコードを推薦しようというわけで、連載記事が企画されたのです。『ベートーベンの交響曲第五番は、なにを買ったらいいでしょうか?』というようなタイトルの記事を、私と朝日ソノラマの上司であった津守健二さんの2人で担当することになったのです。
編集長の花森安治さんから「君の好きなような、あの、スゲェ、オーディオではなく、普通の人が、距離を感じない程度のオーディオシステムで『暮しの手帖』の部屋で全てのレコードを聴いて、ベスト盤を選んで欲しい。すべて実際にテストするのが、うちの編集方針だから」といわれました。したがって、この仕事を始めるには、まず装置を選ぶことから始めなければなりません。そこで慎重に選んだのが、トリオのセパレートステレオという製品でした。これは3点セットで、キャビネットが3つに分かれているものです。センター部には、トライアンプといわれる、プリアンプ、パワーアンプ、チューナーが一体になったものが入っており、その上にレコードプレーヤーがセットされているものでした。両脇に同じ高さの、従ってかなり大きなスピーカーシステムが組み合わされている3点型です。これは一般家庭にとってはかなり本格的な、ステレオシステムでしたが、マニアのものではありません。これが花森さんの意見を反映した選択でした。
忘れもしません、サテンのカートリッジが付属していました。かなり酷使するわけですから、そのサテンはデリケート過ぎて不向きでした。そこで、編集部の人たちといろいろ聴き比べをした結果、選んだのが、当時発足間もない新進気鋭のブランド・オーディオテクニカのカートリッジでした。AT1から始まりました、当時はAT3が発売された頃でした。編集部の研究室を1部屋、専用に与えられ、担当編集者2人と夜な夜な聴き込む毎日が始まりました。これがトリオブランドとの出会いでした。
パイオニア、サンスイも同じようなものを出していたのに、なぜトリオを選んだかと申しますと、当時役員であった春日二郎氏(故人・アキュフェーズの創業者)の考え方に共感していたことと、私が雑誌をやっていた頃、アルバイトとして手伝ってもらった出原真澄氏(故人・元アキュフェーズ社長)も当時トリオの技術部長をしていたことが縁でした。
もちろんトリオといえばトランジスターアンプの第一号を作ったメーカーであり、歴史に残るブランドの一つといえますね。
以下、第23回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)