音楽を録音し、編集し、ジャケットやライナーノーツを付けたパッケージのかたちになって初めてレコード制作が完了する、という私の考えを前回お話ししました。録音・編集した音楽を、データでそのままアップロードするのは大変容易ですが、それはモノとして残りません。
アナログ回帰ブームは、デジタルのパッケージメディアには至らぬ点が在ったことの証明と言える事柄ではないか、と以前この連載で述べました。アナログレコードの魅力を再び楽しんでいる人は、「音はさておき、モノとして楽しい」と感じているようです。
アナログレコードとダウンロード音楽で圧倒的に異なるのは、「存在感」というか「実在感」というか……つまり「かたち」ですね。アナログ回帰ブームはこの「かたち」というのが趣味にとってどれほど必要なことか、ということを如実に示した例でしょう。
音楽を形にしたものを所有するということが、どれだけ重要なことかということです。現在CDを凌ぐ音質の、96kHz/24ビット音源がダウンロードできる世の中になりました。
でも、いくら音がよくても形がないという部分が、私にとって如何とも納得しがたいことなのです。いま「いくら音がよくても」といいましたが、私は、実のところSACDですらもオーバークオリティだと思っています。だからデータが何ビットだの、サンプリングが何キロヘルツだのいわれても何の魅力も感じません。それよりも、作品としてのかたちがない方が不満であり、寂しくも感じます。
ここでもう一つ確認しておかなければいけないことがあります。それは、音楽を聴く道具としてのオーディオ機器、オーディオ機器の魅力を楽しむ、という部分です。スピーカーやアンプ、プレーヤーなどの機能やデザインといった「モノとしての魅力」を抜きにオーディオは語れませんね。
しかし、たとえばハードディスクですが、これは完全にパソコンの周辺機器であり、デザイン的にオーディオ機器に遙かに及びません。私がダウンロードやハードディスクを認めるとすれば、それは付加価値の高いキャビネットや構成を持つものである必要があると思います。ただ、その場合の値付けなどについては難しい部分があるかも知れません。それはオーディオの趣味性という部分を逆手にとって、中身はただのPC周辺機器なのに法外なプライスシートが付く可能性があるからです。
本気で良い音を目指すのであれば、PCパーツやハードディスクを自分で作るか、専用設計での特注品を作るくらいの気概が欲しいところですね。ノイズレスで信頼性の高いハードディスクをオリジナルで作ることができたら、ハイプライスでもユーザーは納得するのではないでしょうか。
今まで話してきたことは、PCオーディオやダウンロード系のオーディオを決して「けなして」いるのではありません。「批判」しているです。それは愛する大切なオーディオ製品が、今後とも健全な進歩を続けるように願うからです。昨今、このジャンルのオーディオ機器が多く出始め、人気を集めています。しかし手放しではアプローズできない部分がある。それを指摘するのが、私の評論家としての仕事だと考えています。
以下、第38回に続く
(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)