「真のグローバルエクセレントカンパニーへ」−キヤノンEXPO 御手洗社長キーノートスピーチ
本日より、キヤノングループの総合展示会「キヤノンEXPO 2005」がはじまった。開催を記念し、同社代表取締役社長の御手洗富士夫氏によるキーノートスピーチが有楽町の東京国際フォーラムで行われた。講演の内容をご紹介しよう。
御手洗氏は、1995年にキヤノンの社長に就任した。「打診を受けた際は非常に驚いたが、20世紀型の経営から21世紀型の経営への変革期だと思い、就任を承諾した」という。御手洗氏は95年当時の状況を、「世界的には東西冷戦構造が集結し、それに伴い経済のグローバル化が盛んになり始めた年。IT産業の開花で強いアメリカが復活した反面、日本では55年体制が崩壊し、深刻な構造不況に見舞われていた」と振り返る。当時のキヤノンの状況についても「連結売上高は2兆900億円程度あったが、借入金も8,400億円あり、有利子負債依存度は33.6%と高く、危機的状況だった」とし、これを打開するために「『全体最適の追求』『利益優先主義への転換』という2つの意識改革を行った」と説明した。
御手洗氏は、就任と同時に、生産革新と開発革新にも着手した。生産革新では、それまでのベルトコンベア方式を全面的にセル方式に改めた。「セル方式では、習熟すればするほど生産性が上がる。最初は60名でやっていた作業を、1年後には30人、20人でできるようになる。セル方式に切り替えることで、20kmに及ぶベルトコンベアを撤廃することができ、東京ドームで20個分の敷地が余った」。開発革新では、3D-CADを導入したことにより試作機の製作費用が削減でき、さらに開発時期を短くできたことから、大幅なコストダウンが可能になったと説明した。御手洗氏は「売り上げ高に占める新製品比率は、2000年の44.1%から2004年には64.8%に高まった」と効果を強調する。
これらの取り組みが功を奏し、連結収益の比較では、売上高が2兆円強(95年)から3.5兆円(04年)へ、税引き前利益が1,000億円強(95年)から5,000億円強(05年)へ、それぞれ大幅に伸張し。この利益を有利子負債の返却に充てた結果、04年の有利子負債依存度はわずか1.1%となった。「これらの結果を株主からも評価していただき、株式時価総額の国内順位も、95年当時の43位から、2005年には9位と高めることができた」。
御手洗氏は、95年に社長に就任した際、「グローバル優良企業グループ構想」を掲げ、「共生」の理念のもと、永遠に技術で貢献し続け、世界各地で親しまれ、尊敬される企業を目指す、というビジョンを打ち立てた。御手洗氏は「そのための取り組みを、96年から00年のフェーズ1と、01年から05年のフェーズ2に分けた。来年からはいよいよフェーズ3に入る」とし、「今後の大きな潮流は2つある。1つはグローバル化、もう1つはブロードバンド化だ」と分析。グローバル化では、日米欧の3地域に引き続き注力するほか、「2050年にG7の経済規模を上回るという予測もあるほど成長が著しい、BRICSにも大きな期待を持っている」と期待感を表明。ブロードバンド化では、「静止画から動画へ、ネットワーク環境が大きく変わる。これまで以上にディスプレイの性能が必要になる」とし、「リビングの中心にSEDディスプレイを置き、デジタルスチルカメラやプリンターなどとワイヤレスでつなげるというような、新しいソリューションを実現する」と述べた。
そのほかにも、複合コピー機などオフィス向け機器や、半導体露光装置や液晶基板露光装置、テレビレンズなどの産業機器、さらには同社がこれから注力するX線デジタルカメラやDNA検査システムなど、これまで以上に幅広い分野でナンバーワンの地位を占めたい、と御手洗氏は説明。「そのために研究開発力を強化する。研究開発費を04年の2,750億円から10年には5,000億円に積み増し、そのうち2,000億円を基礎研究に充てる」とした。
御手洗氏は、経団連の次期会長に就任することが内定している。そのためか、国内の製造業全体についても言及。「国内の製造業がこれからも国際手競争力を保っていくためには、『イノベーションの連続による高付加価値な製品の提供』『ロボットなど生産技術の革新』の2点が欠かせない」とした。
最後に御手洗氏は、同社の現状について「純利益では世界で96位だが、売り上げは154位、時価総額は107位と、グローバルトップ100に入っていない」と分析。「共生」という企業理念のもと、「これらすべてを100位以内にし、真の意味でのグローバルエクセレントカンパニーを目指す」と力強く語った。
(Phile-web編集部)
御手洗氏は、1995年にキヤノンの社長に就任した。「打診を受けた際は非常に驚いたが、20世紀型の経営から21世紀型の経営への変革期だと思い、就任を承諾した」という。御手洗氏は95年当時の状況を、「世界的には東西冷戦構造が集結し、それに伴い経済のグローバル化が盛んになり始めた年。IT産業の開花で強いアメリカが復活した反面、日本では55年体制が崩壊し、深刻な構造不況に見舞われていた」と振り返る。当時のキヤノンの状況についても「連結売上高は2兆900億円程度あったが、借入金も8,400億円あり、有利子負債依存度は33.6%と高く、危機的状況だった」とし、これを打開するために「『全体最適の追求』『利益優先主義への転換』という2つの意識改革を行った」と説明した。
御手洗氏は、就任と同時に、生産革新と開発革新にも着手した。生産革新では、それまでのベルトコンベア方式を全面的にセル方式に改めた。「セル方式では、習熟すればするほど生産性が上がる。最初は60名でやっていた作業を、1年後には30人、20人でできるようになる。セル方式に切り替えることで、20kmに及ぶベルトコンベアを撤廃することができ、東京ドームで20個分の敷地が余った」。開発革新では、3D-CADを導入したことにより試作機の製作費用が削減でき、さらに開発時期を短くできたことから、大幅なコストダウンが可能になったと説明した。御手洗氏は「売り上げ高に占める新製品比率は、2000年の44.1%から2004年には64.8%に高まった」と効果を強調する。
これらの取り組みが功を奏し、連結収益の比較では、売上高が2兆円強(95年)から3.5兆円(04年)へ、税引き前利益が1,000億円強(95年)から5,000億円強(05年)へ、それぞれ大幅に伸張し。この利益を有利子負債の返却に充てた結果、04年の有利子負債依存度はわずか1.1%となった。「これらの結果を株主からも評価していただき、株式時価総額の国内順位も、95年当時の43位から、2005年には9位と高めることができた」。
御手洗氏は、95年に社長に就任した際、「グローバル優良企業グループ構想」を掲げ、「共生」の理念のもと、永遠に技術で貢献し続け、世界各地で親しまれ、尊敬される企業を目指す、というビジョンを打ち立てた。御手洗氏は「そのための取り組みを、96年から00年のフェーズ1と、01年から05年のフェーズ2に分けた。来年からはいよいよフェーズ3に入る」とし、「今後の大きな潮流は2つある。1つはグローバル化、もう1つはブロードバンド化だ」と分析。グローバル化では、日米欧の3地域に引き続き注力するほか、「2050年にG7の経済規模を上回るという予測もあるほど成長が著しい、BRICSにも大きな期待を持っている」と期待感を表明。ブロードバンド化では、「静止画から動画へ、ネットワーク環境が大きく変わる。これまで以上にディスプレイの性能が必要になる」とし、「リビングの中心にSEDディスプレイを置き、デジタルスチルカメラやプリンターなどとワイヤレスでつなげるというような、新しいソリューションを実現する」と述べた。
そのほかにも、複合コピー機などオフィス向け機器や、半導体露光装置や液晶基板露光装置、テレビレンズなどの産業機器、さらには同社がこれから注力するX線デジタルカメラやDNA検査システムなど、これまで以上に幅広い分野でナンバーワンの地位を占めたい、と御手洗氏は説明。「そのために研究開発力を強化する。研究開発費を04年の2,750億円から10年には5,000億円に積み増し、そのうち2,000億円を基礎研究に充てる」とした。
御手洗氏は、経団連の次期会長に就任することが内定している。そのためか、国内の製造業全体についても言及。「国内の製造業がこれからも国際手競争力を保っていくためには、『イノベーションの連続による高付加価値な製品の提供』『ロボットなど生産技術の革新』の2点が欠かせない」とした。
最後に御手洗氏は、同社の現状について「純利益では世界で96位だが、売り上げは154位、時価総額は107位と、グローバルトップ100に入っていない」と分析。「共生」という企業理念のもと、「これらすべてを100位以内にし、真の意味でのグローバルエクセレントカンパニーを目指す」と力強く語った。
(Phile-web編集部)