話題のソフトを“Wooo”で観る − 第13回『未知との遭遇 』 (BD)
この連載「話題のソフトを“Wooo”で観る」では、AV評論家・大橋伸太郎氏が旬のソフトの見どころや内容をご紹介するとともに、“Wooo”薄型テレビで視聴した際の映像調整のコツなどについてもお伝えします。DVDソフトに限らず、放送や次世代光ディスクなど、様々なコンテンツをご紹介しています。第10回はBlu-ray Discソフト『未知との遭遇 製作30周年アニバーサリー アルティメット・エディション』をお届けします。
■日本ではスター・ウォーズより前に公開されたSF映画の傑作
『未知との遭遇』は、日本では配給の関係で1978年2月に『スター・ウォーズ』第1作より4カ月前に公開された。SWの公開はその年の夏である。日本テレビの深夜番組『11PM』の人気ネタ「怪奇実験室」で、『激突!』、『ジョーズ』の若手監督の手になる史上空前のUFO映画として紹介され、ゲストに招かれていた手塚治虫が番組の最後に「これは凄い映画です」といつもの真面目腐った顔で念押ししていたのが印象的だった。
1970年代半ばはSF映画が不毛の時期である。ニューシネマが終焉し、アメリカ映画の中心はパニック映画とショービズ映画だった。ずっとSFへの飢餓感があった大学生の筆者は、封切りの数日後に、横浜駅西口の相鉄ムービルという今でいうシネコンの原型のような映画館に駆けつけ、3日後の週末にもう一度出かけて、その日は2回続けて見た。手塚治虫はウソを言わなかったのである。
『未知との遭遇』は「取り憑かれた人間」が主人公である。「体験型映画」である本作(これについては後で書く)のストーリーは非常に単純で、平凡な生活を送っていた電気技師が、インディアナ州全域を突然見舞った停電の修理に出掛けて偶然UFOに遭遇し、異星人とのコンタクトの目撃者となり、宇宙へ旅立っていくまでを描いている。
この映画には二組の家族が描かれる。一つは電気技師ロイ・ニアリーと妻と子供たちであり、もう一つは、寡婦のガイラー夫人と幼い息子のバリーである。育児と買い物とセックスにしか興味のない平凡なニアリー夫人と対照的に、農場で息子と暮らすガイラー夫人は生活にやつれてはいるが、何かを夢見るような目をした中年女性である。映画では触れられていないが、ガイラー夫人が待っているのは多分未帰還兵の夫だろう。サイゴンが陥落してからこの映画が公開されるまで、わずか3年しか経っていないのである。
ロイとガイラー夫人は映画の後半、行動を共にする。冷静に見れば彼の身勝手さに呆れてしまうのだが、ロイは家族にも地球にも未練はないとばかりに、帰る当てのない宇宙の彼方への旅へ、ユリシーズのように旅立っていく。ガイラー夫人は何かを諦めたように地球に残る道を選ぶ。彼女が待っていたのは夫だったのである。地球文明の調査のためにUFOに拉致された人々は帰ってきたが、夫は帰ってこなかった。異星人がどれだけ高度な文明力を持っていても、人間同士の憎しみあいの犠牲となった者の命を返すというのは出来ない相談である。
現代ではこんなクレージーな筋書で映画は作れないし、観客にも受け入れられないだろう。『未知との遭遇』は1970年代後半のアメリカを覆った精神風土の映画による証言である。狂気の域に達した「逃避」を描いて世界中の観客を感動させた、唯一無比の映画である。ベトナムでの挫折の傷が生々しかったアメリカが逃げ込んだ、壮大な「モラトリアム」映画である。本作と好一対のやはり「狂気」と「逃避」を描いた映画が二年後に完成する。そう、コッポラの『地獄の黙示録』である。『未知との遭遇』、『地獄の黙示録』。映画でこの時代のアメリカを理解するにはまずこの2本からと考えていい。
■スピルバーグと手塚治虫の類似性
宇宙の闇を思わせる漆黒から全白画面に変わる『未知との遭遇』の印象的な導入部には、「Present」(現代)とテロップが入る。これは体験型映画の先駆、キューブリックの『2001年宇宙の旅』へのオマージュである。太古の地球と近未来を描いた『2001年』が唯一描かなかった時代が現代である。UFO出現とコンタクトという非日常の事件と対比的に現代アメリカの労働者家庭の日常がていねいに描かれ、スピルバーグ演出の特徴であるサスペンスの積み重ねによる恐怖の演出が光る。二つの家庭の日常を彩る身辺の事物、居間やキッチンのカラフルな小物や玩具はいわば、主婦と子供たちによって築かれた日常の王国の具体であり、女性が主役の平和な世界である。その中でロイ・ニアリーはいかにも居心地が悪そうだ。その平和は破られる。異星人が家屋侵入し、幼いバリーの遊び友達であった玩具たちが異物に変る。この辺りスピルバーグ特有の演出なのだが、当時は非常に新鮮だった。スピルバーグという人は「恐怖」の演出でもっとも手腕が冴え渡るのである。ナイーブなファンタジー映画の代表に語られる『E.T.』の後半、力尽きたETが虫の息になって河岸に横たわるシーンを冷徹にとらえたカメラを思い出すといい。
ヒューマニストであると同時に冷徹なリアリズム、人間へのペシミスムを隠し持ったクリエイターというと、誰かを思い出さないだろうか。そう、手塚治虫である。名作『メトロポリス』の幕切れ、ケンイチの傍らで人造人間ミッチが心臓だけを残して溶解していく描写を思い出すといい。児童漫画のプリミティブでデフォルメされた表現で描かれているから平気で読むことができるが、そこに描かれた情景はじつは身の毛がよだつほど、凄惨で残酷である。手塚のそうした二面性は、その後の『どろろ』、『ブラックジャック』にも色濃く伺える。漫画という表現媒体が苦手にしているものは「体験性」だ。映画に憧れた手塚治虫が、本作とこれを造った新進監督に深い興味と共感を示したのも頷けるではないか。
宇宙人来訪の目的は、この映画の中で一切語られない。観客の想像に委ねられているのだ。しかし、幕切れ近く、宇宙人が姿を現すと弱々しくやせ細りいまにも力尽きようとしているかのようである。そして、沢山の子供たちがその後、地上に降り立つ。この描写だけで十分でないだろうか。その「大所帯」ぶりからして彼らは何らかの理由で故郷の星を捨てた人たちである。子供たちは宇宙船の中で生まれた世代だろう。故郷の星にいちばん似た星、それが地球なのである。そう、かれらははるばる何百光年の彼方から、故郷の星を知らない子供たちに、母船の窓から逆巻く大海原や朝日に輝く深い緑の大森林を見せ、土のかおりのする母なる大地を踏ませにきたのである。そして、人類には自分たちと同じ愚を犯させないためにも…。
ここにはSF映画としての本作の巧みな逆説がある。人間が想像力を得て以来、ずっと夢見てきた銀河の彼方の途方もない世界、憧れの桃源郷とは、銀河のオアシスである私たちの地球であった。宇宙人たちはそれを教えにはるばるやってきたのだ。
よしなしことを書いてきたが、筆者は『未知との遭遇』が大好きなのである。ブルーレイディスクとして発売されたことを心から喜びたい。しかも、その画質とサウンドも作品の格にふさわしく素晴らしい出来映えである。特にレストアされた映像の美しさは秀逸で、70mm大作らしいフィルムの情報量、鮮鋭度、S/Nを存分に味わわせる。コントラストも広大、メキシコの砂漠からアメリカ、インド、そしてラストの宇宙空間まで、転々と変っていくシーンのどこをとってもとびきりの出来映え。筆者仕事場にある日立の50V型フルハイビジョンプラズマテレビP50-XR01で全編を視聴して、29年前の感動が嵐のように巻き起こり、映画の中のマザーシップのように大きく力強く甦ってきた。映画館で感激した見た体験があるならば、せっかくのブルーレイディスクを中小画面でなく、P50-XR01のサイズとクオリティの画面で見て欲しい。P50-XR01はあなたが『未知との遭遇』に時を越えてもう一度「遭遇」するための、光り輝くマザーシップなのである。
■Woooで見る『未知との遭遇』
ブルーレイディスク版『未知との遭遇』再生のポイントは、第一に巨大な事象、つまり漆黒の夜空に出現する光のモンスターのようなUFOを、見る者を打ちのめす位の迫力で描くこと、次に、日常の家庭生活を対比的にリアリティ豊かに描くことである。
フルハイビジョンプラズマテレビのP50-XR01は、明暗のコントラストの豊かな映画の全編をバランスよく楽しませる。日立のプラズマテレビの特長として、暗部方向の階調だけでなく画面のピーク輝度が確保されていて、明るい方向で頭打ちにならない。数値スペック以上に実効的なコントラストレンジが広いのである。だから、映画中盤のインドの白昼の集会シーンへの転換が映画館で見ているように鮮やかである。
P50-XR01はフルハイビジョンに密着した画質プロセッサーの「Picture Master FullHD」を搭載している。シーンの特徴を識別してコントラストを最適配分していくことが出来、本作のシーンごとの明暗差、シーンの中のコントラストを正確に描き出す。また、画像中に色数が多い場合、色相や彩度の差を的確に描き別ける。先に書いたような日常のカラフルな事物の色彩や質感をリアルに描き出し、ドラマの受け皿をしっかり作るのである。
現在の液晶方式テレビの欠点として複数の映画はもちろん、一本の映画であっても最初から最後までなかなか一つの画質設定で見ることが出来ない点が上げられる。どうしても、途中で画質、特にコントラスト調整とヒューを変えたくなってしまうのだ。プラズマ方式のP50-XR01はその点でもノープロブレム、最初の調整で全編を心行くまで楽しめる。ブルーレイディスクの音声は、ドルビーTrueHDとDTS HD マスターオーディオの両方式で収録されている(プルーフ盤の音声にはどちらで聴いてもサラウンドCHにノイズが入っている箇所がある)。本作は筆者が映画のサウンドに驚愕し、魅了された最初なので、AVアンプと5.1chの実音源で聴いてほしいのだが、この記事で何度も紹介したようにP50-XR01の内蔵するTru Surround5.1は非常に良く出来ている。他のフロントサラウンドのように、移動感や側方への音の回り込みをことさら強調したりはしないのだが、はっとするようなリアルなサラウンドで驚かされる。その自然さは各社のテレビに内蔵された同様の機能中もっとも優れている。日常の中に未知の何かが忍び込み、事件が次第に大きな姿を現していく本作のような映画の場合、Tru Surround5.1は音によるサスペンスの積み重ねを表現する上でとても効果的だし、もしこれがふつうのテレビのステレオ音声だったら、感激は大分薄れているだろう。
下記が主にマザーシップ出現シーンを主に筆者がP50-XR01を調整した設定である。ポイントはピクチャーと黒レベル(ブライトネス)の兼ね合いである。黒補正をオンにするとこの映画の場合、フィルムの粒状ノイズが目について煩いからオフにすること。ディテールも同様にオフ。逆に「画質」(シャープネス)はフィルムの質感とディテールを重視してあまり絞らないこと。シネマティック標準でも漆黒の夜空は艶やかで美しいが、CH14 デビルタワーの交信基地の照明の光がプラズマテレビの二枚のガラス内で反射して滲む。これは他のテレビでも同じである。これはフィルム上映ではありえずどうしても気になるので、黒レベルを心持ち下げてやると目に付かなくなる。ただし、下げすぎると夜空の星の数が減ってしまうので注意すること。
ブルーレイディスク発売から一年半が経ち、待望のレンタルも試験的に始まった。導入期の最初の締めくくりに相応しいディスクである。同様に、薄型テレビにおけるフルハイビジョンの導入期を代表するに相応しい日立のP50-XR01で本作に再会が出来、望外の幸せである。
P50-XR01『未知との遭遇』の調整値
※テレビ直上の照度約80ルクス
・映像モード:シネマティック
・明るさ:-1
・黒レベル:-4
・色の濃さ:-10
・色合い:0
・画質:+2
・色温度:低
・ディテール:切
・コントラスト:リニア
・黒補正:切
・LTI:弱
・CTI・YNR・CNR:切
・MPEG NR:切
・映像クリエーション:なめらかシネマ
・デジタルY/C:入
・色再現:リアル
・音声モード:シアター
・高音:0
・低音:+8
・バランス:0
・SRS:ワイド
・TruBass:今日
・BBE:弱
・Focus:強
(大橋伸太郎)
大橋伸太郎 プロフィール
1956 年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。フジサンケイグループにて、美術書、児童書を企画編集後、(株)音元出版に入社、1990年『AV REVIEW』編集長、1998年には日本初にして現在も唯一の定期刊行ホームシアター専門誌『ホームシアターファイル』を刊行した。ホームシアターのオーソリティとして講演多数2006年に評論家に転身。趣味はウィーン、ミラノなど海外都市訪問をふくむコンサート鑑賞、アスレチックジム、ボルドーワイン。
■日本ではスター・ウォーズより前に公開されたSF映画の傑作
『未知との遭遇』は、日本では配給の関係で1978年2月に『スター・ウォーズ』第1作より4カ月前に公開された。SWの公開はその年の夏である。日本テレビの深夜番組『11PM』の人気ネタ「怪奇実験室」で、『激突!』、『ジョーズ』の若手監督の手になる史上空前のUFO映画として紹介され、ゲストに招かれていた手塚治虫が番組の最後に「これは凄い映画です」といつもの真面目腐った顔で念押ししていたのが印象的だった。
1970年代半ばはSF映画が不毛の時期である。ニューシネマが終焉し、アメリカ映画の中心はパニック映画とショービズ映画だった。ずっとSFへの飢餓感があった大学生の筆者は、封切りの数日後に、横浜駅西口の相鉄ムービルという今でいうシネコンの原型のような映画館に駆けつけ、3日後の週末にもう一度出かけて、その日は2回続けて見た。手塚治虫はウソを言わなかったのである。
『未知との遭遇』は「取り憑かれた人間」が主人公である。「体験型映画」である本作(これについては後で書く)のストーリーは非常に単純で、平凡な生活を送っていた電気技師が、インディアナ州全域を突然見舞った停電の修理に出掛けて偶然UFOに遭遇し、異星人とのコンタクトの目撃者となり、宇宙へ旅立っていくまでを描いている。
この映画には二組の家族が描かれる。一つは電気技師ロイ・ニアリーと妻と子供たちであり、もう一つは、寡婦のガイラー夫人と幼い息子のバリーである。育児と買い物とセックスにしか興味のない平凡なニアリー夫人と対照的に、農場で息子と暮らすガイラー夫人は生活にやつれてはいるが、何かを夢見るような目をした中年女性である。映画では触れられていないが、ガイラー夫人が待っているのは多分未帰還兵の夫だろう。サイゴンが陥落してからこの映画が公開されるまで、わずか3年しか経っていないのである。
ロイとガイラー夫人は映画の後半、行動を共にする。冷静に見れば彼の身勝手さに呆れてしまうのだが、ロイは家族にも地球にも未練はないとばかりに、帰る当てのない宇宙の彼方への旅へ、ユリシーズのように旅立っていく。ガイラー夫人は何かを諦めたように地球に残る道を選ぶ。彼女が待っていたのは夫だったのである。地球文明の調査のためにUFOに拉致された人々は帰ってきたが、夫は帰ってこなかった。異星人がどれだけ高度な文明力を持っていても、人間同士の憎しみあいの犠牲となった者の命を返すというのは出来ない相談である。
現代ではこんなクレージーな筋書で映画は作れないし、観客にも受け入れられないだろう。『未知との遭遇』は1970年代後半のアメリカを覆った精神風土の映画による証言である。狂気の域に達した「逃避」を描いて世界中の観客を感動させた、唯一無比の映画である。ベトナムでの挫折の傷が生々しかったアメリカが逃げ込んだ、壮大な「モラトリアム」映画である。本作と好一対のやはり「狂気」と「逃避」を描いた映画が二年後に完成する。そう、コッポラの『地獄の黙示録』である。『未知との遭遇』、『地獄の黙示録』。映画でこの時代のアメリカを理解するにはまずこの2本からと考えていい。
■スピルバーグと手塚治虫の類似性
宇宙の闇を思わせる漆黒から全白画面に変わる『未知との遭遇』の印象的な導入部には、「Present」(現代)とテロップが入る。これは体験型映画の先駆、キューブリックの『2001年宇宙の旅』へのオマージュである。太古の地球と近未来を描いた『2001年』が唯一描かなかった時代が現代である。UFO出現とコンタクトという非日常の事件と対比的に現代アメリカの労働者家庭の日常がていねいに描かれ、スピルバーグ演出の特徴であるサスペンスの積み重ねによる恐怖の演出が光る。二つの家庭の日常を彩る身辺の事物、居間やキッチンのカラフルな小物や玩具はいわば、主婦と子供たちによって築かれた日常の王国の具体であり、女性が主役の平和な世界である。その中でロイ・ニアリーはいかにも居心地が悪そうだ。その平和は破られる。異星人が家屋侵入し、幼いバリーの遊び友達であった玩具たちが異物に変る。この辺りスピルバーグ特有の演出なのだが、当時は非常に新鮮だった。スピルバーグという人は「恐怖」の演出でもっとも手腕が冴え渡るのである。ナイーブなファンタジー映画の代表に語られる『E.T.』の後半、力尽きたETが虫の息になって河岸に横たわるシーンを冷徹にとらえたカメラを思い出すといい。
ヒューマニストであると同時に冷徹なリアリズム、人間へのペシミスムを隠し持ったクリエイターというと、誰かを思い出さないだろうか。そう、手塚治虫である。名作『メトロポリス』の幕切れ、ケンイチの傍らで人造人間ミッチが心臓だけを残して溶解していく描写を思い出すといい。児童漫画のプリミティブでデフォルメされた表現で描かれているから平気で読むことができるが、そこに描かれた情景はじつは身の毛がよだつほど、凄惨で残酷である。手塚のそうした二面性は、その後の『どろろ』、『ブラックジャック』にも色濃く伺える。漫画という表現媒体が苦手にしているものは「体験性」だ。映画に憧れた手塚治虫が、本作とこれを造った新進監督に深い興味と共感を示したのも頷けるではないか。
宇宙人来訪の目的は、この映画の中で一切語られない。観客の想像に委ねられているのだ。しかし、幕切れ近く、宇宙人が姿を現すと弱々しくやせ細りいまにも力尽きようとしているかのようである。そして、沢山の子供たちがその後、地上に降り立つ。この描写だけで十分でないだろうか。その「大所帯」ぶりからして彼らは何らかの理由で故郷の星を捨てた人たちである。子供たちは宇宙船の中で生まれた世代だろう。故郷の星にいちばん似た星、それが地球なのである。そう、かれらははるばる何百光年の彼方から、故郷の星を知らない子供たちに、母船の窓から逆巻く大海原や朝日に輝く深い緑の大森林を見せ、土のかおりのする母なる大地を踏ませにきたのである。そして、人類には自分たちと同じ愚を犯させないためにも…。
ここにはSF映画としての本作の巧みな逆説がある。人間が想像力を得て以来、ずっと夢見てきた銀河の彼方の途方もない世界、憧れの桃源郷とは、銀河のオアシスである私たちの地球であった。宇宙人たちはそれを教えにはるばるやってきたのだ。
よしなしことを書いてきたが、筆者は『未知との遭遇』が大好きなのである。ブルーレイディスクとして発売されたことを心から喜びたい。しかも、その画質とサウンドも作品の格にふさわしく素晴らしい出来映えである。特にレストアされた映像の美しさは秀逸で、70mm大作らしいフィルムの情報量、鮮鋭度、S/Nを存分に味わわせる。コントラストも広大、メキシコの砂漠からアメリカ、インド、そしてラストの宇宙空間まで、転々と変っていくシーンのどこをとってもとびきりの出来映え。筆者仕事場にある日立の50V型フルハイビジョンプラズマテレビP50-XR01で全編を視聴して、29年前の感動が嵐のように巻き起こり、映画の中のマザーシップのように大きく力強く甦ってきた。映画館で感激した見た体験があるならば、せっかくのブルーレイディスクを中小画面でなく、P50-XR01のサイズとクオリティの画面で見て欲しい。P50-XR01はあなたが『未知との遭遇』に時を越えてもう一度「遭遇」するための、光り輝くマザーシップなのである。
■Woooで見る『未知との遭遇』
ブルーレイディスク版『未知との遭遇』再生のポイントは、第一に巨大な事象、つまり漆黒の夜空に出現する光のモンスターのようなUFOを、見る者を打ちのめす位の迫力で描くこと、次に、日常の家庭生活を対比的にリアリティ豊かに描くことである。
フルハイビジョンプラズマテレビのP50-XR01は、明暗のコントラストの豊かな映画の全編をバランスよく楽しませる。日立のプラズマテレビの特長として、暗部方向の階調だけでなく画面のピーク輝度が確保されていて、明るい方向で頭打ちにならない。数値スペック以上に実効的なコントラストレンジが広いのである。だから、映画中盤のインドの白昼の集会シーンへの転換が映画館で見ているように鮮やかである。
P50-XR01はフルハイビジョンに密着した画質プロセッサーの「Picture Master FullHD」を搭載している。シーンの特徴を識別してコントラストを最適配分していくことが出来、本作のシーンごとの明暗差、シーンの中のコントラストを正確に描き出す。また、画像中に色数が多い場合、色相や彩度の差を的確に描き別ける。先に書いたような日常のカラフルな事物の色彩や質感をリアルに描き出し、ドラマの受け皿をしっかり作るのである。
現在の液晶方式テレビの欠点として複数の映画はもちろん、一本の映画であっても最初から最後までなかなか一つの画質設定で見ることが出来ない点が上げられる。どうしても、途中で画質、特にコントラスト調整とヒューを変えたくなってしまうのだ。プラズマ方式のP50-XR01はその点でもノープロブレム、最初の調整で全編を心行くまで楽しめる。ブルーレイディスクの音声は、ドルビーTrueHDとDTS HD マスターオーディオの両方式で収録されている(プルーフ盤の音声にはどちらで聴いてもサラウンドCHにノイズが入っている箇所がある)。本作は筆者が映画のサウンドに驚愕し、魅了された最初なので、AVアンプと5.1chの実音源で聴いてほしいのだが、この記事で何度も紹介したようにP50-XR01の内蔵するTru Surround5.1は非常に良く出来ている。他のフロントサラウンドのように、移動感や側方への音の回り込みをことさら強調したりはしないのだが、はっとするようなリアルなサラウンドで驚かされる。その自然さは各社のテレビに内蔵された同様の機能中もっとも優れている。日常の中に未知の何かが忍び込み、事件が次第に大きな姿を現していく本作のような映画の場合、Tru Surround5.1は音によるサスペンスの積み重ねを表現する上でとても効果的だし、もしこれがふつうのテレビのステレオ音声だったら、感激は大分薄れているだろう。
下記が主にマザーシップ出現シーンを主に筆者がP50-XR01を調整した設定である。ポイントはピクチャーと黒レベル(ブライトネス)の兼ね合いである。黒補正をオンにするとこの映画の場合、フィルムの粒状ノイズが目について煩いからオフにすること。ディテールも同様にオフ。逆に「画質」(シャープネス)はフィルムの質感とディテールを重視してあまり絞らないこと。シネマティック標準でも漆黒の夜空は艶やかで美しいが、CH14 デビルタワーの交信基地の照明の光がプラズマテレビの二枚のガラス内で反射して滲む。これは他のテレビでも同じである。これはフィルム上映ではありえずどうしても気になるので、黒レベルを心持ち下げてやると目に付かなくなる。ただし、下げすぎると夜空の星の数が減ってしまうので注意すること。
ブルーレイディスク発売から一年半が経ち、待望のレンタルも試験的に始まった。導入期の最初の締めくくりに相応しいディスクである。同様に、薄型テレビにおけるフルハイビジョンの導入期を代表するに相応しい日立のP50-XR01で本作に再会が出来、望外の幸せである。
P50-XR01『未知との遭遇』の調整値
※テレビ直上の照度約80ルクス
・映像モード:シネマティック
・明るさ:-1
・黒レベル:-4
・色の濃さ:-10
・色合い:0
・画質:+2
・色温度:低
・ディテール:切
・コントラスト:リニア
・黒補正:切
・LTI:弱
・CTI・YNR・CNR:切
・MPEG NR:切
・映像クリエーション:なめらかシネマ
・デジタルY/C:入
・色再現:リアル
・音声モード:シアター
・高音:0
・低音:+8
・バランス:0
・SRS:ワイド
・TruBass:今日
・BBE:弱
・Focus:強
(大橋伸太郎)
大橋伸太郎 プロフィール
1956 年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。フジサンケイグループにて、美術書、児童書を企画編集後、(株)音元出版に入社、1990年『AV REVIEW』編集長、1998年には日本初にして現在も唯一の定期刊行ホームシアター専門誌『ホームシアターファイル』を刊行した。ホームシアターのオーソリティとして講演多数2006年に評論家に転身。趣味はウィーン、ミラノなど海外都市訪問をふくむコンサート鑑賞、アスレチックジム、ボルドーワイン。