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『ココ・アヴァン・シャネル』の<黒>をWoooで引き出す

公開日 2010/03/18 11:57 ファイル・ウェブ編集部
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■映画『ココ・アヴァン・シャネル』の魅力

というわけでシャネルを描いた映画、TV、演劇は何度も作られてきたが、どういうわけか一昨年から昨年にかけて3本もの映画が製作された。その内日本で公開された二作の一本がこれから紹介する『ココ・アヴァン・シャネル』である。

『ココ・アヴァン・シャネル』は題名の通り、ココ・シャネルの成功前史を描いた映画である。演出は『ドライ・クリーニング』『恍惚』のアンヌ・フォンテーヌで女性監督らしい視点が本作の性格を決定づけている。

主演は『アメリ』『ダヴィンチ・コード』のオドレイ・トトゥ。前年に公開されたシャーリー・マクレーン主演版『ココ・シャネル』が晩年のシャネルの回想形式で描いた涙ありのフランス版「細うで繁盛記」の趣だったのに対し、こちらは野心的な女の疾風怒濤の青春時代を描いている。

偶像を映画が生身の人間として描く以上、映画としての迫力と真実味を出すために視点は辛口になる。本作はシャルル・ルーの原作本がベースで、その一次情報はいうまでもなくシャネルに関する各種の伝記や生前のシャネル自身へのインタビューであるが、いうまでもなく、その種の伝記には曖昧な部分が付きまとい、本人が語る自身の来歴にも必ず<嘘>がある。

本作が映画として面白いのは、そうした曖昧な部分の奥を遠慮なく見つめ、ある時は全てを語らず観客の想像に委ね、ほろ苦い味を醸し出している所である。本作は第二次世界大戦前、シャネルが初の大規模なコレクションを開催するところで終るが、ココ・シャネルは大戦中に独軍の有力者の愛人であったため、終戦時には対独協力者として指弾され、一時的に隠遁生活を余儀なくされた。そのあたりのエピソードも映画の続きで見たかった。

私はシャーリー・マクレーン版を東京・日比谷シャンテで見たが、本作は残念ながら劇場では見逃している。ブルーレイディスク版が初見で、ディスプレイには仕事場のレファレンス(標準モニター)である日立のプラズマテレビ「P50-XP035」を使った。

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