話題のソフトをWoooで見る
祝・BDボックス化記念! Woooで見る『スター・ウォーズ』全6作
この連載「話題のソフトを“Wooo"で観る」では、AV評論家・大橋伸太郎氏が旬のソフトの見どころや内容をご紹介するとともに、“Wooo"薄型テレビで視聴した際の映像調整のコツなどについてもお伝えします。
『スター・ウォーズ』第1作が日本で公開されたのは実に33年前である。配給の関係で日本では、後から製作された『未知との遭遇』がすでに公開されていたが、それまでずっとSF映画不毛の時期が続いていたから、アメリカで熱狂的なブームと伝え聞く本作への期待は大きなものがあった。
その年の正月の新聞で、洋画配給会社の公開予定ラインナップに本作が『遊星大戦争』と紹介されていたのも今では笑い種である(邦画の『惑星大戦争』のことではない)。
■『スター・ウォーズ』と『惑星ソラリス』をハシゴ
『スター・ウォーズ』は夏休み作品として、全国主要ロードショー館で華々しく封切られた。偶然にもその一方で、アンドレイ・タルコフスキー監督のソ連映画『惑星ソラリス』(製作は1972年)が単館でひっそりロードショー公開され、静かな反響を呼んでいた。
当時大学生の私は、『SFマガジン』の読者だった高校生の妹と一緒に鎌倉から横須賀線に乗って銀座に出掛け、日比谷映画劇場の『スター・ウォーズ』と日劇地下の『惑星ソラリス』をハシゴした。
その年、1977年は今年と同じくらい暑い夏だった。銀座を2人で映画館から映画館へ、まるで映画のC3POとR2D2のように歩いていると、瞼から汗が溢れ出したのを覚えている。
『スター・ウォーズ』はちょうど2時間と尺が短いが、『惑星ソラリス』は全長3時間の長編である。合計5時間。若かったから出来る暴挙である。オタッキーな兄妹がその日、何を食べて映画について何を語り合ったか、もう覚えていない。
この時期まで私たち日本人が親しんでいたSFは、アイザック・アシモフやアーサー・C・クラークのようなハードSFか、さもなくばフレデリック・ブラウンやレイ・ブラッドベリに代表される、ヒネりの利いたファンタジー系が主流だった。「SF=知的サブカル小説」といっていい。『スター・ウォーズ』のようなスペースオペラは、一部で熱心なファンがいたものの、日本ではマイナーだった。
映画も同様で、近作SFというと『未来惑星ザルドス』や『2300年未来への旅』といったペシミスティックな作品ばかりで、アッケラカンと楽しい冒険活劇の『スター・ウォーズ』は一種のカルチャーショックであった。全く「知的」でないため、SFファンの「踏み絵」とまで評された。
筆者はといえば、オビ=ワンとルークがパイロットを探しに入る宇宙の流れ者が集まる酒場のシーンがすぐに好きになった。オビ=ワンがライトセーバーの一撃でお尋ね者の腕を切り落とすシーンは、どうみても『用心棒』である(製作に当たり、ルーカスは三船敏郎にオビ=ワン役出演を打診して断られた)。
ここであまり深入りはしないが、第1作は全編、冒険活劇映画へのオマージュである。だからその後、横浜や藤沢の映画館に本作がやって来るとこっそり独りで見に行き、「ここはあの映画かな」と隅々まで憶測して楽しんだ。
『スター・ウォーズ』第1作が日本で公開されたのは実に33年前である。配給の関係で日本では、後から製作された『未知との遭遇』がすでに公開されていたが、それまでずっとSF映画不毛の時期が続いていたから、アメリカで熱狂的なブームと伝え聞く本作への期待は大きなものがあった。
その年の正月の新聞で、洋画配給会社の公開予定ラインナップに本作が『遊星大戦争』と紹介されていたのも今では笑い種である(邦画の『惑星大戦争』のことではない)。
■『スター・ウォーズ』と『惑星ソラリス』をハシゴ
『スター・ウォーズ』は夏休み作品として、全国主要ロードショー館で華々しく封切られた。偶然にもその一方で、アンドレイ・タルコフスキー監督のソ連映画『惑星ソラリス』(製作は1972年)が単館でひっそりロードショー公開され、静かな反響を呼んでいた。
当時大学生の私は、『SFマガジン』の読者だった高校生の妹と一緒に鎌倉から横須賀線に乗って銀座に出掛け、日比谷映画劇場の『スター・ウォーズ』と日劇地下の『惑星ソラリス』をハシゴした。
その年、1977年は今年と同じくらい暑い夏だった。銀座を2人で映画館から映画館へ、まるで映画のC3POとR2D2のように歩いていると、瞼から汗が溢れ出したのを覚えている。
『スター・ウォーズ』はちょうど2時間と尺が短いが、『惑星ソラリス』は全長3時間の長編である。合計5時間。若かったから出来る暴挙である。オタッキーな兄妹がその日、何を食べて映画について何を語り合ったか、もう覚えていない。
この時期まで私たち日本人が親しんでいたSFは、アイザック・アシモフやアーサー・C・クラークのようなハードSFか、さもなくばフレデリック・ブラウンやレイ・ブラッドベリに代表される、ヒネりの利いたファンタジー系が主流だった。「SF=知的サブカル小説」といっていい。『スター・ウォーズ』のようなスペースオペラは、一部で熱心なファンがいたものの、日本ではマイナーだった。
映画も同様で、近作SFというと『未来惑星ザルドス』や『2300年未来への旅』といったペシミスティックな作品ばかりで、アッケラカンと楽しい冒険活劇の『スター・ウォーズ』は一種のカルチャーショックであった。全く「知的」でないため、SFファンの「踏み絵」とまで評された。
筆者はといえば、オビ=ワンとルークがパイロットを探しに入る宇宙の流れ者が集まる酒場のシーンがすぐに好きになった。オビ=ワンがライトセーバーの一撃でお尋ね者の腕を切り落とすシーンは、どうみても『用心棒』である(製作に当たり、ルーカスは三船敏郎にオビ=ワン役出演を打診して断られた)。
ここであまり深入りはしないが、第1作は全編、冒険活劇映画へのオマージュである。だからその後、横浜や藤沢の映画館に本作がやって来るとこっそり独りで見に行き、「ここはあの映画かな」と隅々まで憶測して楽しんだ。