PR山形県の東北パイオニアと天童木工を訪問
TADスピーカー製造現場で見た「匠の技」。旗艦機「TAD-R1TX」から最新鋭機まで6モデルも一斉試聴!
プロ機の技術を応用し、同軸型CSTドライバーをコアに据えた製品群を生み出す
TAD(テクニカル・オーディオ・デバイセズ)のスピーカーがどんな環境で作られているのか、この目で確認するために山形県天童市を訪れた。この地で半世紀以上にわたってスピーカーの生産に取り組んできた東北パイオニアの本社工場を見学し、さらに「TAD-R1TX」などフラグシップモデルのエンクロージャーの生産を担う天童木工を訪問することが目的である。
TADの歴史はパイオニア社内で高級オーディオのプロジェクトが立ち上がった1975年に遡る。JBLで副社長を務めたバート・ロカンシー氏を招聘して設計思想と技術基盤を確立した上で、高性能なコンプレッションドライバー「TD-4001」をアメリカで発表したのが1978年のこと。「TD-4001」はまず北米で高く評価され、レコーディングスタジオなどプロフェッショナルの現場に急速に浸透する。その後、独自設計のスピーカーシステムとともに日本を含む世界中のスタジオを席巻し、TADの評価は揺るぎないものになった。
21世紀を迎えたタイミングで、プロ用途での高評価を礎に開発したコンシューマー向けモデルの第一号機「TAD-M1」を世に送り出す。それを皮切りに同軸型CST(コヒーレント・ソース・トランスデューサー)ドライバーをコアに据えた製品群を次々に投入し、現代のリスナーにおなじみのラインナップを充実させていく。
TADのスピーカー開発を牽引してきた長谷氏に、プロ用モニター時代のコンプレッションドライバー+ホーンに大口径ウーファーを組み合わせた2ウェイ構成から、CSTとウーファーで構成する3ウェイスピーカーへと基本設計を切り替えたのはどこに理由があるのか尋ねてみた。
長谷氏の回答は明快だ。「2ウェイで全帯域をカバーするシンプルな設計の良さを生かしつつ、家庭のリスニング環境でもなめらかな拡散と広帯域再生を両立するためには同軸型のCSTドライバーが最適なのです。ホーンではサイズが大きくなりすぎてしまうので現実的ではありません」。
同軸型ユニットの設計ノウハウは、TADが誕生する以前、パイオニア時代から脈々と受け継がれてきたもので、その歴史は長い。パイオニアが同軸型ユニットの特許を取得したのは1960年代半ばに発売した「PAX-10A」が最初で、その技術をベースに口径と構造の異なるユニット群を数多く生産してきた。筆者が中学生の時に購入した「PAX-A20」はそれよりも10年ほど後の製品だが、ワイドレンジで抜けが良く、力強いサウンドはいまだに記憶に残っている。CSTは21世紀の技術だが、源流をたどると50年以上前の技術に行き着くのだ。
パイオニア創業時に誕生した「A-8」ユニット。CSTドライバーへの起源を見る
だが、驚くのはまだ早い。今回、天童を訪れたことで、同軸型を着想した原点がさらに数十年ほど遡る事実を目の当たりしたのだ。天童工場の展示室にはパイオニア時代に開発された「PAX-12B」など往年の同軸型ユニットが展示されていて非常に興味深いのだが、それよりさらに30年ほど遡った1937年登場の「A-8」の勇姿が目に飛び込んできたのだ。
こちらはパイオニアの起源とされる記念すべき第一号のスピーカーユニットで、ペーパーコーンの中心部分に薄く加工された金属製の振動板が見える。ジュラルミンを「へら絞り」で0.3mmの厚さに加工したものだそうで、再生帯域を高域まで伸ばすと同時に指向性を改善する効果も期待できる。メカニカル2ウェイと呼ぶべきこの構造が後年に同軸型のアイデアに発展するわけで、まさにCSTの祖先と言ってもいい。
ダイナミック型スピーカーが発明されたのは1925年のことだから、その僅か12年後にここまで完成度の高いスピーカーユニットを完成させていたことにも驚きを禁じ得ない。86年前に誕生した「A-8」との出会いは天童工場訪問の最初の感動であった。