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公開日 2009/03/03 20:47
新しいビデオ文化が生まれた - 受賞作品を通じて審査員が語る「東京ビデオフェスティバル」
ビクター主催 市民ビデオの祭典
日本ビクター(株)が1978年から開催してきた東京ビデオフェスティバル(TVF)が、第31回目の開催を迎える今年、惜しまれつつ幕を閉じることとなった。去る3月1日(日)には、横浜のランドマークホールで最後の優秀作表彰と大賞授賞式が行われた。
「大賞」受賞作品の発表については既報の通りだが、今回は筆者が会場で独自に取材した、大賞受賞者、審査員のコメントをお届けする。
■大賞2作品受賞者と審査員のコメントから
今年の「ビデオ大賞」に選ばれたのはドイツ・ハンブルグ市在住のクラウス・フライシュマン(Klaus Fleischmann)さん(57歳)の作品『メラニー −自分の道をゆく−』。自身の姪である盲目の少女メラニーの生活を記録した。
この作品には、以下のような審査員のコメントがよせられた。
◆「被写体の盲目の少女は自分では見る事ができない世界に生きながら、それ以上に広い世界を示してくれている。あらゆるところに克服しなければいけない問題があるだろうが、明るく生きている姿は素晴らしい」(羽仁進氏)
◆「メラニーの活き活きした姿に皆が勇気づけられる作品」(高畑勳氏)
◆「一生懸命、幸せを作って生きることは素晴らしいと教えられる作品だ」(大林宣彦氏)
◆「自分で道を作っていく自立のプロセスがドイツの社会の中にあることを感じた。そういうことも見せてくれた」(佐藤博昭氏)
フライシュマンさんは地元でアマチュアのビデオ倶楽部に所属し、人間が生きている姿を追ったドキュメンタリー作品を作り続けている。今回受賞の『メラニー』はドイツ国内のコンテストで上位50位に入賞したこともあるという。TVFでは10年前にもメラニーを撮影した作品で優秀賞に選ばれており、今回の作品はこれに続く作品で、今回は一緒に撮影もおこなった奥様と一緒に受賞式へ出席した。
受賞者:クラウス・フライシュマン(Klaus Fleischmann )さんと奥様のコメント
「障害のある子供たちも、どんな環境でも楽しい生活をおくることができる、何かをあきらめることはないんだよということを作品を通して伝えたいと思いました。受賞が目の見えない方々と彼らを支える人々に勇気を与えてくれると思います」
「ビクター大賞」は内田リツ子さん(80歳・千葉県)の『共に行く道』。自分たち夫婦の老老介護の日々を自身のナレーションで淡々と語る作品だ。審査委員の各氏からよせられたコメントをご紹介しよう。
◆「不思議なユーモアがある。夫と妻は一人のようにくっついているのではなく二人の人間。それを実にあざやかに見せながら、最後に妻は夫によりそって紅白歌合戦をし、夫をいい男と歌う。互いに客観的に見ていながら、なお、それを乗り越えているこの愛は素晴らしい。映画のカットも実に巧い」(羽仁進氏)
◆「TVFがジャンルを超えた作品を並べていることに当初はとまどいもあったが、どんなジャンルの作品でも被写体に対する愛があることが、一番大事なことだということを学んだ。ビクター大賞の作品は涙と笑いのある名作。NHKの天地人にまけない」(椎名誠氏)
◆「10数年前から見ていて、始めは編集ができない、自分の思いを語れないという悩みもあったようですが、孫の世話をしながら夫の食事の世話もするような自画像を描いた作品があり、これはと思った。その作品を発展させて淡々と自立した形で作った良い作品だ」(小林はくどう氏)
◆「カメラマンと被写体の距離の的確さがあり、老老介護というシリアスな問題をコミカルに伝えている傑作です」(北見雅則氏)
受賞者:内田リツ子さんのコメント
「娘が新しいビデオカメラを買ったので、お古のビデオカメラを、“お母さん、これを使ってみたら”と言って私にくれたことがきっかけでビデオ撮影を始めました。そして、このTVFを見学にきて他の方の作品を拝見したことがきっかけで、15年ぐらい前からビデオ作品制作を始めました。今まで10作品ほど応募して優秀賞などもいただきました。パソコンの編集作業は、メーカーさんに電話をしてアドバイスをいただいたり、ビデオ倶楽部の先輩に習ったりです。家族を撮った映像がたくさんありますので、これからは死ぬまでのあいだにそれをまとめたいと思っております」
■ビデオを通じた新しい文化の出発点
東京ビデオフェスティバルはプロ、アマを問わず世界各地から作品を集め、その映像は市民の生活レベルで世界の現実を伝えると共に、多くのビデオ作家を生み出し、その活動を支援してきた。授賞式後のパーティーで、審査委員の各氏に今までのTVFの活動や、TVFを通じて見えて来たことを語っていただいた。
小林はくどう氏:(ビデオ作家・成安造形大学教授。第1回からTVFの審査を担当)
「世界的な規模で作品を集め、テーマも個人の身の回りを撮影するものから、地域、ドラマ、アニメーション、アートがあったり、いろいろなことがごった煮になっているところがこのフェスティバルの特徴でした。表面的にはばらばらなんですが、実は根っこはみんな同じなんだよねというところが、この東京ビデオフェスティバルが作ってきたものだと思います。このフェスティバルの作品は、単に技術的にすぐれた映像だけではなく、自分の問題として、自分だったらどうしようという、“ネクストの自分”を考えながら見られる作品がすごく多いんです。そういうことを社会に発信しているこのフェスティバルは最高だと思っています。
審査は大変なんですが、審査員はみんな逃げないで作品に真剣に向き合ってやってきました。作品を見るときは、作者にとってこの作品はどういう意味があるかということを考えてきましたし、見ている自分にとってもこれはどういう意味があるかを考えるきっかけになりました。
現在の傾向としては、多くの人がフラットな社会を求めているのではないかと思います。つまり特殊な事を描いた作品が光るのでなく、普段の生活にスポットをあてているものを求めている。今回のアカデミー賞で受賞した『おくりびと』とか、『つみきの家』は、普通の人の生活の中での死の問題をとりあげていますね。TVFでもここ数年、同様の傾向が見られるんです。去年のグランプリをとったお父さんと娘の私とのギャップなどを描いている作品や、今年の介護の問題の作品。それは今みんなが抱えている問題ですね。家庭って何なの、家族って何なのということが問われているわけです。
1970年代や80年代にTVFが始まった頃には、家族の問題に切り込むというテーマよりは、戦争というような大きな社会問題を切り口にしたり、地域のお祭りを描いて、人とのつつながりを大事にしていこうというような作品が多くて、家族の中の孤独感を描いているものは今ほど多くはありませんでした。逆に今は、地域の中での人のつながりを描くようなことはすごく難しくなっていますね。
今、ビデオの様々な創作活動、コミュニケーション活動が文化としてやっとスタートに立ったと感じています。例え今とはちがう形になったとしても、TVFは今後も継続して行かなければならない活動だと思っています。
大林宣彦監督:(映画監督。第1回からTVFの審査を担当)
「このフェスティバルが終了してしまい、作品をつくる目当てがなくなりショックを受けているビデオ作家たちに伝えたい言葉がある」として、監督は次のように語ってくれた。
「僕は世界中の映画館からスクリーンがなくなっても映画を作ります。映すところがないのに、なぜ作るのかと言われるかもしれませんが、映画を作って見せたい、あるいは見たい、あるいはこういう映画を誰かに伝えたいという人がいれば、必ずスクリーンは復活するんです。フェスティバルという形は世の中の色んな事情から、いったんは消えますが、作品さえあればその作品を発表する場所は必ず戻ってきます。だから皆さんはフェスティバルがあるから作るんじゃなくて、みなさんが生きて、喜びを求めて作品を作られれば、必ずそれを見せたい、見たいということで形が蘇ります」
羽仁進監督:(映画監督)
「去年はもう一歩という感じがする作品が多かったんですが、今年の何十本かは実に素晴らしい。もし去年、ビクターさんがやめるとおっしゃったら非常に悲しかったと思うんです。もちろん今年も非常に悲しいんだけれど、皆さんの作品の質が本当に良くなってきたことがあって、ひとまずはここまでよくぞ支えてくださったと、ビクターさんには感謝の気持ちを伝えたいですね。
作品については、もちろん技術もありますが、一番大事なのはどういうことかと言いますと、今まで我々は社会というものを一般のジャーナリズムなんかは全部そうだけれど、「公」と「私」という風に分けているんですね。ところがそんなことはないんで、「私」というものはあり、「公」なんていうものは、上から命令するなんていう時代じゃないわけです。無数な「私」である私たちが、お互いの違いを認めながら折り合い、けんかしたりしながら、どういう社会を作っていくかが大切なことです。
その中で必要なものはある程度公的な機関を、私たちが作るわけです。今年の大賞を受賞したドイツの『メラニー』という作品は、非常にそういうことを現わしていると思いますが、日本の作品の中にもそういう風に感じられるものがどんどんでてきました。ビデオ大賞の『共に行く道』のおばあさん、僕と同じ80歳ですが。でも、あの方ははっきり“夫婦なんか一体じゃない”と作品の中でおっしゃっているわけです。それぞれ一人一人別の人間なんです。でもその人が、最後にこの、歌だけが歌えるだんな様を大事に共に生きていこうとして、月おくれの紅白歌合戦を歌うところで終わるというのは、感動的だと僕は思いました。お互いに違いはある、しかし、でもその人を愛していこうと。やはりそこから出発しないと新しい社会は生まれてこないと思いますね。TVFでは新しいビデオの文化というものが生まれ、今がその出発点になったのだと思います。」
これまでのビクター東京ビデオフェスティバルの詳細と、優秀作品は以下のHPから視聴することができる。
ビクター東京ビデオフェスティバル
http://www.jvc-victor.co.jp/tvf/index.html
<取材> 2009年3月1日「第31回ビクタービデオフェスティバル “TVF2009 in YOKOHAMA”」横浜ランドマークホール
<インタビュー・文> 山之内優子
「大賞」受賞作品の発表については既報の通りだが、今回は筆者が会場で独自に取材した、大賞受賞者、審査員のコメントをお届けする。
■大賞2作品受賞者と審査員のコメントから
今年の「ビデオ大賞」に選ばれたのはドイツ・ハンブルグ市在住のクラウス・フライシュマン(Klaus Fleischmann)さん(57歳)の作品『メラニー −自分の道をゆく−』。自身の姪である盲目の少女メラニーの生活を記録した。
この作品には、以下のような審査員のコメントがよせられた。
◆「被写体の盲目の少女は自分では見る事ができない世界に生きながら、それ以上に広い世界を示してくれている。あらゆるところに克服しなければいけない問題があるだろうが、明るく生きている姿は素晴らしい」(羽仁進氏)
◆「メラニーの活き活きした姿に皆が勇気づけられる作品」(高畑勳氏)
◆「一生懸命、幸せを作って生きることは素晴らしいと教えられる作品だ」(大林宣彦氏)
◆「自分で道を作っていく自立のプロセスがドイツの社会の中にあることを感じた。そういうことも見せてくれた」(佐藤博昭氏)
フライシュマンさんは地元でアマチュアのビデオ倶楽部に所属し、人間が生きている姿を追ったドキュメンタリー作品を作り続けている。今回受賞の『メラニー』はドイツ国内のコンテストで上位50位に入賞したこともあるという。TVFでは10年前にもメラニーを撮影した作品で優秀賞に選ばれており、今回の作品はこれに続く作品で、今回は一緒に撮影もおこなった奥様と一緒に受賞式へ出席した。
受賞者:クラウス・フライシュマン(Klaus Fleischmann )さんと奥様のコメント
「障害のある子供たちも、どんな環境でも楽しい生活をおくることができる、何かをあきらめることはないんだよということを作品を通して伝えたいと思いました。受賞が目の見えない方々と彼らを支える人々に勇気を与えてくれると思います」
「ビクター大賞」は内田リツ子さん(80歳・千葉県)の『共に行く道』。自分たち夫婦の老老介護の日々を自身のナレーションで淡々と語る作品だ。審査委員の各氏からよせられたコメントをご紹介しよう。
◆「不思議なユーモアがある。夫と妻は一人のようにくっついているのではなく二人の人間。それを実にあざやかに見せながら、最後に妻は夫によりそって紅白歌合戦をし、夫をいい男と歌う。互いに客観的に見ていながら、なお、それを乗り越えているこの愛は素晴らしい。映画のカットも実に巧い」(羽仁進氏)
◆「TVFがジャンルを超えた作品を並べていることに当初はとまどいもあったが、どんなジャンルの作品でも被写体に対する愛があることが、一番大事なことだということを学んだ。ビクター大賞の作品は涙と笑いのある名作。NHKの天地人にまけない」(椎名誠氏)
◆「10数年前から見ていて、始めは編集ができない、自分の思いを語れないという悩みもあったようですが、孫の世話をしながら夫の食事の世話もするような自画像を描いた作品があり、これはと思った。その作品を発展させて淡々と自立した形で作った良い作品だ」(小林はくどう氏)
◆「カメラマンと被写体の距離の的確さがあり、老老介護というシリアスな問題をコミカルに伝えている傑作です」(北見雅則氏)
受賞者:内田リツ子さんのコメント
「娘が新しいビデオカメラを買ったので、お古のビデオカメラを、“お母さん、これを使ってみたら”と言って私にくれたことがきっかけでビデオ撮影を始めました。そして、このTVFを見学にきて他の方の作品を拝見したことがきっかけで、15年ぐらい前からビデオ作品制作を始めました。今まで10作品ほど応募して優秀賞などもいただきました。パソコンの編集作業は、メーカーさんに電話をしてアドバイスをいただいたり、ビデオ倶楽部の先輩に習ったりです。家族を撮った映像がたくさんありますので、これからは死ぬまでのあいだにそれをまとめたいと思っております」
■ビデオを通じた新しい文化の出発点
東京ビデオフェスティバルはプロ、アマを問わず世界各地から作品を集め、その映像は市民の生活レベルで世界の現実を伝えると共に、多くのビデオ作家を生み出し、その活動を支援してきた。授賞式後のパーティーで、審査委員の各氏に今までのTVFの活動や、TVFを通じて見えて来たことを語っていただいた。
「世界的な規模で作品を集め、テーマも個人の身の回りを撮影するものから、地域、ドラマ、アニメーション、アートがあったり、いろいろなことがごった煮になっているところがこのフェスティバルの特徴でした。表面的にはばらばらなんですが、実は根っこはみんな同じなんだよねというところが、この東京ビデオフェスティバルが作ってきたものだと思います。このフェスティバルの作品は、単に技術的にすぐれた映像だけではなく、自分の問題として、自分だったらどうしようという、“ネクストの自分”を考えながら見られる作品がすごく多いんです。そういうことを社会に発信しているこのフェスティバルは最高だと思っています。
審査は大変なんですが、審査員はみんな逃げないで作品に真剣に向き合ってやってきました。作品を見るときは、作者にとってこの作品はどういう意味があるかということを考えてきましたし、見ている自分にとってもこれはどういう意味があるかを考えるきっかけになりました。
現在の傾向としては、多くの人がフラットな社会を求めているのではないかと思います。つまり特殊な事を描いた作品が光るのでなく、普段の生活にスポットをあてているものを求めている。今回のアカデミー賞で受賞した『おくりびと』とか、『つみきの家』は、普通の人の生活の中での死の問題をとりあげていますね。TVFでもここ数年、同様の傾向が見られるんです。去年のグランプリをとったお父さんと娘の私とのギャップなどを描いている作品や、今年の介護の問題の作品。それは今みんなが抱えている問題ですね。家庭って何なの、家族って何なのということが問われているわけです。
1970年代や80年代にTVFが始まった頃には、家族の問題に切り込むというテーマよりは、戦争というような大きな社会問題を切り口にしたり、地域のお祭りを描いて、人とのつつながりを大事にしていこうというような作品が多くて、家族の中の孤独感を描いているものは今ほど多くはありませんでした。逆に今は、地域の中での人のつながりを描くようなことはすごく難しくなっていますね。
今、ビデオの様々な創作活動、コミュニケーション活動が文化としてやっとスタートに立ったと感じています。例え今とはちがう形になったとしても、TVFは今後も継続して行かなければならない活動だと思っています。
「このフェスティバルが終了してしまい、作品をつくる目当てがなくなりショックを受けているビデオ作家たちに伝えたい言葉がある」として、監督は次のように語ってくれた。
「僕は世界中の映画館からスクリーンがなくなっても映画を作ります。映すところがないのに、なぜ作るのかと言われるかもしれませんが、映画を作って見せたい、あるいは見たい、あるいはこういう映画を誰かに伝えたいという人がいれば、必ずスクリーンは復活するんです。フェスティバルという形は世の中の色んな事情から、いったんは消えますが、作品さえあればその作品を発表する場所は必ず戻ってきます。だから皆さんはフェスティバルがあるから作るんじゃなくて、みなさんが生きて、喜びを求めて作品を作られれば、必ずそれを見せたい、見たいということで形が蘇ります」
「去年はもう一歩という感じがする作品が多かったんですが、今年の何十本かは実に素晴らしい。もし去年、ビクターさんがやめるとおっしゃったら非常に悲しかったと思うんです。もちろん今年も非常に悲しいんだけれど、皆さんの作品の質が本当に良くなってきたことがあって、ひとまずはここまでよくぞ支えてくださったと、ビクターさんには感謝の気持ちを伝えたいですね。
作品については、もちろん技術もありますが、一番大事なのはどういうことかと言いますと、今まで我々は社会というものを一般のジャーナリズムなんかは全部そうだけれど、「公」と「私」という風に分けているんですね。ところがそんなことはないんで、「私」というものはあり、「公」なんていうものは、上から命令するなんていう時代じゃないわけです。無数な「私」である私たちが、お互いの違いを認めながら折り合い、けんかしたりしながら、どういう社会を作っていくかが大切なことです。
その中で必要なものはある程度公的な機関を、私たちが作るわけです。今年の大賞を受賞したドイツの『メラニー』という作品は、非常にそういうことを現わしていると思いますが、日本の作品の中にもそういう風に感じられるものがどんどんでてきました。ビデオ大賞の『共に行く道』のおばあさん、僕と同じ80歳ですが。でも、あの方ははっきり“夫婦なんか一体じゃない”と作品の中でおっしゃっているわけです。それぞれ一人一人別の人間なんです。でもその人が、最後にこの、歌だけが歌えるだんな様を大事に共に生きていこうとして、月おくれの紅白歌合戦を歌うところで終わるというのは、感動的だと僕は思いました。お互いに違いはある、しかし、でもその人を愛していこうと。やはりそこから出発しないと新しい社会は生まれてこないと思いますね。TVFでは新しいビデオの文化というものが生まれ、今がその出発点になったのだと思います。」
これまでのビクター東京ビデオフェスティバルの詳細と、優秀作品は以下のHPから視聴することができる。
ビクター東京ビデオフェスティバル
http://www.jvc-victor.co.jp/tvf/index.html
<取材> 2009年3月1日「第31回ビクタービデオフェスティバル “TVF2009 in YOKOHAMA”」横浜ランドマークホール
<インタビュー・文> 山之内優子