豪華ゲストも参加した集大成的アルバム
待望の新作「マイ・フェイヴァリット・シングス」を辛島文雄自身が語る
――今回はメンバーが一堂に集まり収録とのことですが…。
辛島 みんな、「自分はこの時間とこの時間が大丈夫」って感じで凄かったよ。暇なのは自分だけだからね(笑)。レコーディングの時期は薬のせいで車の運転も少し怖いから、スタッフに迎えに来てもらって。階段でもけっこう大変だったなぁ。
ピアノの調律師の横山彼得さんが小さなグランドピアノを大きな音が出るように調律してくれて、僕としては音色も響きもベストだったと思っていいます。
誤解を招くかもしれないけど、僕に意思がなくて無心なわけ。普通はこんなCD作ってもらえないよ。どこのレコード会社に行っても、採算を無視して作ってくれたピットインの佐藤良武社長を含めスタッフのみんなに感謝です。僕はベストだと思っているから、セールスもベストになってもらいたいと思っています。
――ゲストで日野皓正さんと渡辺香津美さんが参加しています。
辛島 日野さんと香津美さんは本当に好意。ライヴでは一緒に演るけど、レコーディングとなるとレコード会社、ギャラ、いろんなことで実現しない。今回は彼らの友情ですよ。日野さんなんか、パリ帰り直後で、時差も大変な時に来てくれた。本当に皆さんのおかげでこのアルバムはできたという、感謝ばかりです。
――録音で苦労された点はありますか?
辛島 うまく弾けないから、苦労の連続といえば連続。手の痺れもあるし、あんまり弾いていないじゃない。華麗にピアノの操作ができない。結局、できることしか弾けていない。それが佐藤社長に言わせると、「力が抜けていて最高だよ!」ってことに(笑)。
――私も何度も聴いていますが、本当に一体感、まとまり感がありますよね。エネルギーというより全体が調和していて、素晴らしいです。
辛島 67歳まで分からなかったことが、音楽ってこういうことかなって今、分かった。前は「こらお前弾けるか? これでもか、俺はこんだけ弾けるんだぞ!」って、そんなことが僕の音楽の中にずっとあったんですね。それが今回はない(笑)。
そうすると、自分が弾けることしか弾けていない。ということはミュージシャン目線で言わせてもらえば、あるい意味、聴いている人にとっては分かりやすい。どこかで耳にしたフレーズとかが聴けるんです。僕はずっとそういうことを拒否してきた。「こんなものもあるんだぜ!」って音楽をやってきた。そこのところが、今回はうまく調和したと思っています。
――昨日も夜の10時くらいに聴いていたんですが、非常にリラックスできるんです。ながら聴きをしても、時々、これはすごいテクニックだなって感じが耳に入ってきます。
辛島 そうなんです。緊張感を持たなくて聴けるでしょ? 他の事を考えながらも、音楽が入ってくる。そういうことを意図して作ったわけではなく、一番の原因は僕にもう力が入らなくなっていたことでしょう。早弾きもできないし、ピアノのテクニックで脅かすような発想がゼロ。だから、そういい意味でいい感じでできた。
少しキザったらしくなるけれど、病気をするまでは「音楽は技術であり、理屈であり、ジャズミュージシャンは、そこら辺の奴が分かるポップスではだめだと。もっと上を上を目指すというのがジャズだと。だから人の心なんて言っている余裕はないんだよ」と。そんな感じでずっと67年間生きてきた。
ところが病気をしてみると、なんとまあ多く人が僕の体を心配してくれて、僕のために心を砕いてくれていることが、よーく分かった。本当に。音楽というのは技術やパワー、それだけじゃなくて、実は心なんだ、と67年もかかって気付いたということがあった。
病気する前に見えていたものと、病気をしてから見えたものは、本当に同じ比率くらいかな。今まで気付かなかったことがたくさんあって。なぜたくさんの人が、今みたいに弾けない俺がいいというのか、っていうのも今ならよく分かります。弾けてる時に、なんで客が来ないで、弾かなくなったらなんでそんなに客が来るの? みたいなね。それは僕の考え方がすごく偏っていたな、ということがよく分かったんです。だから病気をして体はしんどいけけど、心はフレッシュ。
病気をした後に、いただいたどの仕事もそうですし。今日が最後だと思っていつも弾いているから、一番来てくれたお客さんが喜んでもらえるようにね。だからと言って、おもねっているわけでもないし、媚びているわけでもない。そういう感じでピアノが弾けているのが、この半年です。その延長上に、あのアルバムがあるので、だからたぶん自分が気に入っていると思うんです。
――先日、新宿ピットインでの2DAYSのステージを拝見しましたが、素晴らしい演奏でした。そういう想いがあるからなんでしょうか?
辛島 そうなんです。それはやっと自分のピアノで、心と指が一致するっていう感じがします。前は、心はそんなことはないのに、指が勝手にそうなっていた、みたいな音楽だったかもしれない。いまは優しいね。音楽に対しても人に対しても。それは病気をしてから人が優しくしてくれた。ビックリするような人がお見舞いに来てくれましたし…。