SACD、ハイレゾからアナログまで試聴
デノン「1600NEシリーズ」レビュー。価格を越えた音楽性を備えるプリメイン&SACD
■相反するオーディオ的な精密感と音楽のエロティシズムを同時に再現
テストは音元出版の試聴室で行った。スピーカーはモニターオーディオのGOLD300を用いた。
まずは両モデルを接続して聴いた。両者を操作するのはほとんど生理的な快感だ。PMA-1600NEのボリュームノブのトルク感はすばらしく、同価格帯の海外製モデルとは比べ物にならないほど感触が良い。セレクターノブのクリック感も良好だ。入力が表示されるインジケーターは視認性が良く、ノイズにも配慮しているので安心して使うことができる。
一方、DCD-1600NEのプッシュボタンは伝統に忠実で、ディスクプレーヤーの操作に慣れているオーディオ人類ならば直感的に使いこなせるだろう。ディスクローディングメカニズムは剛性が高く、頼もしい。
さて、そのサウンドである。DCD-1600NEとPMA-1600NEの組み合わせで、まずはCDでジャズのピアノトリオを聴いたのだが、非常に美しくハイクォリティな表現だ。フレッシュで、瑞々しく、ディテールが豊富で、こちらから聴きに行かなくても音楽的情報を楽に得ることができる。エネルギーバランスは摩天楼型よりもやや低域に余裕があるいわばスカイツリー型だ。ベースの解像度が高く、音像がプリッとしている。ピアノの切れ味は抜群だ。右手はもとより左手の動きも楽に追尾できる。ドラムスの造形もすばらしく、キックドラムの振動やハイハットの開閉による空気の動きが風圧となってリスニングポジションに到達する。
ピアノトリオにサックスとトランペットが加わったクインテットではゴージャスな世界が開ける。エネルギーはたっぷりとしているのだが、サックスとトランペットが同じ旋律を演奏する際も音像が分離しており、その質感には青光りする刃物のような切れ味がある。リズムセクションの表現は明晰で、ピアノがブラスにかき消されるようなことはない。音楽的にはノリが良く、リズムに合わせて体を動かしたくなるようなダイナミズムがある。
女性ヴォーカルでは、ちょっとびっくりするような聴き味が得られた。通常、この価格帯の製品はジャンル的な穴が開かないようなチューニングを施すので、ヴォーカルの表現が当たり障りのないものになってしまいがちなのだが、両モデルはもっと踏み込んだ声の世界を聴かせてくれるのだ。
具体的にいうと、オーディオ的にも音楽的にも精密感があるにもかかわらず、声の質感には精密とは相反するようなエロティシズムがあるのだ。歌手にもよるだろうが、とくに語尾の消え方にゾクッとするようなエロスが漂っている。おそらくはスピーカーの制動力が高いがゆえに、このような聴き味になるのだろう。
■この価格でこれほど深い音楽を奏でるプレーヤーとアンプを、私は知らない
クラシックはイタリアの新進指揮者アンドレア・バッティストーニが東京フィルハーモニーを振った「第九」を聴いた。この演奏は非常に斬新だ。おそらくバッティストーニは過去の演奏パターンに囚われず、虚心坦懐にスコアを読んでリハーサルに臨んだのだろう。二十世紀を通じて形作られた「苦悩から歓喜へ」という解釈とは全く異なる、いわば「狂人の悪夢」のような「第九」の音響世界が描かれている。えっ、こんなふうに演奏してもいいの? と訝しく思うことが度々あるのだが、スコアを見ると、なるほどその通りに書かれているのである。
そして、ここからが重要なのだが、両モデルで聴くと、バッティストーニの音楽作りが何となくではなく、確固としたディテールから理解できるのである。この価格でこれほど深い音楽を奏でるプレーヤーとアンプを、私は寡聞にして知らない。
テストは音元出版の試聴室で行った。スピーカーはモニターオーディオのGOLD300を用いた。
まずは両モデルを接続して聴いた。両者を操作するのはほとんど生理的な快感だ。PMA-1600NEのボリュームノブのトルク感はすばらしく、同価格帯の海外製モデルとは比べ物にならないほど感触が良い。セレクターノブのクリック感も良好だ。入力が表示されるインジケーターは視認性が良く、ノイズにも配慮しているので安心して使うことができる。
一方、DCD-1600NEのプッシュボタンは伝統に忠実で、ディスクプレーヤーの操作に慣れているオーディオ人類ならば直感的に使いこなせるだろう。ディスクローディングメカニズムは剛性が高く、頼もしい。
さて、そのサウンドである。DCD-1600NEとPMA-1600NEの組み合わせで、まずはCDでジャズのピアノトリオを聴いたのだが、非常に美しくハイクォリティな表現だ。フレッシュで、瑞々しく、ディテールが豊富で、こちらから聴きに行かなくても音楽的情報を楽に得ることができる。エネルギーバランスは摩天楼型よりもやや低域に余裕があるいわばスカイツリー型だ。ベースの解像度が高く、音像がプリッとしている。ピアノの切れ味は抜群だ。右手はもとより左手の動きも楽に追尾できる。ドラムスの造形もすばらしく、キックドラムの振動やハイハットの開閉による空気の動きが風圧となってリスニングポジションに到達する。
ピアノトリオにサックスとトランペットが加わったクインテットではゴージャスな世界が開ける。エネルギーはたっぷりとしているのだが、サックスとトランペットが同じ旋律を演奏する際も音像が分離しており、その質感には青光りする刃物のような切れ味がある。リズムセクションの表現は明晰で、ピアノがブラスにかき消されるようなことはない。音楽的にはノリが良く、リズムに合わせて体を動かしたくなるようなダイナミズムがある。
女性ヴォーカルでは、ちょっとびっくりするような聴き味が得られた。通常、この価格帯の製品はジャンル的な穴が開かないようなチューニングを施すので、ヴォーカルの表現が当たり障りのないものになってしまいがちなのだが、両モデルはもっと踏み込んだ声の世界を聴かせてくれるのだ。
具体的にいうと、オーディオ的にも音楽的にも精密感があるにもかかわらず、声の質感には精密とは相反するようなエロティシズムがあるのだ。歌手にもよるだろうが、とくに語尾の消え方にゾクッとするようなエロスが漂っている。おそらくはスピーカーの制動力が高いがゆえに、このような聴き味になるのだろう。
■この価格でこれほど深い音楽を奏でるプレーヤーとアンプを、私は知らない
クラシックはイタリアの新進指揮者アンドレア・バッティストーニが東京フィルハーモニーを振った「第九」を聴いた。この演奏は非常に斬新だ。おそらくバッティストーニは過去の演奏パターンに囚われず、虚心坦懐にスコアを読んでリハーサルに臨んだのだろう。二十世紀を通じて形作られた「苦悩から歓喜へ」という解釈とは全く異なる、いわば「狂人の悪夢」のような「第九」の音響世界が描かれている。えっ、こんなふうに演奏してもいいの? と訝しく思うことが度々あるのだが、スコアを見ると、なるほどその通りに書かれているのである。
そして、ここからが重要なのだが、両モデルで聴くと、バッティストーニの音楽作りが何となくではなく、確固としたディテールから理解できるのである。この価格でこれほど深い音楽を奏でるプレーヤーとアンプを、私は寡聞にして知らない。
次ページPMA-1500NEのUSB入力/フォノ入力をチェック