サウンドクリエイトでのイベント模様をレポート
ミュンシュ、カラヤン、ロト。録音で味わうベルリオーズ「幻想交響曲」の革新性
人物や物に特定のテーマを与える「固定楽想」
山之内 しかもその自分が考えたストーリーなり、思いといったものを、音楽の中でどう表現するか、これを自分で発明して編み出したようなことを、ベルリオーズはたくさんやってますよね。ワーグナーが発明した特定の概念、人物や物にまでテーマをつけていく「ライトモチーフ」的な手法を、ベルリオーズは先んじて試みています。
黒崎 ワーグナーがライトモチーフを取り入れたのは、当然ベルリオーズの影響ですよね。「幻想」の固定楽想(イデー・フィックス)を聴いてみましょうか。1楽章で提示され、その後2楽章の「舞踏会」、3楽章、4楽章のところでもちょこっと出てくる、5楽章でも変形した形で出てきます。
ワーグナーのライトモチーフはわかりやすいんだけど、「幻想」で使われるライトモチーフはふにゃふにゃしていて、気づかないと逃げ去ってしまうようなもので…そうですね、固定楽想を追いかけて聴いてみましょう。
♪♪「幻想交響曲」第1楽章(シャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団、1954年、TIDAL)♪♪
黒崎 いい音していますね。こんなにテンポゆっくりでしたか、ミュンシュは。
山之内 これは1954年の録音です。ミュンシュはパリ管弦楽団の他、ライブの録音もあり、何度も録音をしていますが、パリ管の録音が定番ですね。
黒崎 コントラバスのピチカート効いていますよね(1分10秒/12小節)。
山之内 「固定楽想」(5分12秒/72小節)が出てきました。フルートとヴァイオリンですね。
黒崎 こんな出方なので、あんまり気が付かないんです。溶け込んでいるけれど、これが重要な固定楽想で、2楽章、3楽章、4楽章、5楽章と変形していきます。
山之内 全曲通して同じテーマで行くというのも、これもなかなかベルリオーズらしいというか、しつこいですよね。やっぱり女の人、一人に対する思いが非常に強いから?ちょっと危ない感じですよね(笑)。
黒崎 かなり危ないですね。「幻想」はベルリオーズが26、7歳くらいの時の作品です。作曲の数年前にパリでシェイクスピア劇団の「ハムレット」の公演があり、それを見たベルリオーズは、オフィリア役のハリエット・スミスソンに心酔してストーカーになるぐらい追っかけた。ですがその時はその恋は実らず、彼女への恨みつらみもあって、こういう曲になるわけですよね。恐ろしい。
山之内 その彼女に対する思いが、この作品を生んだ原動力になっています。ベルリオーズらしい作曲的な特徴も聴き取れると思うんですけど、響きとしてすごく透明感がある。この演奏の特徴もそうですけれども、今まだこの段階ではなんて美しい旋律だろうと。そしてこれが、だんだん変わっていくんですよ。
黒崎 ベルリオーズは「幻想交響曲」を1830年に書き上げて初演します。するとそれをスミスソンが聴いて、彼女も振り向いてくれたのでしょう、2人は結婚します。ですが、この好きだった彼女をこうも悲惨な描き方をするとは…。
山之内 本当ですよね。夢が叶ったはずなのに、その時はもうすでに冷めているという。あんまりですよね。見方によっては、この作品を生み出すためにスミスソンは利用されたってことになるかもしれないけど…。
2楽章「舞踏会」、オーケストラでハープを使う新しい試み
黒崎 音楽の世界から見ると、彼女の存在はこの面白いシンフォニーを生み出してくれた超原動力ですよね。今度は2楽章「舞踏会」を聴いてみましょうか。グザヴィエ・ロトで聴きますかね。ベルリオーズ自身がプログラムを書いていますので見てみましょう。
<「幻想交響曲」全体のプログラム>
病的な感受性と激しい創造力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現れる。愛する人その人が、一つの旋律になってそれがあたかも固定観念のように現れ、そこかしこに見いだされ、聞こえてくる。
黒崎 「一つの旋律になって」というのが固定楽想のことですが、これが全楽章を通して現れる。2楽章については、舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する女性に巡り合う。こういう表題をつけています。それから、2楽章ではすごく特徴的なハープを使っていますが、オーケストラでハープを使うっていうのは、今でこそ当たり前のように感じますが、これがほぼ初めてだったのではないかと思います。
山之内 これもベルリオーズの「発明」といってもいいと思いますね。ただ使うのではなく、最初の構想では4台。4台って現代の常識から考えてもあまりに多いんですよ。大きな楽器ですから、ステージのどこに並べるのかという問題もあります。それをものすごく極端な形で再現したのが今からかけるグザヴィエ・ロト&レ・シエクル盤です。録音が2019年ですから割と最近のものです。
黒崎 見てください、このジャケット写真。なんとハープ4台を指揮者の横、ヴァイオリンの前に2台ずつで配置させているんですよね。グザヴィエ・ロト、やっぱり面白いやつだな。
山之内 でもベルリオーズがロトが4台ハープを使ったことを知ったら大変喜ぶと思いますね。「こういう風にしたかったんだよ」って言うかもしれない。
黒崎 スコアでハープの部分を見ると、このハープそのものの形と共鳴するようで面白い。それが4台分書いてあります。
♪♪「幻想交響曲」第2楽章(グザヴィエ・ロト指揮、レ・シエクル、2019年、SACD盤)♪♪
黒崎 舞踏会のざわめきから始まり、とても美しいワルツです。固定楽想が出てきます(1分59秒/120小節)。
山之内 フルートとオーボエが始まり、フルートとクラリネットに変わります(2分6秒/128小節)
黒崎 ワルツの中に彼女が登場してきていますね。ビオラと、セカンドヴァイオリンのワルツが始まります(2分56秒/175小節)。今はまだベルリオーズの気持ちが彼女への憧れに満ちています。
山之内 ロトのこの録音のSACDのブックレットには、演奏者全員の名前が書いてあります。しかも、使っている楽器もすべて明記されていて、何年に作られた楽器、ということまで記載されています。たとえば木管は19世紀前半制作の楽器を使っています。当時のベルリオーズが聴いていた音、頭の中で考えたイメージの元になった音を再現しよう、そういう狙いがあるのでしょう。
黒崎 ロトはずっとそうしたことをやってきていますね。ストラヴィンスキー「春の祭典」「火の鳥」など3大バレエを録音した時も、1910年前後に使われていた楽器を集めて演奏するんですよね。
山之内 レ・シエクルは、ロトによって設立されたオーケストラですが、彼らは曲によって楽器を持ち換えるわけです。これは管楽器奏者にとっては大変なことだと思います。
普段使い慣れている楽器とは違うものを持つことも大変ですし、楽器が換わるだけではなく奏法まで変わるので、それを含めて考えると、オーケストラのメンバーには大変な課題だと思います。弦に関してはガット弦使用としか書いてないのですが、管の方はピリオド楽器で揃えています。しかし今あらためて思いましたが、「幻想」の中でこのワルツが個人的には一番好きな楽章です。
黒崎 これはいいワルツです。スコアを手にして聴いてみたら改めて発見があって面白いです。ハープは、なんと贅沢なことにこの2楽章しか使わないんですよね。
山之内 もう一つの贅沢はティンパニですね。通常は一人の奏者が複数台の楽器を叩きます。ですが、この曲では4つのティンパニを使うんですけど、一人1台、ティンパニ奏者が4人並ぶんです。しかも4人全員が叩くのは本当にわずかな雷鳴を模したフレーズだけなんですね。
黒崎 楽譜には理想を書いたのかなあ。
山之内 彼の頭の中では、もっと強い音が欲しい、自然の雷は、こんなもんじゃない、だったら数を増やそうという発想だと思うんですよね。でもその後の作曲家はみんな同じようなことやっています。