公開日 2020/10/21 11:04
マリンバ奏者 名倉誠人インタビュー:3D音響やハイレゾも活用。生ライブとも違う“高品質”配信の背景
『Bach Parallels』でAURO 3Dにも挑戦
去る10月6日、HD/ハイレゾクオリティでのライブストリーミングの公開実験を成功させたマリンバ奏者・名倉誠人。レコーディングとも、生のライブとも違う「ハイクオリティなライブストリーミング」の可能性を、いち早く、また深く追求しているアーティストのひとりだ。
8月には、立体音響技術「AURO 3D」で録音されたアルバム『Bach Parallels』をe-onkyo musicから配信限定でリリース。AURO 3Dを謳ったアルバムリリースは世界的にも非常に珍しく、新型コロナウイルスの影響により活動が厳しく制約されている中で、さまざまな形で音楽を届ける活動を続けている。
このライブストリーミングとアルバムレコーディングの双方を、技術面からサポートしたのが、録音エンジニアの入交英雄である。この公開実験と『Bach Parallels』は、かたやライブパフォーマンスとして、かたや録音芸術の粋を極めたものとして、マリンバによって表現されるJ.S.バッハの世界を多角的に追求したものとなっている。
ハクジュホールでの公開実験を振り返りつつ、『Bach Parallels』制作の舞台裏、そして音楽産業が未曾有の危機を迎えている時代において、音楽家としてどのようなメッセージを届けていくのか、名倉、入交両氏にインタビューを行った。なお、このインタビューはzoomを使ってのオンライン形式で行われた。
■柔軟な発想で、バッハの世界をマリンバ用にアレンジ
山之内 新型コロナウイルスの影響を受けて、音楽活動にも大きな影響がでているように思います。名倉さんは今年、どのように過ごされていたのでしょうか?
名倉 今年は春夏のすべての演奏会が中止または延期になってしまいました。私はニューヨークに住んでおりますが、町全体がロックダウンしてしまい、車も人も通ってない、聞こえるのは救急車のサイレンのみ、という日が続きました。家で練習することはできましたが、出かけることもできませんし、いままで経験したことのないような時間を過ごしました。演奏会をこれだけ長い間できないことは、プロになってからはじめての経験でした。
8月中旬になんとか帰国して、9月1日、豊中市立文化芸術センターでライブを行いました。半年ぶりのコンサートになりましたが、本当に、お客様を前にして演奏することはかけがえのない経験であることを改めて実感しました。家での練習とは全く異なり、静寂の集中力が「高まる」とでもいうのでしょうか、お客様の存在が、私たちの演奏に大きな影響を与えているのです。
山之内 近年は『バッハ・ビート』『バッハ・ビートII』や、発売になったばかりの『Bach Parallels』など、J.S.バッハをフィーチャーした作品に積極的に取り組んでいます。先日のハクジュホールでの公開実験で披露されたのもバッハの楽曲ですね。
名倉 バッハの音楽は抽象的な音楽ですが、人間の感情に寄り添うようなところもあります。集中すれば集中するほどいろんなものが聴こえてきます。
山之内 名倉さんがおっしゃるバッハの深い世界を表現する上で、やはり「高音質」な録音というのは非常に重要な要素になると感じます。ハクジュホールでは、映像も音楽もハイクオリティで配信するという画期的な取り組みが行われました。
入交 音楽には、単なるステレオ音声や、圧縮音源では表現できない世界がたくさんあります。それを少しでも伝えるために、これまでもハイレゾや3Dなどいろいろな実験をしてきました。ライブストリーミングは現在非常に増えていますが、音質的な面での不満も少なくないようです。これまでもやってきたことですが、コロナ禍という時代背景を受けて、さらにこの取り組みに邁進していきたいと考えています。
山之内 公開実験では、「無伴奏組曲ハ短調」をマリンバ用にアレンジしたものも演奏されました。このアレンジの意図について教えてください。
名倉 「無伴奏組曲ハ短調」はもともとチェロのために書かれたものですが、バッハ自身がリュート版も作成しています。この2つを比べてみると、リュート版ではリュートの演奏技法に合うように、自由に、また柔軟に変更しているのです。このアレンジは、もしバッハがマリンバ編曲を作ったら? という気持ちで作ったものです。マリンバは音域も広いから上の方も使ってみよう、繰り返しの時はオクターヴ変えてみよう。バッハの考えていたことからはみ出ないよう、時代の様式からもはみ出ないように意識しつつも、マリンバに合わせて柔軟に編曲しています。
山之内 アレンジを変えてもバッハの表現の深みを持ち続けることができるのだ、と私も感じました。初めて聴こえてくる響きや発見もありましたね。
名倉 先日友人の作曲家が、「バッハは、楽器の音色に頼って作曲をしていない」と指摘していて、非常に納得しました。たとえばショパンのピアノ曲では、ピアノの音色に頼って作曲をしているので、他の楽器で演奏すると何かが損なわれてしまいます。ですが、バッハではそのようなことがありません。
山之内 収録する上でマリンバという楽器の難しさ、あるいはこだわりのポイントはありますか?
入交 これは名倉さんだからかもしれませんが、非常に音が大きいんです。マイクゲインで言いますと、フルオーケストラ同等の音量が出ています。にもかかわらず、弱音部では消え入るようなピアニッシモを表現します。このダイナミックレンジを収録するのがまず一番難しい。単純にコンプレッサーなどを用いると、マリンバの持つアタック感が歪んでしまいます。ミックスダウンする時は非常に気を使いますね。また、マリンバは圧縮音声が最も苦手とする楽器のひとつで、木の響きと打ち鳴らす瞬間のパルシブな音を表現するのは非常に難しいのです。
山之内 再生装置にとってもマリンバの音はとても難しい。音色を正確に再現することもそうですし、アタックの立ち上がりの情報があいまいになっていると、少しストレスを感じてしまうことがありますね。
名倉 演奏者の立場からすると、録音の難しさから、倍音がなるべく出ない柔らかいバチで演奏する奏者もいます。しかし、それではマリンバ本来の魅力がなくなってしまう、と私は考えています。マリンバが生み出す複雑な倍音を、いかに自分の腕で調整するか、それがマリンバの魅力と私は考えています。その魅力が、高音質な録音、そして配信によって、きちんとリスナーの方にも伝わって欲しいですね。
編集部 筑井 実際にこのライブ配信の模様を、後日自宅でも視聴テストしましたが、まさに生の現場に引き戻されたようなリアリティを感じました。
山之内 当日はステージのメインマイク以外に、客席の高い位置にもマイクをセッティングされていました。これは入交さんの録音現場に行くといつも目にする光景ですが、今回の収録でも、楽器の直接音だけではなく、空間ならではの響きにもこだわっているのですね?
入交 今回の公開実験では、HPLという技術を用いてバイノーラル化して、ヘッドフォンで3Dオーディオのようなサウンドを実現することも目的のひとつでした。そのため、高い位置に置くマイクも必要になりました。実は3D録音を始めて分かったことですが、単純なステレオ録音であっても、高い位置の音声情報を混ぜると、高さ方向を感じるんです。通常のステレオ録音の時は、アンビエンスマイクはこの辺の位置、というようなある種定石があるのですが、ホールの高さ方向の情報を加えることで、ステレオ音源でも高さ方向を感じることができるのは大きな発見でした。
8月には、立体音響技術「AURO 3D」で録音されたアルバム『Bach Parallels』をe-onkyo musicから配信限定でリリース。AURO 3Dを謳ったアルバムリリースは世界的にも非常に珍しく、新型コロナウイルスの影響により活動が厳しく制約されている中で、さまざまな形で音楽を届ける活動を続けている。
このライブストリーミングとアルバムレコーディングの双方を、技術面からサポートしたのが、録音エンジニアの入交英雄である。この公開実験と『Bach Parallels』は、かたやライブパフォーマンスとして、かたや録音芸術の粋を極めたものとして、マリンバによって表現されるJ.S.バッハの世界を多角的に追求したものとなっている。
ハクジュホールでの公開実験を振り返りつつ、『Bach Parallels』制作の舞台裏、そして音楽産業が未曾有の危機を迎えている時代において、音楽家としてどのようなメッセージを届けていくのか、名倉、入交両氏にインタビューを行った。なお、このインタビューはzoomを使ってのオンライン形式で行われた。
■柔軟な発想で、バッハの世界をマリンバ用にアレンジ
山之内 新型コロナウイルスの影響を受けて、音楽活動にも大きな影響がでているように思います。名倉さんは今年、どのように過ごされていたのでしょうか?
名倉 今年は春夏のすべての演奏会が中止または延期になってしまいました。私はニューヨークに住んでおりますが、町全体がロックダウンしてしまい、車も人も通ってない、聞こえるのは救急車のサイレンのみ、という日が続きました。家で練習することはできましたが、出かけることもできませんし、いままで経験したことのないような時間を過ごしました。演奏会をこれだけ長い間できないことは、プロになってからはじめての経験でした。
8月中旬になんとか帰国して、9月1日、豊中市立文化芸術センターでライブを行いました。半年ぶりのコンサートになりましたが、本当に、お客様を前にして演奏することはかけがえのない経験であることを改めて実感しました。家での練習とは全く異なり、静寂の集中力が「高まる」とでもいうのでしょうか、お客様の存在が、私たちの演奏に大きな影響を与えているのです。
山之内 近年は『バッハ・ビート』『バッハ・ビートII』や、発売になったばかりの『Bach Parallels』など、J.S.バッハをフィーチャーした作品に積極的に取り組んでいます。先日のハクジュホールでの公開実験で披露されたのもバッハの楽曲ですね。
名倉 バッハの音楽は抽象的な音楽ですが、人間の感情に寄り添うようなところもあります。集中すれば集中するほどいろんなものが聴こえてきます。
山之内 名倉さんがおっしゃるバッハの深い世界を表現する上で、やはり「高音質」な録音というのは非常に重要な要素になると感じます。ハクジュホールでは、映像も音楽もハイクオリティで配信するという画期的な取り組みが行われました。
入交 音楽には、単なるステレオ音声や、圧縮音源では表現できない世界がたくさんあります。それを少しでも伝えるために、これまでもハイレゾや3Dなどいろいろな実験をしてきました。ライブストリーミングは現在非常に増えていますが、音質的な面での不満も少なくないようです。これまでもやってきたことですが、コロナ禍という時代背景を受けて、さらにこの取り組みに邁進していきたいと考えています。
山之内 公開実験では、「無伴奏組曲ハ短調」をマリンバ用にアレンジしたものも演奏されました。このアレンジの意図について教えてください。
名倉 「無伴奏組曲ハ短調」はもともとチェロのために書かれたものですが、バッハ自身がリュート版も作成しています。この2つを比べてみると、リュート版ではリュートの演奏技法に合うように、自由に、また柔軟に変更しているのです。このアレンジは、もしバッハがマリンバ編曲を作ったら? という気持ちで作ったものです。マリンバは音域も広いから上の方も使ってみよう、繰り返しの時はオクターヴ変えてみよう。バッハの考えていたことからはみ出ないよう、時代の様式からもはみ出ないように意識しつつも、マリンバに合わせて柔軟に編曲しています。
山之内 アレンジを変えてもバッハの表現の深みを持ち続けることができるのだ、と私も感じました。初めて聴こえてくる響きや発見もありましたね。
名倉 先日友人の作曲家が、「バッハは、楽器の音色に頼って作曲をしていない」と指摘していて、非常に納得しました。たとえばショパンのピアノ曲では、ピアノの音色に頼って作曲をしているので、他の楽器で演奏すると何かが損なわれてしまいます。ですが、バッハではそのようなことがありません。
山之内 収録する上でマリンバという楽器の難しさ、あるいはこだわりのポイントはありますか?
入交 これは名倉さんだからかもしれませんが、非常に音が大きいんです。マイクゲインで言いますと、フルオーケストラ同等の音量が出ています。にもかかわらず、弱音部では消え入るようなピアニッシモを表現します。このダイナミックレンジを収録するのがまず一番難しい。単純にコンプレッサーなどを用いると、マリンバの持つアタック感が歪んでしまいます。ミックスダウンする時は非常に気を使いますね。また、マリンバは圧縮音声が最も苦手とする楽器のひとつで、木の響きと打ち鳴らす瞬間のパルシブな音を表現するのは非常に難しいのです。
山之内 再生装置にとってもマリンバの音はとても難しい。音色を正確に再現することもそうですし、アタックの立ち上がりの情報があいまいになっていると、少しストレスを感じてしまうことがありますね。
名倉 演奏者の立場からすると、録音の難しさから、倍音がなるべく出ない柔らかいバチで演奏する奏者もいます。しかし、それではマリンバ本来の魅力がなくなってしまう、と私は考えています。マリンバが生み出す複雑な倍音を、いかに自分の腕で調整するか、それがマリンバの魅力と私は考えています。その魅力が、高音質な録音、そして配信によって、きちんとリスナーの方にも伝わって欲しいですね。
編集部 筑井 実際にこのライブ配信の模様を、後日自宅でも視聴テストしましたが、まさに生の現場に引き戻されたようなリアリティを感じました。
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