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公開日 2002/11/22 20:05
なみおか映画祭開催中! 映画祭事務局山内氏にインタビュー
●現在、青森県南津軽郡の浪岡町で第11回なみおか映画祭が開催されている(11月24日まで)。
今年はゴダール、ワイズマンの特集等が上映中(上映日程作品等はhttp://www.phileweb.com/news/home-t/200211/18/2649.htmlまで)。
青森に縁があまりなくて、青森で映画祭? 浪岡町とはどんなところだろうか? と思う方も多いのではないだろうか。
なみおか映画祭実行委員会事務局の山内秀範氏にメールによるインタビューをして、映画祭にいたる経緯等をうかがった。
<なみおか映画祭実行委員会事務局の山内秀範氏インタビュー>
「昔はこんな小さな町でも4館もあったそうです。最後の1館から映写機の灯が消えてから30年近くなります。この間、親子映画の会という小さな自主上映(16ミリ)グループはありましたが、映画祭のようなものはありませんでした。」
映画祭が始まったのは、1991年で、ソビエトのレンフィルムの映画祭をおこなったのがきっかけだったという。
「第1回が『レンフィルム祭』であったことはご存知だと思います。当初、複数回開催したいという考えはありましたが、結果どうなるかは予想できませんでした。そのため、第1回のチラシには“第1回”とは印刷されていません。映画祭が終わって一段落した2月、主だったメンバーが集まって話し合った中で、『あれだけ、ホールから出てくる人たちに、来年は何をやるの?来年も来ます、と言われたらやるしかないんじゃないの』という声に『最低10回はやろう』ということになりました。」
街の人はこの映画祭に対しては、どんな反応なのだろうか?
「地域の反応は、“難しい映画をやっているが、ここでしか見れないプログラムを見るために全国から人が集まるという企画は、浪岡町ではなみおか映画祭だけ。浪岡町が全国に誇れる文化事業である”という声が多く聞かれます。また、中世の館では、夏に『ナミオカ名画座』と題し、映画館が娯楽の王様だった頃の邦画ばかりを6作品・3日間、上映しています。こちらは、今年の夏に10回を数えました。映画と地域を近づける目的(若干はなみおか映画祭のフォローもあります)で始めましたが、上映作品から年配者が昔を懐かしめるために足を運ぶ(これも目的です)のはおわかりいただけると思いますが、若い人にとって名前は知っているが初めてスクリーンで見る作品ばかりのため、北海道東北・関東からも来ます。」
町は、この映画祭についてどんな対応をしているかというと…。
「浪岡町は、この事業に対し、初めから“人と金は出すが、口は出さない。内容・企画・運営は本当に映画が好きな人に任せる”の方針できました。だから、どんな作品を上映しても構わないのです。ピンクを上映する際に、行政施設での上映について、町長・教育長等に確認したところ、“映画だから構わない”との返事でした。」
なみおか映画祭では、映画上映に際し、映画上映技術者の紹介をしている。
これは素晴らしいことであるが、いつから、どのような考えで、そうしているのだろうか?
「第1回映画祭の講師蓮實重彦氏(映画評論家・前東京大学学長、当時は東大教育学部長)が上映終了後、映写室に駆け込み『これまでの映写でこれほど完璧に映写してくれたのは初めてだ』と映写技師に握手を求めました。蓮見氏は実行委員に対し、『皆さんは、柴田さんという素晴らしい財産を持っている。』と話しました。映写技師にいないとフィルムは回りません。映写技師あっての映画祭。第2回でも話になりながらも、名前を記載することまで気が回りませんでしたが、第3回からはなみおか映画祭の映写に対するスタンスとして印刷部に名前を入れることにしました。」(以上、メールによるインタビュー)
*なみおか町と映画祭について
<中世の里なみおか映画祭―10年の軌跡>
1.中世の里なみおか
青森県南津軽郡浪岡町。人口21,400人。面積132Ku。りんご畑と田んぼに囲まれた小さな町ですが、りんごの生産量は弘前市、長野市に次いで3番目。町村では全国一を誇っています。
地理的には、県都青森市の真下に位置し、北の青森市までは車で約40分、南の弘前市へは30分、東の黒石市は15分、西の五所川原市は30分の距離に位置しています。因みに津軽地方(青森県を東西に二分した西側)の市はこの4市だけ。自ずとこれらを結ぶ国道等の主要道路が東西・南北に走る。その交差地が浪岡町であり、古くから交通の要衝として発展してきました。また、青森空港(半分は浪岡町)まで車で15分の距離にあることから、2時間半もあれば都心にいることもできます。
歴史的には、縄文・弥生・平安など各時代の遺跡が多数ありますが、中でも国史跡指定(青森県第1号)の浪岡城跡は、北の中世史を語る上で重要視されています。浪岡城は、南朝の雄・北畠親房、顕家の子孫である浪岡北畠氏によって15世紀後半に築城されました。築城当時から“浪岡御所”(現在も地番は五所)と呼ばれ、北日本に位置しながらも、京都等との連携を保ち従四位下・左中将まで官位を高めた名門。当然、交易も盛んに行われ、国内の主だった陶器をはじめ、中国製陶磁器、金属器、1万点以上もの銭貨などが出土しており、この時代、浪岡が津軽の政治・経済・文化の中心地であったことを物語っています。
町のキャッチフレーズが『中世の里なみおか』なのも、中世の館の“中世”もここから来ています。また県内の町村にあっては、芸術家や文化人が多いのもここに由来しているのかも…。
2.なぜ、映画祭・・・・・事の起こり
‘91年11月12日、町出身の若手芸術家と町長による文化座談会が開かれました。終盤、翌年8月オープンの中世の館(歴史・文化・芸術の複合施設)の事業について意見交換がなされた中で、長谷川孝治(劇作家、弘前劇場主宰、なみおか映画祭アソシエイト・ディレクター)が「浪岡に来ると普通の所(映画館)では見られない映画が見れる。そんな映画祭があってもいい」と発言。この一言が座談会担当者の感性をくすぐりました。
浪岡町から映写機の光が消えて約20年。津軽地方の映画館は青森・弘前・五所川原の3市に集中していますが、人口に対する映画館の数(当時も現在も28スクリーン)は全国的に見て多い方です。ところが、上映作品はどこも同じ。このような映画事情と浪岡の地の利を計算すれば、“映画祭”は魅力的な響きを放ったのです。しかし、映画祭がどうすればできるのか、誰一人知らない。35mmフィルムも、映写機も見たことがない。
12月17日、運命の日は以外にも早くやってきました。担当者から報告を受けていた課長が、いつものように朝刊に視線を走らせると、“レンフィルム”という文字に視線が止まる。学生時代に読み漁った映画情報誌に“レンフィルム”に関する記述があり、30年近くも前の記憶が甦る。10数行の小さな囲み記事『レンフィルム祭上映団体募集』を握り締めて出勤。歯車は、急速に回りだしたのです。
3.映画祭―10年の軌跡
年度が明けた4月、映画祭の準備作業は本格的に始動しました。関係機関との打ち合わせ、予算の確保、…等々。実行委員には、地元マスコミに映画評論を執筆している弁護士の三上雅通(なみおか映画祭ディレクター)など数名に参加を呼び掛けるとともに、新聞等で映画好きを公募。
6月6日、津軽一円から集まった映画好きが集い実行委員会が組織され、「良質の映画を視る」「映画を発見する」を基本とする中世の里なみおか映画祭はスタートしました。
第1回から第10回までの概要は以下のとおりです。
■第1回『レンフィルム祭』−映画の共和国へ− 92.10.15〜18
講演 蓮實重彦(映画評論家)
■第2回『映画を、発見する』−もう、辺境とは呼ばせない− 93.11.11〜14
講演 金井美恵子(文芸作家)
■第3回『活劇の系譜』−日本映画の再発見− 94.10. 7〜10
講演 山根貞男(映画評論家)
シンポジウム 弘子・ゴヴァース(フランス・オルレアン「日本映画ビエンナーレ」プログラム・ディレクター)ほか
■第4回『映画・様々な視線』 95.11. 2〜5
−今日も世界の何処かで、映写機は回っている−
講演 大久保賢一(映画評論家)
シネマ・トーク 保坂和志(作家)、風間志織(映画監督)、大久保賢一(映画評論家)
※この回から最終日にシネマ・パーティーを開催
■第5回『映画−記憶のタペストリ』 96.11. 1〜4
講演 阿部和重(作家)
シンポジウム 大久保賢一(映画評論家)、宮沢啓(山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)ほか
シネマ・フォーラムT 牧野守(日本映画史研究)、細萱敦(川崎市市民ミュージアム学芸員)ほか
シネマ・フォーラムU 中田秀夫(映画監督)、阿部和重(作家)
※この回からフォーラム終了後に交流会を開催
■第6回『キャメラアイ−映像の行方』 97.10.31〜11.3
シンポジウム 田村正毅(映画キャメラマン)、青山真治(映画監督)、諏訪敦彦(映画監督)、大久保賢一(映画評論家)
シネマ・フォーラムT 荒井晴彦(映画監督)、柄本明(俳優)、川上皓市(映画カメラマン)
シネマ・フォーラムU 黒沢清(映画監督)、青山真治(映画監督)、藤崎康(映画評論家)ほか
シネマ・フォーラムV 諏訪敦彦(映画監督)、保坂和志(作家)ほか
■第7回『映画は待ってくれない−MOVIES DON'T WAIT』 98.11.20〜23
講演 芝山幹郎(映画評論家)
シンポジウム 山根貞男(映画評論家)、中田秀夫(映画監督)
シネマ・フォーラムT 森山京子(映画評論家)、宮岡秀行(映画作家)
シネマ・フォーラムU 山屋孝郎(SF映画愛好家)、畑澤聖悟(劇作家)ほか
シネマ・フォーラムV 山根貞男(映画評論家)、中田秀夫(映画監督)、藤崎康(映画評論家)
■第8回『ポップコーンはいらない−Who needs POPCORN?』 99.11.19〜23
シンポジウム 山根貞男(映画評論家)、篠崎誠(映画監督)
シネマ・フォーラムT 山根貞男、森山京子(映画評論家)、鈴木一誌(グラフィックデザイナー)
シネマ・フォーラムU 小嶋宏一(映画監督)ほか
シネマ・フォーラムV 松本正道(アテネ・フランセ文化センター主任)、諏訪敦彦(映画監督)、是枝裕和(映画監督)、篠崎誠(映画監督)
■第9回『映画史・映画志−Histoire(s) du Cinéma, Esprit du Cinéma』00.11.23〜26
シンポジウムT 山根貞男(映画評論家)、荒井晴彦(脚本家)、中田秀夫(映画監督)、鈴木一誌(グラフィックデザイナー)ほか
シンポジウムU 大久保賢一(映画評論家)、上野昴志(映画評論家)、中田秀夫(映画監督) 、 篠崎誠(映画監督)
シネマ・フォーラムT 山根貞男(映画評論家)、小暮宣雄(自治省・全国市町村国際文化研究所参与)ほか
シネマ・フォーラムU 山根貞男、冨田三起子(映画コーディネーター)、鈴木一誌(グラフィックデザイナー)
シネマ・フォーラムV 冨田三起子、堀三郎(アテネ・フランセ文化センター技術主任)ほか
■第10回『なみおか・デケイド−ずっと映画のことを思っていた』
The Namioka Decade−Movie are Always on my Mind 01.11.21〜25
シンポジウムT マイク・マション(アメリカ議会図書館キューレター)、ヴィクター・リー・カーペンター(弘前大学教授)
シンポジウムU 工藤正廣(北海道大学教授)、イーゴリ・ズギィリョフ(ロシア語翻訳者)ほか
シンポジウムV 工藤正廣、大久保賢一(映画評論家)、鈴木一誌(グラフィックデザイナー)ほか
シネマ・フォーラムT マイク・マション、ヴィクター・リー・カーペンター、常石史子(東京国立近代美術館フィルムセンター研究員)、北條誠人(ユーロスペース支配人)、大矢敏(三百人劇場支配人)ほか
シネマ・フォーラムU 大久保賢一、鈴木一誌ほか
4.ワガママ映画祭
なみおか映画祭の特徴は、映画に対し、時代や国籍、作品の有名無名といった先入観を捨て去り、単純に優れた映画を見ようとする自由奔放で斬新な上映プログラムにあります。事の起こりで紹介した長谷川の発言には、「見たい映画が見れない。だったら、自分たちで上映してしまえばいい」という裏が容易に読み取れます。「自分が見たい映画を見る(上映する)」 何ってワガママ極まりない発想でしょう。でも、この発想がみんな(実行委員、参加ゲスト、映画ファン・・・等々)の共感を呼び、今も映画祭の根幹をなしています。なみおか映画祭は、ワガママな映画祭なのです。
5.浪岡町=映画祭
冒頭、浪岡町について紹介したが、以前は“浪岡”と言ったら、多くの人が“歴史・中世・りんご・・・等々”を連想しました。もちろん、これらが決して無くなったわけではありませんが、現在は“映画・映画祭”がイの一番に上がります。これは、映画祭に対し、テレビ・ラジオ・新聞等が多くの時間と紙面を割いて報道してくれることもありますが、映画館のない町で年間に約50本の映画が中世の館で上映される、上映できる(人が集まる環境にある)ということは、本当のところ、みんな映画が好きなのです。
浪岡町にとって映画祭は、既に大きなウエートを占めています。これは、第10回映画祭において独自にフィルムをロシア・アメリカから直輸入するという飛躍的な行為が許された状況からも想像に難くないところです。行政、民間企業、各種団体、町民、そして映画関係者、多くの映画ファンの支持を得て、なみおか映画祭は歩を緩めることなく、これからも確実に前進します。
(以上は、なみおか映画祭事務局より、お送りいただいた資料です。問い合わせはなみおか映画祭事務局へお願いいたします。)
なみおか映画祭実行委員会事務局(浪岡町中世の館)
E-mail: NFF@nami-nami.jp
038-1311青森県南津軽郡浪岡町浪岡字岡田43
Tel 0172-62-1020
Fax 0172-62-1021
(yuko)
今年はゴダール、ワイズマンの特集等が上映中(上映日程作品等はhttp://www.phileweb.com/news/home-t/200211/18/2649.htmlまで)。
青森に縁があまりなくて、青森で映画祭? 浪岡町とはどんなところだろうか? と思う方も多いのではないだろうか。
なみおか映画祭実行委員会事務局の山内秀範氏にメールによるインタビューをして、映画祭にいたる経緯等をうかがった。
<なみおか映画祭実行委員会事務局の山内秀範氏インタビュー>
「昔はこんな小さな町でも4館もあったそうです。最後の1館から映写機の灯が消えてから30年近くなります。この間、親子映画の会という小さな自主上映(16ミリ)グループはありましたが、映画祭のようなものはありませんでした。」
映画祭が始まったのは、1991年で、ソビエトのレンフィルムの映画祭をおこなったのがきっかけだったという。
「第1回が『レンフィルム祭』であったことはご存知だと思います。当初、複数回開催したいという考えはありましたが、結果どうなるかは予想できませんでした。そのため、第1回のチラシには“第1回”とは印刷されていません。映画祭が終わって一段落した2月、主だったメンバーが集まって話し合った中で、『あれだけ、ホールから出てくる人たちに、来年は何をやるの?来年も来ます、と言われたらやるしかないんじゃないの』という声に『最低10回はやろう』ということになりました。」
街の人はこの映画祭に対しては、どんな反応なのだろうか?
「地域の反応は、“難しい映画をやっているが、ここでしか見れないプログラムを見るために全国から人が集まるという企画は、浪岡町ではなみおか映画祭だけ。浪岡町が全国に誇れる文化事業である”という声が多く聞かれます。また、中世の館では、夏に『ナミオカ名画座』と題し、映画館が娯楽の王様だった頃の邦画ばかりを6作品・3日間、上映しています。こちらは、今年の夏に10回を数えました。映画と地域を近づける目的(若干はなみおか映画祭のフォローもあります)で始めましたが、上映作品から年配者が昔を懐かしめるために足を運ぶ(これも目的です)のはおわかりいただけると思いますが、若い人にとって名前は知っているが初めてスクリーンで見る作品ばかりのため、北海道東北・関東からも来ます。」
町は、この映画祭についてどんな対応をしているかというと…。
「浪岡町は、この事業に対し、初めから“人と金は出すが、口は出さない。内容・企画・運営は本当に映画が好きな人に任せる”の方針できました。だから、どんな作品を上映しても構わないのです。ピンクを上映する際に、行政施設での上映について、町長・教育長等に確認したところ、“映画だから構わない”との返事でした。」
なみおか映画祭では、映画上映に際し、映画上映技術者の紹介をしている。
これは素晴らしいことであるが、いつから、どのような考えで、そうしているのだろうか?
「第1回映画祭の講師蓮實重彦氏(映画評論家・前東京大学学長、当時は東大教育学部長)が上映終了後、映写室に駆け込み『これまでの映写でこれほど完璧に映写してくれたのは初めてだ』と映写技師に握手を求めました。蓮見氏は実行委員に対し、『皆さんは、柴田さんという素晴らしい財産を持っている。』と話しました。映写技師にいないとフィルムは回りません。映写技師あっての映画祭。第2回でも話になりながらも、名前を記載することまで気が回りませんでしたが、第3回からはなみおか映画祭の映写に対するスタンスとして印刷部に名前を入れることにしました。」(以上、メールによるインタビュー)
*なみおか町と映画祭について
<中世の里なみおか映画祭―10年の軌跡>
1.中世の里なみおか
青森県南津軽郡浪岡町。人口21,400人。面積132Ku。りんご畑と田んぼに囲まれた小さな町ですが、りんごの生産量は弘前市、長野市に次いで3番目。町村では全国一を誇っています。
地理的には、県都青森市の真下に位置し、北の青森市までは車で約40分、南の弘前市へは30分、東の黒石市は15分、西の五所川原市は30分の距離に位置しています。因みに津軽地方(青森県を東西に二分した西側)の市はこの4市だけ。自ずとこれらを結ぶ国道等の主要道路が東西・南北に走る。その交差地が浪岡町であり、古くから交通の要衝として発展してきました。また、青森空港(半分は浪岡町)まで車で15分の距離にあることから、2時間半もあれば都心にいることもできます。
歴史的には、縄文・弥生・平安など各時代の遺跡が多数ありますが、中でも国史跡指定(青森県第1号)の浪岡城跡は、北の中世史を語る上で重要視されています。浪岡城は、南朝の雄・北畠親房、顕家の子孫である浪岡北畠氏によって15世紀後半に築城されました。築城当時から“浪岡御所”(現在も地番は五所)と呼ばれ、北日本に位置しながらも、京都等との連携を保ち従四位下・左中将まで官位を高めた名門。当然、交易も盛んに行われ、国内の主だった陶器をはじめ、中国製陶磁器、金属器、1万点以上もの銭貨などが出土しており、この時代、浪岡が津軽の政治・経済・文化の中心地であったことを物語っています。
町のキャッチフレーズが『中世の里なみおか』なのも、中世の館の“中世”もここから来ています。また県内の町村にあっては、芸術家や文化人が多いのもここに由来しているのかも…。
2.なぜ、映画祭・・・・・事の起こり
‘91年11月12日、町出身の若手芸術家と町長による文化座談会が開かれました。終盤、翌年8月オープンの中世の館(歴史・文化・芸術の複合施設)の事業について意見交換がなされた中で、長谷川孝治(劇作家、弘前劇場主宰、なみおか映画祭アソシエイト・ディレクター)が「浪岡に来ると普通の所(映画館)では見られない映画が見れる。そんな映画祭があってもいい」と発言。この一言が座談会担当者の感性をくすぐりました。
浪岡町から映写機の光が消えて約20年。津軽地方の映画館は青森・弘前・五所川原の3市に集中していますが、人口に対する映画館の数(当時も現在も28スクリーン)は全国的に見て多い方です。ところが、上映作品はどこも同じ。このような映画事情と浪岡の地の利を計算すれば、“映画祭”は魅力的な響きを放ったのです。しかし、映画祭がどうすればできるのか、誰一人知らない。35mmフィルムも、映写機も見たことがない。
12月17日、運命の日は以外にも早くやってきました。担当者から報告を受けていた課長が、いつものように朝刊に視線を走らせると、“レンフィルム”という文字に視線が止まる。学生時代に読み漁った映画情報誌に“レンフィルム”に関する記述があり、30年近くも前の記憶が甦る。10数行の小さな囲み記事『レンフィルム祭上映団体募集』を握り締めて出勤。歯車は、急速に回りだしたのです。
3.映画祭―10年の軌跡
年度が明けた4月、映画祭の準備作業は本格的に始動しました。関係機関との打ち合わせ、予算の確保、…等々。実行委員には、地元マスコミに映画評論を執筆している弁護士の三上雅通(なみおか映画祭ディレクター)など数名に参加を呼び掛けるとともに、新聞等で映画好きを公募。
6月6日、津軽一円から集まった映画好きが集い実行委員会が組織され、「良質の映画を視る」「映画を発見する」を基本とする中世の里なみおか映画祭はスタートしました。
第1回から第10回までの概要は以下のとおりです。
■第1回『レンフィルム祭』−映画の共和国へ− 92.10.15〜18
講演 蓮實重彦(映画評論家)
■第2回『映画を、発見する』−もう、辺境とは呼ばせない− 93.11.11〜14
講演 金井美恵子(文芸作家)
■第3回『活劇の系譜』−日本映画の再発見− 94.10. 7〜10
講演 山根貞男(映画評論家)
シンポジウム 弘子・ゴヴァース(フランス・オルレアン「日本映画ビエンナーレ」プログラム・ディレクター)ほか
■第4回『映画・様々な視線』 95.11. 2〜5
−今日も世界の何処かで、映写機は回っている−
講演 大久保賢一(映画評論家)
シネマ・トーク 保坂和志(作家)、風間志織(映画監督)、大久保賢一(映画評論家)
※この回から最終日にシネマ・パーティーを開催
■第5回『映画−記憶のタペストリ』 96.11. 1〜4
講演 阿部和重(作家)
シンポジウム 大久保賢一(映画評論家)、宮沢啓(山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)ほか
シネマ・フォーラムT 牧野守(日本映画史研究)、細萱敦(川崎市市民ミュージアム学芸員)ほか
シネマ・フォーラムU 中田秀夫(映画監督)、阿部和重(作家)
※この回からフォーラム終了後に交流会を開催
■第6回『キャメラアイ−映像の行方』 97.10.31〜11.3
シンポジウム 田村正毅(映画キャメラマン)、青山真治(映画監督)、諏訪敦彦(映画監督)、大久保賢一(映画評論家)
シネマ・フォーラムT 荒井晴彦(映画監督)、柄本明(俳優)、川上皓市(映画カメラマン)
シネマ・フォーラムU 黒沢清(映画監督)、青山真治(映画監督)、藤崎康(映画評論家)ほか
シネマ・フォーラムV 諏訪敦彦(映画監督)、保坂和志(作家)ほか
■第7回『映画は待ってくれない−MOVIES DON'T WAIT』 98.11.20〜23
講演 芝山幹郎(映画評論家)
シンポジウム 山根貞男(映画評論家)、中田秀夫(映画監督)
シネマ・フォーラムT 森山京子(映画評論家)、宮岡秀行(映画作家)
シネマ・フォーラムU 山屋孝郎(SF映画愛好家)、畑澤聖悟(劇作家)ほか
シネマ・フォーラムV 山根貞男(映画評論家)、中田秀夫(映画監督)、藤崎康(映画評論家)
■第8回『ポップコーンはいらない−Who needs POPCORN?』 99.11.19〜23
シンポジウム 山根貞男(映画評論家)、篠崎誠(映画監督)
シネマ・フォーラムT 山根貞男、森山京子(映画評論家)、鈴木一誌(グラフィックデザイナー)
シネマ・フォーラムU 小嶋宏一(映画監督)ほか
シネマ・フォーラムV 松本正道(アテネ・フランセ文化センター主任)、諏訪敦彦(映画監督)、是枝裕和(映画監督)、篠崎誠(映画監督)
■第9回『映画史・映画志−Histoire(s) du Cinéma, Esprit du Cinéma』00.11.23〜26
シンポジウムT 山根貞男(映画評論家)、荒井晴彦(脚本家)、中田秀夫(映画監督)、鈴木一誌(グラフィックデザイナー)ほか
シンポジウムU 大久保賢一(映画評論家)、上野昴志(映画評論家)、中田秀夫(映画監督) 、 篠崎誠(映画監督)
シネマ・フォーラムT 山根貞男(映画評論家)、小暮宣雄(自治省・全国市町村国際文化研究所参与)ほか
シネマ・フォーラムU 山根貞男、冨田三起子(映画コーディネーター)、鈴木一誌(グラフィックデザイナー)
シネマ・フォーラムV 冨田三起子、堀三郎(アテネ・フランセ文化センター技術主任)ほか
■第10回『なみおか・デケイド−ずっと映画のことを思っていた』
The Namioka Decade−Movie are Always on my Mind 01.11.21〜25
シンポジウムT マイク・マション(アメリカ議会図書館キューレター)、ヴィクター・リー・カーペンター(弘前大学教授)
シンポジウムU 工藤正廣(北海道大学教授)、イーゴリ・ズギィリョフ(ロシア語翻訳者)ほか
シンポジウムV 工藤正廣、大久保賢一(映画評論家)、鈴木一誌(グラフィックデザイナー)ほか
シネマ・フォーラムT マイク・マション、ヴィクター・リー・カーペンター、常石史子(東京国立近代美術館フィルムセンター研究員)、北條誠人(ユーロスペース支配人)、大矢敏(三百人劇場支配人)ほか
シネマ・フォーラムU 大久保賢一、鈴木一誌ほか
4.ワガママ映画祭
なみおか映画祭の特徴は、映画に対し、時代や国籍、作品の有名無名といった先入観を捨て去り、単純に優れた映画を見ようとする自由奔放で斬新な上映プログラムにあります。事の起こりで紹介した長谷川の発言には、「見たい映画が見れない。だったら、自分たちで上映してしまえばいい」という裏が容易に読み取れます。「自分が見たい映画を見る(上映する)」 何ってワガママ極まりない発想でしょう。でも、この発想がみんな(実行委員、参加ゲスト、映画ファン・・・等々)の共感を呼び、今も映画祭の根幹をなしています。なみおか映画祭は、ワガママな映画祭なのです。
5.浪岡町=映画祭
冒頭、浪岡町について紹介したが、以前は“浪岡”と言ったら、多くの人が“歴史・中世・りんご・・・等々”を連想しました。もちろん、これらが決して無くなったわけではありませんが、現在は“映画・映画祭”がイの一番に上がります。これは、映画祭に対し、テレビ・ラジオ・新聞等が多くの時間と紙面を割いて報道してくれることもありますが、映画館のない町で年間に約50本の映画が中世の館で上映される、上映できる(人が集まる環境にある)ということは、本当のところ、みんな映画が好きなのです。
浪岡町にとって映画祭は、既に大きなウエートを占めています。これは、第10回映画祭において独自にフィルムをロシア・アメリカから直輸入するという飛躍的な行為が許された状況からも想像に難くないところです。行政、民間企業、各種団体、町民、そして映画関係者、多くの映画ファンの支持を得て、なみおか映画祭は歩を緩めることなく、これからも確実に前進します。
(以上は、なみおか映画祭事務局より、お送りいただいた資料です。問い合わせはなみおか映画祭事務局へお願いいたします。)
なみおか映画祭実行委員会事務局(浪岡町中世の館)
E-mail: NFF@nami-nami.jp
038-1311青森県南津軽郡浪岡町浪岡字岡田43
Tel 0172-62-1020
Fax 0172-62-1021
(yuko)