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公開日 2005/04/07 22:08
<インタヴューズ>この人がいなければ、CDもDVDも、BDも存在していなかった!(中島平太郎 2)
「インタヴューズ。」
〜デジタルAVの「知」に会う〜
日本におけるデジタル光ディスクの「始祖」
中島平太郎さんのことを、本誌の読者の方はどのくらいご存じなのだろうかと思った。NHK技研の音響研究部長を経て放送科学基礎研究所所長、1971年にソニーに転じ、同社常務、アイワ社長、オーディオ協会会長、スタート・ラボ社長等々……。
こうした履歴よりも私たちと中島さんとの知らず知らずの親密な関係は、中島さんが、日本におけるデジタル光ディスクの「始祖」であるということだ。デジタル光ディスクとはCDであり、CDなくして現在のデジタルAVの隆盛はあり得ない。「インタヴューズ。」の第一回は、中島平太郎さんに、デジタルの黎明期といま、そしてこれからを聞く。
(第1回からつづく)
NHKでもソニーでも、デジタルは異端の技術だった
>中島さんはNHK技研の時代に、世界初のデジタルオーディオテープレコーダーを完成させていた。1968年(昭和43年)。CDの前身はじつはテープ記録であったのだ。ただし……
>中島 デジタルオーディオは、確かに音質はいいかもしれないが、図体は大きくて値段もかかり使い勝手は悪くて……と、なんとなくNHKで研究を進めていくのはむずかしかった。こんなものが役に立つとはとても思えないという議論もあり、当時はカラーテレビの普及の時期でもあってNHKも挙げてそれを推進していた。
カラーテレビが本格化すれば音声は出せばいい、出ればいい〞という扱いになってしまうのではないか。そんな危惧もあって、できることならすでに試作機を完成させていたこのデジタルオーディオをもう一度どこかでやってみたいという気持ちもあった。
そうして中島さんはソニーへ移る。創業者の井深大さんがNHKの放送技術審議会の委員を務めていたこともあって、中島さんとソニーとは旧知の間柄だった。
>中島 その審議会で私は井深さんになんどもデジタルオーディオの話をしていたので、それで当然、大の音楽ファンでありオーディオ好きの井深さんは(デジタルのことを)わかってらっしゃると思っていた。井深さんは「NHKの研究所の虚業〞よりソニーで実業〞を積むべき」とも言って熱心に転職を勧めてくれた。
――ソニーでの実業〞というのは?
中島 井深さんが期待していたのは当時のビジネスを成功させることだった。もちろんアナログオーディオで、である。
そんな状況だからデジタルなんかできない。もしもやりたいと言うものなら、当然「そんなもの!」といった答えが返ってきそうだった。
「オーディオはシンプルイズベストでなければならない。アンプとスピーカーの間になにかを入れるというのは、たとえそれがスイッチング回路だとしても、それは音には悪く作用するのだから。デジタルなど、もってのほか」。井深さんの主張はそんなふうだった。
「中島君は音を聴いているのか、音楽を聴いているのか」と問い詰められたこともある。もちろん家では音楽を聴いていますが、職業上、会社では「音」を聴かざるを得ない。ひずみの原因を特定できなければいい音楽は生まれませんよ。そう答えると、今度は「きみは音を聴いてばかりいるからいいスピーカーもアンプもつくれないのだ」とおっしゃってくる。
――NHKでもソニーでも、デジタルオーディオはできなかったということですね。
中島 とくに当時、テープデッキはソニーの稼ぎ頭だったから、社内には、それなのにどうして、(そのころ私が取り組もうとしていた)デジタルオーディオテープレコーダーに経営資源を当てなければならないのかという思いが強くあった・・・(つづく)
(月刊AVレビュー4月号より抜粋。全文は本誌をご覧下さい)