巻頭言
人の情
和田光征
WADA KOHSEI
先月に続き、私の過去を振り返ります。キセル乗車現行犯として買ったばかりの三ヵ月定期と、通常の三倍以上電車の乗車賃を没収された、その後です。
20歳の初夏、朝食抜きで昼食は肉屋でコロッケを買いパンに挟んで食べ、夜はタンメンにありついて朝を迎える。同じ食事を繰り返すうちに故郷の父に出した手紙の返事がきた。葉書一枚でどこにも送金したとは書いていない。「田舎は皆元気だ。お前も頑張れ。」とだけある。私は父の性格や田舎の事情も識っていたので、「自立せよ」と言っているのだと理解し、友人に借金を頼むべく元住吉の労働省の寮に行き、帰りを待っていた。
軒先に立っていると、雨が降ってきた。もう3時間以上も経っていたので、ともかく小額でも借りたいと思っていた。寮の管理人の方が来て「濡れるから、中で待っていたら…」と、玄関を入ったところの小上がりに通してくれた。
友人の橋本さんは私より年上の夜学生だったが、入学以来気が合って、議論をしたりして楽しく過ごしていた。八時頃、ようやく彼は帰ってきた。「和田君じゃないか。上がりたまえ」。階段を昇り彼の部屋に入った。八畳くらいの落ち着いた部屋だった。
「何も食べてないんでしょう」「うん」。彼は朝炊いた飯を茶碗に盛って差し出した。私は米の飯に感激した。感謝を込めながらガツガツ食べた。飯台に向い合って坐った私に、「ところでどうしたの」と彼。私は事情を話して2千円の借金をお願いした。五百円しかないと言われたが、返す期限を伝えて有難く借りた。その夜は泊めてもらい、布団の中でゆっくりとした暖かい時間が流れていった。
元住吉の寮を後にした私は、次に鶴見に高校の同級生を訪ね、二千円を貸して欲しい旨の話をした。彼は田崎君と言って、共に田舎で自転車で通学した仲だった。「和田君、三千円ある。返さなくていいから頑張れよ」と彼。私がいついつまでに必ず返すと言っても彼は、「いいよ、いいよ」と言うばかり。それでも私は「そうはいかない、必ず返しにくるから」と話して、有難く借用した。
そして1ヵ月経って、まず橋本さんに借金を返した。次に田崎君を訪ねると、彼は鶴見からいなくなっていた。勤め先の人達に聞いたが、異口同音に退社してからはどうしているのか分からないと言う。田舎の田崎君の実家に電話しても同じだった。
冬休みになって、私は蒸気機関車の急行「火の山」に乗り24時間をかけて田舎へ帰った。そして、黒馬にまたがって駆けていた田崎君を思いながら、彼の実家を訪ねた。
「連絡はないけど元気だと思うよ」と父上。私は借りた三千円とさらに千円を持参して、「彼が帰ったら渡して欲しい」と言うと、母上が「それは受け取れない。息子はあなたにあげたのだから、とっておけばいい」と微笑む。「田崎君のお陰で助かったんです。だから…」「…しかし、受け取る訳にはいかない」とご両親。
私はあきらめて、実家で二、三日過ごしていた。すると父が「いつ、いくのか」と言う。瞬間、ここに居場所がないのだ、と思った。「明日には行くよ」と言った。