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巻頭言

はるかなる日

和田光征
WADA KOHSEI

私の過去の物語が続きます。大学の冬休みに郷里の大分に帰省し、居場所がないと悟って再び東京へ向かうところです。私は急行「火の山」に乗り、向い合って座った尼さんと大阪まで語り合った。別れる折その方から「必ず成功するから頑張って」と励まされ、夕刻になって東京に着いた後は一生懸命頑張った。が、金欠で大学はやめることにした。

そして、那須の別荘地を販売する社員300名余の不動産会社「サン観光」に就職した。配属された営業二部第二課には23歳の私と少し年上の若者が二人いたが、それ以外は40歳を超えた人達で、そのほとんどがリストラ組だった。

私は毎日100軒飛び込み営業をすることにして、朝早くから夜9時頃まで、1日も休むことなく一生懸命家々の門を叩いた。挙げ句の果てに「…何時だと思ってるんだ、この馬鹿野郎!」と怒鳴られたりしながら、しかし3000軒のリストを作った。

それは選挙勧誘の戸別訪問のようなもので、有望客にはなかなか辿り着けなかった。一軒だけほぼ決まりかけたお客さんを、隣の部の腕利きに持っていかれた。私はそのお客さんに再び会いに行ったが、「あなたより値段が安かったんだよ」と言われて、触れないところだっただけに悔し泣きするだけだった。

しかし一ヵ月で3000軒を訪問したことで、何かしら自分の内面に自信らしきものが沸々と沸き上がっていることを感じた。それだけの方々と会話したことはかけがえのない体験で、いよいよ次なるステップだと思いながら、学生の頃バイト先から時折昼食に行っていた小さなレストランを訪れた。そこで偶然伊東さんという方に再会し、「今何をやっているの」と声をかけられた。「うまく行っているの」と言われ、私は「これからです」と力強く返した。

伊東さんは、「私が紹介してあげましょう」と言う。それも初めての経験だったので、私は「よろしくお願いします」と頭を下げた。伊東さんは電話をかけていたが、10分も経たないで「この方を訪ねてみて」とメモを渡して下さった。「私が話してあるから大丈夫。頑張ってね」と励まされた。

食事の後、私は店を後にして電話をかけた。すると相手の方は「今から来なさい」と言う。私が早速伺うと、「買いましょう」とご主人。そして奥様も出てきた。「皆で現地を見に行きましょう」と言われ、私は後日、二人をお連れして別荘地に行った。すでに役所で謄本を取ってあったので、現地では極めてスムーズに事が運んだ。驚くとともに、涙が出るほど嬉しかった。

するとそのご夫婦がまた紹介して下さると言う。同じように先方に電話をすると、翌々日のいついつに待っていると言われ、伺うとまた、買って下さると言う。私は失礼のないよう細やかな対応をしたのだが、そこに好感を持って下さったのだ。そのお客様は家族で現地を見ることになり、四人分のグリーン券をお届けに上がった。会社では、現地を見に行く時は二等車、決まった場合はグリーン車という決まりがあったが、決まる以前に自分で判断したのである。飲み物や弁当も用意した。(以下次号)

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