オリジナルのアナログ・マスターテープをハイレゾ化
クリプトン、HQM Storeで森山良子の初期6作品をハイレゾ配信
■原盤の制作を手がけたプロデューサー本城和治氏もマスタリングに立ち会った
今回配信が開始される森山良子の6作品の原盤の制作を担当した、元フィリップスレコード・プロデューサーの本城和治氏も登場。前述のように、本城氏は今回のハイレゾ音源のマスタリングにも立ち会い、そのサウンドを確認した。
本城氏は当時の状況を述懐してくれた。森山良子のレコーディングは発売の前年、1966年に行われたとのこと。当時はビクターの社員だった本城氏は、フィリップス・レコードが日本ビクターと契約したのを機に、このレーベルの制作を担当することになった。
フィリップス・レコードは当初、洋楽のみのラインナップだったが、邦楽の提供も開始することになり、時代に合う日本の新しいアーティストが求められていた。また、権利の関係でビクターの専属作家は使うことができず、自作自演できるアーティストを探していたのだという。こうした状況を背景に、ザ・スパイダーズ、ザ・サベージ、マイク眞木、ブロード・サイド・フォーに続く、フィリップスレコーズ5番目の邦楽アーティストとして、森山良子がデビューした。
「森山良子さんはフィリップスレーベルに在籍した11年間で、41枚のアルバムを制作しました。ファースト・アルバムは森山さんが18歳のとき、『イン・ナッシュビル』と『さとうきび畑』は21歳のときの録音ですね。「さとうきび畑」はシングルにしたかたのですが、9分を超える大作となったために収録できず、仕方なくアルバムへの収録となりました」(本城氏)
1969年の『イン・ナッシュビル』の録音は、日本人が海外で完全なアルバムをレコーディングした初のタイトルなのだという。もちろん、ナッシュビルで録音した日本人としても森山良子が初めてで、その数ヶ月前にはボブ・ディランが同じスタジオで『ナッシュビル・スカイライン』を録音していた。
本城氏は当時の録音状況についても紹介してくれた。「森山さんの初期作品は9mmのアナログテープで録音しました。ビクタースタジオが築地にあったころで、2chレコーダーで録音しました。当時は3chレコーダーというのもありましたね。制作を始めて最初の1、2年は2ch録音が普通でした。普通の歌謡曲ならばオケと同時録音を行うので2ch録音でもよかったのですが、我々が録音したような音楽はスタジオでアレンジが進んでいきます。そのため、一度録った音源に後でストリングスを被せたり、ボーカルを重ねて入れるという場合には、必ずダビングが必要でした。2ch録音でダビングを繰り返せば、当然クオリティが下がりますので、マルチchレコーダーが登場するまでは苦労しました。ダビングを重ねていくと、ベースやドラムの音がどんどん貧弱になっていくのです」と本城氏。
なお、森山良子の最初のマルチch録音は前述の『イン・ナッシュビル』で、この年の12月に日本初の8ch録音がビクタースタジオでスタートしたのだという。本城氏は「私は2chから3ch、4ch、8ch、16ch、24chまで、全ての録音を経験したことになりますね」と語っていた。
本城氏に今回のハイレゾ音源を試聴した印象を尋ねると「正直、今までのCDはなんだったんだろうとショックを受けました。CD化の際には音の変化を想定しながら苦労してEQをかけていたのです。今回のハイレゾ音源では、そうした作業もなく、ここまでマスターテープを再現できていることに驚きました」と答えてくれた。
発表会では「この広い野原いっぱい」「さとうきび畑」「思い出のグリーングラース」の3曲をクリプトンのフラグシップスピーカーKX-1000Pで実際に試聴することができた。各音源ともに当時の録音状況の良さ、さらにはマスターテープの保存状態の良さが伺える鮮度の高いサウンドで、比較試聴したCD音源との差は歴然だった。特にナッシュビルで現地ミュージシャンを使ってマルチトラック録音を行った「思い出のグリーングラース」は、分離感や音場の広がりも素晴らしく、何より各プレーヤーの手元が見えてくるような音の生々しさを味わうことができた。
発表会ではクリプトンの濱田社長も挨拶。「今年はクリプトンは創立30年、オーディオ事業を開始して15年、音楽配信を開始して5年とさまざまな節目の年にあたります。HQM Storeの配信タイトル数は、森山さんの6作品を加えて324タイトルになります。今年はさらにハイレゾ配信を充実させていきますが、併せて他社が追随できないようなハイレゾ対応ハードウェアも検討しております。ハイレゾ対応アクセサリーについてもさらに力を入れていく予定です」と述べた。
今回配信が開始される森山良子の6作品の原盤の制作を担当した、元フィリップスレコード・プロデューサーの本城和治氏も登場。前述のように、本城氏は今回のハイレゾ音源のマスタリングにも立ち会い、そのサウンドを確認した。
本城氏は当時の状況を述懐してくれた。森山良子のレコーディングは発売の前年、1966年に行われたとのこと。当時はビクターの社員だった本城氏は、フィリップス・レコードが日本ビクターと契約したのを機に、このレーベルの制作を担当することになった。
フィリップス・レコードは当初、洋楽のみのラインナップだったが、邦楽の提供も開始することになり、時代に合う日本の新しいアーティストが求められていた。また、権利の関係でビクターの専属作家は使うことができず、自作自演できるアーティストを探していたのだという。こうした状況を背景に、ザ・スパイダーズ、ザ・サベージ、マイク眞木、ブロード・サイド・フォーに続く、フィリップスレコーズ5番目の邦楽アーティストとして、森山良子がデビューした。
「森山良子さんはフィリップスレーベルに在籍した11年間で、41枚のアルバムを制作しました。ファースト・アルバムは森山さんが18歳のとき、『イン・ナッシュビル』と『さとうきび畑』は21歳のときの録音ですね。「さとうきび畑」はシングルにしたかたのですが、9分を超える大作となったために収録できず、仕方なくアルバムへの収録となりました」(本城氏)
1969年の『イン・ナッシュビル』の録音は、日本人が海外で完全なアルバムをレコーディングした初のタイトルなのだという。もちろん、ナッシュビルで録音した日本人としても森山良子が初めてで、その数ヶ月前にはボブ・ディランが同じスタジオで『ナッシュビル・スカイライン』を録音していた。
本城氏は当時の録音状況についても紹介してくれた。「森山さんの初期作品は9mmのアナログテープで録音しました。ビクタースタジオが築地にあったころで、2chレコーダーで録音しました。当時は3chレコーダーというのもありましたね。制作を始めて最初の1、2年は2ch録音が普通でした。普通の歌謡曲ならばオケと同時録音を行うので2ch録音でもよかったのですが、我々が録音したような音楽はスタジオでアレンジが進んでいきます。そのため、一度録った音源に後でストリングスを被せたり、ボーカルを重ねて入れるという場合には、必ずダビングが必要でした。2ch録音でダビングを繰り返せば、当然クオリティが下がりますので、マルチchレコーダーが登場するまでは苦労しました。ダビングを重ねていくと、ベースやドラムの音がどんどん貧弱になっていくのです」と本城氏。
なお、森山良子の最初のマルチch録音は前述の『イン・ナッシュビル』で、この年の12月に日本初の8ch録音がビクタースタジオでスタートしたのだという。本城氏は「私は2chから3ch、4ch、8ch、16ch、24chまで、全ての録音を経験したことになりますね」と語っていた。
本城氏に今回のハイレゾ音源を試聴した印象を尋ねると「正直、今までのCDはなんだったんだろうとショックを受けました。CD化の際には音の変化を想定しながら苦労してEQをかけていたのです。今回のハイレゾ音源では、そうした作業もなく、ここまでマスターテープを再現できていることに驚きました」と答えてくれた。
発表会では「この広い野原いっぱい」「さとうきび畑」「思い出のグリーングラース」の3曲をクリプトンのフラグシップスピーカーKX-1000Pで実際に試聴することができた。各音源ともに当時の録音状況の良さ、さらにはマスターテープの保存状態の良さが伺える鮮度の高いサウンドで、比較試聴したCD音源との差は歴然だった。特にナッシュビルで現地ミュージシャンを使ってマルチトラック録音を行った「思い出のグリーングラース」は、分離感や音場の広がりも素晴らしく、何より各プレーヤーの手元が見えてくるような音の生々しさを味わうことができた。
発表会ではクリプトンの濱田社長も挨拶。「今年はクリプトンは創立30年、オーディオ事業を開始して15年、音楽配信を開始して5年とさまざまな節目の年にあたります。HQM Storeの配信タイトル数は、森山さんの6作品を加えて324タイトルになります。今年はさらにハイレゾ配信を充実させていきますが、併せて他社が追随できないようなハイレゾ対応ハードウェアも検討しております。ハイレゾ対応アクセサリーについてもさらに力を入れていく予定です」と述べた。