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[連載]高橋敦のオーディオ絶対領域

【第177回】Westoneの新たな挑戦!20万円の超ハイエンド機「W80」をレビュー

公開日 2017/02/03 10:30 高橋 敦
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音と音の関わりまでを描き出すサウンド

それではやっとだが、そのサウンドの印象を述べていこう。

それぞれの音の表現も魅力的ではあるが、それよりもさらに印象的なのは、音と音の関係性や、音と音の間を満たす気配、空気といったところの表現だ。

悠木碧さんの「サンクチュアリ」は、楽曲のすべてが彼女自身の声のみで構成されているアルバム「トコワカノクニ」の収録曲であり、それ自体の音の帯域としては超低域や超高域を多く含むことはなく、再生システムにもワイドレンジさはあまり要求せず、人の声というコアな帯域の表現力が普通程度に確保されていれば問題ない音源である。一見そう思えるのだが……


楽曲すべてが悠木碧さん自身の声のみで構成されたアルバム「トコワカノクニ」
このモデルでこの曲を聴き、その響きを体験してしまうと、普通程度どころかかなり優秀なはずの他のイヤホンで改めてこの曲を聴くのがつまらなくなってしまうほどに、大きな違いがある。

声の表現自体にも明確な違いがあるのだが、やはりその“声と声の間”にこそ、このモデルの真価があると思う。「その音自体」の表現ではなく「その音がどこに、どのように存在して、それぞれの音はお互いにどのように関わっているのか」という部分、と言い換えても良いかもしれない。

例えば「豊かな響き」もその表現の要素のひとつだ。この曲は幅広い声を操る声優の悠木碧さんの作品とはいえ、生物としては人間という同一種の、悠木碧さんという同一個体の声だけで構成されており、そもそもすべての音、声と声の馴染みが良いのは当然だ。しかしながらその馴染みっぷりは、それだけでは説明がつかないほどのレベルである。だからこそ、それを再現しきれるイヤホンで聴きたい。

それぞれの声の配置を正確に再現し、それぞれの声から広がる豊かな響きの成分も余さず漏らさず描き出す。それが実現されることで、例えば中央のメインボーカルからの響きが広がり、そして散って薄れゆく。左右のリズムコーラスからの響きも広がり、そして散って薄れゆく。その互いに薄れゆくところに美しく自然な重なりが生まれ、それぞれの声、その波紋が重なりなじむ。

その重なりがあることで、声同士がさらに馴染むと同時に、ハーモニーとしての関係性もより明瞭に浮かび上がってくる印象だ。もちろん、異なる音が離れた場所に個別にクリアに浮かんでいるだけの状態であってもハーモニーは生まれる。しかしこの曲とこのイヤホンの組み合わせで聴くこのハーモニーは格別なものだ。

理屈としては、すべての声が悠木碧さんの声であるということ、そしてサラウンドミックスした音源をサラウンド再生しそれをダミーヘッドマイクで録音してステレオに落とし込むなど制作方法、そういった要素がこの作品側の特別さとしてあり、それがこのイヤホンの特性と相性が極めて良いのである。

おそらく、高域から超高域にかけての再現性の向上というのがその好相性の要因なのだろう。人の声そのものに含まれる超高域はそれほど多くもなく重要でもないかもしれない。しかし様々な収録手法やミックス手法、マスタリング手法を駆使して生み出された質感や空気感。そういったところは超高域にまで及んでいるはずだ。このイヤホンをそれを余さず届けてくれていると感じられる。

次ページ「声」以外の帯域もナチュラルに再現

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