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公開日 2006/11/06 15:44
Woooを創った男たち[最終回]「プラズマ売り場を作った男、育てる男」(前編)
魅力溢れる商品や差別化された機能も、店頭からお客様にきちんと伝わって初めて意義を持つ。何もないところへ、プラズマの売り場を創り、市場を創るために、営業の最前線に立って指揮を執る男たちがいた。最終回は、営業の責任者として、32V型の歴史的デビューに立ち会った山本和明氏、これからのさらなる成長の指揮をとる高橋憲二氏に話を聞く。
(この記事は、弊社「Senka21」2006年11月号所収記事を転載したものです)
■32V型PDPデビューに活路を見い出し大興奮
―― ブラウン管全盛の時代に、会社としてプラズマテレビにシフトしていくことを決定されました。最前線の立場で、当時どのような心境でしたか。
山本 ブラウン管の工場は海外に移管しましたし、ワイドテレビはなかなか普及しませんでした。地デジの姿が見え始めましたが、とにかく商材がありませんでした。そこへ、100万円以上もする42V型のプラズマを2000年末に発売しましたが、これはテストケースのようなものでしたから、32V型が60万円を切って出てきたときは、本当に大興奮でしたね。
―― 現場での混乱はありませんでしたか。
山本 それはなかったです。僕らとしては、ここ一点に集中して旗振りできたので、反対にやりやすかったですよ。32V型というサイズも一番ポピュラーで、ワイドテレビからも置き換えやすい。さらに価格が60万円を切って、これはもう攻めの材料以外の何者でもありません。
―― 先行メーカーとして、テレビ売り場の中にプラズマを売る環境をどうやってつくっていくのか、ご苦労されたのではないですか。
山本 2つの戦術があって、ひとつは、同じ薄型テレビとして液晶で先行されていたシャープさんのそばに展開したことです。販売店でも薄型テレビの売り場をつくりやすいし、液晶と比較することでプラズマの良さもわかっていただけます。当時、液晶にはまだ30V型以上はありませんでしたから、サイズ的な魅力も訴えられました。もう一つは、規模を追いかけるのではなく、ホームシアターに一生懸命取り組んでいる販売店さんにまず狙いを定めたことです。
価格については、60万円を切ったとは言え、ブラウン管テレビに対しては、「時代はこうなります」としか説明できません。しかし、コンテンツがなかったワイドテレビや、日本の家庭には大きすぎたプロジェクションテレビとは違って、60万円という価値を説明できるだけの要素が揃っていたと思います。未来のテレビ像を十分に想像させられる商品でした。
―― 店頭とバイヤーとで判断が180度異なるようなケースもあったのではないかと思います。
山本 こちらからの説明も、MDさんにだけではだめなんです。店長さんにも一緒にお集まりいただくとか、トップセールスでなければだめだという部分もあります。商談もまさに総力戦ですね。企業をあげての競争です。もっとも販売する側にすれば、数十万円もの在庫を抱え込むリスクを背負うわけですから当然だったと思います。従来のやり方とは全く違っていた。こういうやり方も、かつての商品にはなかったですね。
■一番大切なのは店頭でのアピール
―― 一方、市場が広ってくると今度は反対に、「うちも販売したい」と流通各社から手が挙がってきたと思います。その際のコントロールというのはどうされましたか。
山本 そうした側面も確かにありましたが、要は歩留まりなんです。しかもそれは、消費者の視点からすれば、どうして商品がないのか、非常に理解しにくい部分でした。
お客様に対し、一番大切なポイントとしたのはやはり、店頭でのアピールです。当時はまだ、BSデジタル放送しかありませんでしたから、ハイビジョンのデモ用ソフトを新製品発売のたびに作って提供していきました。また、対液晶では、一般のご家庭と比べると店頭がものすごく明るいものですから、どうしても液晶の方がキレイに見えてに有利になってしまいます。そこで、実際のご家庭での視聴環境に近づけた、ちょっと暗めの演出を、これはもう5年以上も前から販売店さんに対して訴えかけています。
―― 販売店の側としては抵抗があったのではないですか。
山本 「おたくのテレビは照明まで調整しないとキレイに映らないのか」とお叱りいただいたこともあります。しかし、置く場所や見せ方など、自分の商品をいかにキレイに見せられるかという店頭競争ですからね。
―― 液晶との比較という意味では、非常に分かりづらい部分や、誤解を生んだ部分もあったのではないでしょうか。
山本 例えば、液晶は省エネだと言われますが、プラズマも同等以上に省エネなんですね。全国各地で行われる量販店さんに対する商談会では、輝度や照度によって映像が変わるとか、省エネであるという部分など、細かなデモを何回も行いました。各地域には、セールスを強力にバックアップするために、プラズマを中心としたデジタル家電の商品説明を行う「プラズマイスター」と命名した専門の部隊も設けました。
―― プラズマは当時、皆はじめて買う人ばかりです。販売店のお客様に対するセールストークというのは、かなりお考えになりましたか。
山本 「画面が映っていない時にも満足」とか、「9センチのソリューション」とか、プラズマを言い表すいろいろなキャッチフレーズも考えました。夢の壁掛けテレビも、現実にはむずかしいケースがほとんどでしたので、壁掛けのように見せられるラックというのも同時に用意しました。
一番のターゲットとしたのは、ブラウン管のハイビジョンテレビやリアプロジェクションテレビを購入されていたお客様です。プラズマ購入へのマインドの高いお客様、大きな画面が好きなお客様ですから、地域店さんでも最初に動いたのはそうしたお客様です。
―― プラズマもデジタル商品ですが、アナログからデジタルへシフトしていく中で、営業としてはどういう点に苦労されましたか。
山本 苦労と言うよりも、この製品を取り巻く環境が先々こうなっていきますよ、という魅力を説明できることが、デジタル家電の面白さなんです。最近では、車が売れないのは薄型テレビのせいだという報道もされています。家庭で支出できる金額というのは決まっている。それが車にいくのか、こちらに来るのかという世界です。今は圧倒的に薄型大画面テレビに来ているのではないですか。
■芯の通った商品開発にとことん食らい付く
―― Woooという新しいブランドでデジタルAV商品を展開されていかれたわけですが、そこに手ごたえを感じたのはいつ頃ですか。
山本 最初はテレビだけだったものが、グローバルに通じるものにしたいという想いから、ビデオカメラやDVDレコーダーにも冠していきました。その頃からですね。ビデオカメラはご存じのように、DVDカメラの第3世代からWoooブランドとして大きく売上げを伸ばしています。DVDレコーダーでは、当時最大容量となる400GB HDD搭載モデルを発売するときに、最後発ながら、この商品なら他社に対して差別化がきちんとできるということで、そこからDVDレコーダーにもWoooのブランドをつけた展開をスタートさせました。
デジタル製品では互換性や相性が問題にされますが、Woooでひとくくりにすることで、お客様にも安心感を感じていただくことができる。Woooのプラズマとレコーダーの組み合わせは、実際に圧倒的な使いやすさを実現しています。
―― お話をお伺いしていると、液晶の動向に関しては初期の頃からかなり神経を使っていらっしゃるようですね。
山本 液晶テレビは予想以上に大型化しましたよね。32V型から37V型に来て、今年の年末商戦では40V型くらいまで境界線が上がってきています。お客様からすれば、液晶だろうがプラズマだろうが、欲しい商品を欲しい価格で買うだけです。そこで日立としては、プラズマが何故いいのかということを、特にこれからは50V型、60V型という世界になってくるわけですから、もっと力を入れていかなければならないと思います。
―― プラズマで日立がトップシェアをキープしてきた要因はなんだとお考えですか。
山本 やはり商品開発ですよ。毎回毎回きちんとテーマを持って開発に臨んできています。パネルをはじめとする心臓部もどんどん進化してきた。商品開発がしっかりしていれば、営業はとことんついていくだけです。デジタル商品になり、技術的にはシーズ先行型の部分がありますが、大きな課題があれば、もちろん営業からも自然に声が挙がりますから、それでいいと思います。
―― 薄型テレビの創世記の頃に営業の最前線で大活躍されて、今、振り返ってみていかがですか。
山本 薄型テレビの立ち上げに立ち会え、営業として担当させていただいたことは、本当に幸せでした。家電の長い歴史の中で、歴史的な瞬間に立ち会えたわけですからね。商品が変われば、市場も変えていかなければなりません。プラズマは、そうした画期的な商品です。先頭に立ってその流れを創ってこられたことは、会社にとっても私にとっても、何にも代えがたい経験であり、財産になりました。
【プロフィール】
山本和明(やまもとかずあき)●1951年1月26日生まれ。福岡県出身。1974年4月(株)日立製作所テレビ事業部入社。96年2月映像情報メディア事業部AV製品本部営業部長、04年4月日立コンシューマ・マーケティング(株)取締役広域営業本部長、05年11月取締役中部社 社長就任、現在に至る。趣味はスポーツ全般、特にゴルフはシングルハンディ。
【バックナンバー】
・[1]「製品開発は無から有を生み出す夢の集団」
・[2]「ALISパネルのこれまでとこれから」
・[3]「新しい魅力と提案を生む、ほどよい遊び心と強い信念」(前編)」
・[3]「新しい魅力と提案を生む、ほどよい遊び心と強い信念」(後編)」
(この記事は、弊社「Senka21」2006年11月号所収記事を転載したものです)
■32V型PDPデビューに活路を見い出し大興奮
―― ブラウン管全盛の時代に、会社としてプラズマテレビにシフトしていくことを決定されました。最前線の立場で、当時どのような心境でしたか。
山本 ブラウン管の工場は海外に移管しましたし、ワイドテレビはなかなか普及しませんでした。地デジの姿が見え始めましたが、とにかく商材がありませんでした。そこへ、100万円以上もする42V型のプラズマを2000年末に発売しましたが、これはテストケースのようなものでしたから、32V型が60万円を切って出てきたときは、本当に大興奮でしたね。
―― 現場での混乱はありませんでしたか。
山本 それはなかったです。僕らとしては、ここ一点に集中して旗振りできたので、反対にやりやすかったですよ。32V型というサイズも一番ポピュラーで、ワイドテレビからも置き換えやすい。さらに価格が60万円を切って、これはもう攻めの材料以外の何者でもありません。
―― 先行メーカーとして、テレビ売り場の中にプラズマを売る環境をどうやってつくっていくのか、ご苦労されたのではないですか。
山本 2つの戦術があって、ひとつは、同じ薄型テレビとして液晶で先行されていたシャープさんのそばに展開したことです。販売店でも薄型テレビの売り場をつくりやすいし、液晶と比較することでプラズマの良さもわかっていただけます。当時、液晶にはまだ30V型以上はありませんでしたから、サイズ的な魅力も訴えられました。もう一つは、規模を追いかけるのではなく、ホームシアターに一生懸命取り組んでいる販売店さんにまず狙いを定めたことです。
価格については、60万円を切ったとは言え、ブラウン管テレビに対しては、「時代はこうなります」としか説明できません。しかし、コンテンツがなかったワイドテレビや、日本の家庭には大きすぎたプロジェクションテレビとは違って、60万円という価値を説明できるだけの要素が揃っていたと思います。未来のテレビ像を十分に想像させられる商品でした。
―― 店頭とバイヤーとで判断が180度異なるようなケースもあったのではないかと思います。
山本 こちらからの説明も、MDさんにだけではだめなんです。店長さんにも一緒にお集まりいただくとか、トップセールスでなければだめだという部分もあります。商談もまさに総力戦ですね。企業をあげての競争です。もっとも販売する側にすれば、数十万円もの在庫を抱え込むリスクを背負うわけですから当然だったと思います。従来のやり方とは全く違っていた。こういうやり方も、かつての商品にはなかったですね。
■一番大切なのは店頭でのアピール
―― 一方、市場が広ってくると今度は反対に、「うちも販売したい」と流通各社から手が挙がってきたと思います。その際のコントロールというのはどうされましたか。
山本 そうした側面も確かにありましたが、要は歩留まりなんです。しかもそれは、消費者の視点からすれば、どうして商品がないのか、非常に理解しにくい部分でした。
お客様に対し、一番大切なポイントとしたのはやはり、店頭でのアピールです。当時はまだ、BSデジタル放送しかありませんでしたから、ハイビジョンのデモ用ソフトを新製品発売のたびに作って提供していきました。また、対液晶では、一般のご家庭と比べると店頭がものすごく明るいものですから、どうしても液晶の方がキレイに見えてに有利になってしまいます。そこで、実際のご家庭での視聴環境に近づけた、ちょっと暗めの演出を、これはもう5年以上も前から販売店さんに対して訴えかけています。
―― 販売店の側としては抵抗があったのではないですか。
山本 「おたくのテレビは照明まで調整しないとキレイに映らないのか」とお叱りいただいたこともあります。しかし、置く場所や見せ方など、自分の商品をいかにキレイに見せられるかという店頭競争ですからね。
―― 液晶との比較という意味では、非常に分かりづらい部分や、誤解を生んだ部分もあったのではないでしょうか。
山本 例えば、液晶は省エネだと言われますが、プラズマも同等以上に省エネなんですね。全国各地で行われる量販店さんに対する商談会では、輝度や照度によって映像が変わるとか、省エネであるという部分など、細かなデモを何回も行いました。各地域には、セールスを強力にバックアップするために、プラズマを中心としたデジタル家電の商品説明を行う「プラズマイスター」と命名した専門の部隊も設けました。
―― プラズマは当時、皆はじめて買う人ばかりです。販売店のお客様に対するセールストークというのは、かなりお考えになりましたか。
山本 「画面が映っていない時にも満足」とか、「9センチのソリューション」とか、プラズマを言い表すいろいろなキャッチフレーズも考えました。夢の壁掛けテレビも、現実にはむずかしいケースがほとんどでしたので、壁掛けのように見せられるラックというのも同時に用意しました。
一番のターゲットとしたのは、ブラウン管のハイビジョンテレビやリアプロジェクションテレビを購入されていたお客様です。プラズマ購入へのマインドの高いお客様、大きな画面が好きなお客様ですから、地域店さんでも最初に動いたのはそうしたお客様です。
―― プラズマもデジタル商品ですが、アナログからデジタルへシフトしていく中で、営業としてはどういう点に苦労されましたか。
山本 苦労と言うよりも、この製品を取り巻く環境が先々こうなっていきますよ、という魅力を説明できることが、デジタル家電の面白さなんです。最近では、車が売れないのは薄型テレビのせいだという報道もされています。家庭で支出できる金額というのは決まっている。それが車にいくのか、こちらに来るのかという世界です。今は圧倒的に薄型大画面テレビに来ているのではないですか。
■芯の通った商品開発にとことん食らい付く
―― Woooという新しいブランドでデジタルAV商品を展開されていかれたわけですが、そこに手ごたえを感じたのはいつ頃ですか。
山本 最初はテレビだけだったものが、グローバルに通じるものにしたいという想いから、ビデオカメラやDVDレコーダーにも冠していきました。その頃からですね。ビデオカメラはご存じのように、DVDカメラの第3世代からWoooブランドとして大きく売上げを伸ばしています。DVDレコーダーでは、当時最大容量となる400GB HDD搭載モデルを発売するときに、最後発ながら、この商品なら他社に対して差別化がきちんとできるということで、そこからDVDレコーダーにもWoooのブランドをつけた展開をスタートさせました。
デジタル製品では互換性や相性が問題にされますが、Woooでひとくくりにすることで、お客様にも安心感を感じていただくことができる。Woooのプラズマとレコーダーの組み合わせは、実際に圧倒的な使いやすさを実現しています。
―― お話をお伺いしていると、液晶の動向に関しては初期の頃からかなり神経を使っていらっしゃるようですね。
山本 液晶テレビは予想以上に大型化しましたよね。32V型から37V型に来て、今年の年末商戦では40V型くらいまで境界線が上がってきています。お客様からすれば、液晶だろうがプラズマだろうが、欲しい商品を欲しい価格で買うだけです。そこで日立としては、プラズマが何故いいのかということを、特にこれからは50V型、60V型という世界になってくるわけですから、もっと力を入れていかなければならないと思います。
―― プラズマで日立がトップシェアをキープしてきた要因はなんだとお考えですか。
山本 やはり商品開発ですよ。毎回毎回きちんとテーマを持って開発に臨んできています。パネルをはじめとする心臓部もどんどん進化してきた。商品開発がしっかりしていれば、営業はとことんついていくだけです。デジタル商品になり、技術的にはシーズ先行型の部分がありますが、大きな課題があれば、もちろん営業からも自然に声が挙がりますから、それでいいと思います。
―― 薄型テレビの創世記の頃に営業の最前線で大活躍されて、今、振り返ってみていかがですか。
山本 薄型テレビの立ち上げに立ち会え、営業として担当させていただいたことは、本当に幸せでした。家電の長い歴史の中で、歴史的な瞬間に立ち会えたわけですからね。商品が変われば、市場も変えていかなければなりません。プラズマは、そうした画期的な商品です。先頭に立ってその流れを創ってこられたことは、会社にとっても私にとっても、何にも代えがたい経験であり、財産になりました。
【プロフィール】
山本和明(やまもとかずあき)●1951年1月26日生まれ。福岡県出身。1974年4月(株)日立製作所テレビ事業部入社。96年2月映像情報メディア事業部AV製品本部営業部長、04年4月日立コンシューマ・マーケティング(株)取締役広域営業本部長、05年11月取締役中部社 社長就任、現在に至る。趣味はスポーツ全般、特にゴルフはシングルハンディ。
【バックナンバー】
・[1]「製品開発は無から有を生み出す夢の集団」
・[2]「ALISパネルのこれまでとこれから」
・[3]「新しい魅力と提案を生む、ほどよい遊び心と強い信念」(前編)」
・[3]「新しい魅力と提案を生む、ほどよい遊び心と強い信念」(後編)」