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公開日 2007/03/19 12:16
話題のソフトを“Wooo”で観る − 第6回『16ブロック』 (Blu-ray Disc)
この連載「話題のソフトを“Wooo”で観る」では、AV評論家・大橋伸太郎氏が旬のソフトの見どころや内容をご紹介するとともに、“Wooo”薄型テレビで視聴した際の映像調整のコツなどについてもお伝えします。DVDソフトに限らず、放送や次世代光ディスクなど、様々なコンテンツをご紹介していく予定です。第6回はBlu-ray Discソフト『16ブロック』をお届けします。
『16ブロック』は、ブルース・ウィリス演じる初老の刑事と犯罪歴のある黒人青年が、N.Y.市警を追っ手に、ある朝のニューヨークを舞台に繰り広げられるアクションサスペンス映画である。筆者は「AVレビュー」誌でハイビジョンディスクの新作紹介を担当しているが、警察内部の腐敗を描くアメリカ映画にお目にかからない月はない。観客を引き付ける題材だから、これだけ引きも切らず作られるのである。
俗に“悪に強きは善にも強し”というが、警察映画に人間的なリアリティと勧善懲悪的カタルシスを与えるための方便なのだろうか。いや、そうではないだろう。過去に遡って、このジャンルの名作であるシドニー・ルメット監督/アル・パチーノ主演の『セルピコ』(1973)は実話を題材にした作品である。映画に描かれるほどの酷い腐敗が行われているとは信じがたいが、少なくとも、警察権力が公正であるか否かが、アメリカ市民の注視をつねに集めていることは疑いようがない。
なぜ腐敗行為が生まれてくるのか。アメリカの警察権力が強大だからである。それではなぜ強大になるのか。治安がそれだけ切実に求められているからだが、それに先立ってアメリカ社会の特性があるはずだ。筆者は、親戚筋のレコード会社社長(女性)と国際通の友人たちの集まりに呼ばれたことがあるが、そこでアメリカ社会の話題になり、彼らが言うにはアメリカとは「偽造国家」だというのだ。
文化も宗教も違う、場合によっては言葉が通じないいくつもの民族が一つの国土に寄り集まったのがアメリカである。それを横断的に取り仕切るのが警察権力である。社会間の融和はありえず、はなから妥協もない。しかし、各々の社会集団が同じ方向を向いていれば、つまりアメリカで生きることで得られる利益を共通して追求していれば、秩序は維持され内乱は起きない。公権力にとってみれば、社会単位ごとの利益追求をある程度黙認していくことが手っ取り早い統治手法である。そこに腐敗が生まれる。
実を言うと今回の企画の候補に上がったもう一作が、『トレーニングデイ』であった。この作品もまた警察の腐敗を主題にしたサスペンスアクション映画である。デンゼル・ワシントン演じる魅力的なカリスマ悪徳刑事が黒人、ヒスパニックの裏社会に幅を利かせて利を貪る様子を描き、新参の社会集団によって制裁を受ける結末は腐敗の背景を描いて分かりやすいのだが、映画としての完成度で『16ブロック』を選んだ。もし、この記事をお読みになって『16ブロック』にご興味をお持ちになったら『トレーニングデイ』のハイビジョンディスクもあわせてご覧になることをお勧めする。
AV的な見どころとWoooで見たときの画質調整のポイント
『16ブロック』はニューヨークのある朝の午前8時に始まり、午後10時に結末を迎える同時進行形の映画である。映画の冒頭、主演のブルース・ウィリスが登場しているのに気付かなかった。あのタフガイが、かつては熱心に任務に勤しんでいたがいまは酒浸りになり分署で持て余されている初老の刑事ジムになりきっていて、この役作りは見事。この驚きだけで映画『16ブロック』は成功したも同じである。
非番のジムが年下の上司の命令で渋々引き受けた仕事が、留置所から16街区先の裁判所まで証人を護送する任務で、証人台に立つ仮釈放中の黒人青年エディに扮するのがモス・デフ。『チョコレート』でビリー・ボブ・ソーントン演じる差別主義者一家の隣人役をやっていた若手俳優である。法廷は出勤で混み合うニューヨークでも15分もあれば到着する近さ。“A Piece of cake”(楽な仕事)のはずが、とてつもなく遠い道のりに変わる。エディを乗せたジムが運転する公用車が出発直後に武装したトラックの銃撃を受けたのだ。その背後には警察内の根深い不祥事があった。エディとジムはニューヨークの街頭に放り出され、同僚のNY市警の追跡をかわしながら16ブロック先の法廷まで孤立無援の旅をするという筋書きである。
さきにアメリカ社会と警察権力の関係をわかりやすく表現していると述べた『トレーニングデイ』は、ベテランと新人のチームを組んだ二人の刑事の前に、癒着の温床となる社会集団が舞台転換のように次々に現れていく点である意味説明的だ。一方の『16ブロック』は、ジムとエディ、ジムと長くチームを組んだ同僚刑事のフランクのほぼ3人に登場人物を絞った。そのジムとエディが追っ手をかいくぐり法廷をめざすニューヨークの雑踏は、さまざまな“カラード”、つまり黒人、ヒスパニック、チャイニーズ、そして老若男女白人の、肌の色も階層も異にしたセリフのない市民の顔、顔、顔で埋め尽くされている。私たち観客はこの映像による人間のタペストリーを見ているだけで、この物語の背景をなすアメリカの現実を直感的かつビジュアル的に理解するのである。
先に映画としての完成度で上、といったのはまさにこの点で、演出が映画的に洗練されているからである。本作を家庭のプラズマテレビで見る第一のポイントは、肌の色も表情も違う人、人、人が織り成すニューヨークの街頭のダイナミズムを画面一杯にあふれさせることである。
酒に溺れ希望をなくし惰性で刑事の職務を続けているジムが、夜勤明けのその日迎えたのはいつもと同じように荒涼とした虚しい朝だ。映像は警察署内の朝をジムの心象風景のように色数を整理し描く。エディを護送して出発、酒を買いにリカーショップ襲撃に立ち寄った隙に銃撃を受けるのだが、その街頭シーンでも寒々しいトーンは変わらない。アル中のジムが狙撃者を一撃で倒すシーンで彼がかつては“ライオン”であったことがわかり、デヴィッド・モース扮するかつての同僚で出世組のフランクが現場に現れるとジムの心に微妙な変化が訪れる。「ここはオレがずっと守ってきた街だ」という警官の誇りが目覚めたのである。事件収拾に現れたはずのフランクが実は証人襲撃の張本人だったことがわかり、ドラマが急転換する。これ以上は映画を見てのお楽しみなので書かないが、彼の心を苛み続け酒浸りの生活に身を貶めた6年前の忌まわしい出来事が、実はこの時再現されようとしていたのである。
『16ブロック』はジムとエディのバディムービー(相棒映画)でもある。意気消沈していた老刑事が底辺の若者を守り抜き、明日を信じる若者からパワーをもらうことで乾ききった心がよみがえっていく。証人出廷の刻限である午前十時へと時間が刻々と過ぎていくにつれ、モノトーンのようだった映像に、次第に光と生気が通い始める。護送任務は、ジムが自身を苛なみ続けた過去の罪業に落とし前をつける贖罪の道行きであり、自己回復の最後のチャンスにいつの間にか変わっている。映像のトーンの変化はジムの心がよみがえっていく様子なのだ。『16ブロック』のハイビジョンディスクを家庭のプラズマテレビで見るなら、この変化を出すことが第二のポイントといえるだろう。
映画の結末近く、証人のエディを逃したジムとフランクが最後の対峙をするシーンは際立ってサスペンスフルだ。分署ぐるみの汚職を隠蔽するために無辜の市民を死に追いやった過失にフランクは「俺たち(警察)の仕事に犠牲は付き物だ。真実がなんだ」と開き直る。ニューヨークの地下駐車場の象徴的な暗がりの中、鏡の中の分身のように対峙するフランクとジムの表情をきちんと描写することが『16ブロック』鑑賞上の第三のポイントである。
逃避行の道すがら、ジムが銃と弾薬で武装するためにアパートメントに立ち寄ると、女の写真が飾ってあり、エディはそのアパートを、ジムが愛人を住まわせている家と勘違いする。結末近くに、一人の気丈な女性警官がフランクの前に立ちふさがり、エディを安全な場所に逃がしてやる。アパートの女は婦人警官でジムの妹でもあるダイアンだったのである。これは感動的なエピソードである。映画では描かれないが父もきっと警官だったのだろう。ジムは生まれながらの警官であり公僕なのである。だから、自らの犯した罪に苦しみ続けた。バスに舞い戻ったエディを射殺しようとフランクが構えると、初老の巡査がその手を掴んで発砲させない印象的なシーンもある。映画のアメリカの警察への「信任」である。善も悪もひっくるめてアメリカの市民と共にあり続ける警察への期待を粋に描いているではないか。アメリカ映画のたくみなバランス感覚を、またも『16ブロック』に見せ付けられた。
画質調整したあとの変化など
筆者の二階仕事場には日立のプラズマテレビ「W42P-HR9000」が、おなじく日立のデジタルレコーダー「DV-DH1000D」とコンビを組み、さらにPS3、HD DVDプレーヤーも接続され、すべてのデジタル映像ディスクが再生できる環境が整っている。階下には天吊設置した3管式プロジェクターとBlu-ray Discプレーヤー、HD DVDプレーヤーがあり、今回の『16ブロック』も最初はプロジェクターの大画面で視聴し、二度目にW42P-HR9000を中心としたシステムで映像の隅々まで度視聴し直し、画質の調整を試みた。『16ブロック』に限らず、映像作品について何らかのコメントを書く場合はほとんどこの二段構えなので、昨年夏から、筆者が論評する映画や音楽ソフトはすべて「W42P-HR9000」で一度は見ていることになる。
「W42P-HR9000」は昨年4月に発売され、音元出版のビジュアルグランプリで夏・冬二度の金賞に輝いた製品である。世代交替の激しい薄型テレビの、しかも人気サイズである42型クラスで一年にわたりロングセラーを続けているのは、総合的な画質・性能に優れているからである。垂直方向でハイビジョン規格の1,080画素を持ち、画素変換せずにリアル表示することができるALIS方式パネルを中心に、高画質画像処理回路「PictureMaster HD」を組み合わせ、映画で重要な階調表現や色再現の忠実など、映像の自然さ、なめらかさが持ち味のプラズマテレビである。
一本の映画を通して見る上でもっとも大切なのは色温度の設定だ。『16ブロック』に関しては「中」で見るのがいい。早朝の警察署の色数の整理された冷え冷えとした空気とジムの心の光景がオーバーラップするからだ。「低」に設定した場合、色が付きすぎて映像が重くなり、心の空虚が表現されにくくなる。護送に出発した車内でジムの表情がクローズアップされるが、酒に溺れて健康を損ねた男の赤い斑点の浮かんだ顔色も「中」の方がリアル、モス・デフ演じるエディとの肌の色の対照も鮮明になる。映画のトーンはドラマの進行につれて次第に力強いものに変わっていく。ディスプレイには映像のトーンの変化をリニアに映し出していくことが求められる。色彩表現の的確さとともに解像感に富んでいることが欠かせない。「W42P-HR9000」はこうした映像のニュアンスの変化を映し出して不足のない製品である。最初に設定した映像調整値は下記である。
映像モード:シネマティック
明るさ:-18
黒レベル:-18
色の濃さ:-20
色合い:+8
画質:-15
色温度:中
ディテール 切
コントラスト リニア
黒補正 切
LTI 切
CTI 切
YNR 切
CNR 切
ニューヨーク街頭の雑踏の中の逃走劇は、黒人の多い地下鉄駅からチャイナタウンへ、そして最後に法廷のある白人の多い街区へ移っていく。先に書いたようにアメリカ社会に背景にした映画だから、街頭の情景と空気がちゃんと伝わっていかなければ説得力が半減する。主演の二人はもちろんのこと、背景を埋める群集を映像が活写しなければいけない。「W42P-HR9000」の魅力は隅々までシャープな解像感で、この点で不足はない。街頭の様子をよりきめ細かく表現するために、LTIを「切」から「弱」へ変更すると、人種がひしめき合うニューヨークの街角のダイナミズムがひしひしと伝わってきた。
結末近くのジムとフランクの対峙は、ライティング、カメラの構図とも非常によく考えられたシーンである。フランクの悪徳はジムの中にかつて存在したものであり、地下の駐車場でスポットライトを浴びた二つの人格の対話が、暗い鏡の中で向かい合っているようにカメラの切り返しで描かれる。このシーンに限っては、デヴィッド・モースの表情にプラズマテレビ特有の色ムラが出やすいので、色温度「低」に切り替えたほうが見やすい。
警察国家アメリカについて考える一助をくれ、スリリングな2時間のダウンタウンツアーを体験させる映画が『16ブロック』、それに欠かせない映像による導き手を見事に務めてくれるのが日立のプラズマテレビ「W42P-HR9000」である。
(大橋伸太郎)
大橋伸太郎 プロフィール
1956 年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。フジサンケイグループにて、美術書、児童書を企画編集後、(株)音元出版に入社、1990年『AV REVIEW』編集長、1998年には日本初にして現在も唯一の定期刊行ホームシアター専門誌『ホームシアターファイル』を刊行した。ホームシアターのオーソリティとして講演多数2006年に評論家に転身。趣味はウィーン、ミラノなど海外都市訪問をふくむコンサート鑑賞、アスレチックジム、ボルドーワイン。
バックナンバー
・第1回『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』
・第2回『アンダーワールド2 エボリューション』
・第3回『ダ・ヴィンチ・コード』
・第4回『イノセンス』 (Blu-ray Disc)
・第5回『X-MEN:ファイナル デシジョン』 (Blu-ray Disc)
『16ブロック』は、ブルース・ウィリス演じる初老の刑事と犯罪歴のある黒人青年が、N.Y.市警を追っ手に、ある朝のニューヨークを舞台に繰り広げられるアクションサスペンス映画である。筆者は「AVレビュー」誌でハイビジョンディスクの新作紹介を担当しているが、警察内部の腐敗を描くアメリカ映画にお目にかからない月はない。観客を引き付ける題材だから、これだけ引きも切らず作られるのである。
俗に“悪に強きは善にも強し”というが、警察映画に人間的なリアリティと勧善懲悪的カタルシスを与えるための方便なのだろうか。いや、そうではないだろう。過去に遡って、このジャンルの名作であるシドニー・ルメット監督/アル・パチーノ主演の『セルピコ』(1973)は実話を題材にした作品である。映画に描かれるほどの酷い腐敗が行われているとは信じがたいが、少なくとも、警察権力が公正であるか否かが、アメリカ市民の注視をつねに集めていることは疑いようがない。
なぜ腐敗行為が生まれてくるのか。アメリカの警察権力が強大だからである。それではなぜ強大になるのか。治安がそれだけ切実に求められているからだが、それに先立ってアメリカ社会の特性があるはずだ。筆者は、親戚筋のレコード会社社長(女性)と国際通の友人たちの集まりに呼ばれたことがあるが、そこでアメリカ社会の話題になり、彼らが言うにはアメリカとは「偽造国家」だというのだ。
文化も宗教も違う、場合によっては言葉が通じないいくつもの民族が一つの国土に寄り集まったのがアメリカである。それを横断的に取り仕切るのが警察権力である。社会間の融和はありえず、はなから妥協もない。しかし、各々の社会集団が同じ方向を向いていれば、つまりアメリカで生きることで得られる利益を共通して追求していれば、秩序は維持され内乱は起きない。公権力にとってみれば、社会単位ごとの利益追求をある程度黙認していくことが手っ取り早い統治手法である。そこに腐敗が生まれる。
実を言うと今回の企画の候補に上がったもう一作が、『トレーニングデイ』であった。この作品もまた警察の腐敗を主題にしたサスペンスアクション映画である。デンゼル・ワシントン演じる魅力的なカリスマ悪徳刑事が黒人、ヒスパニックの裏社会に幅を利かせて利を貪る様子を描き、新参の社会集団によって制裁を受ける結末は腐敗の背景を描いて分かりやすいのだが、映画としての完成度で『16ブロック』を選んだ。もし、この記事をお読みになって『16ブロック』にご興味をお持ちになったら『トレーニングデイ』のハイビジョンディスクもあわせてご覧になることをお勧めする。
AV的な見どころとWoooで見たときの画質調整のポイント
『16ブロック』はニューヨークのある朝の午前8時に始まり、午後10時に結末を迎える同時進行形の映画である。映画の冒頭、主演のブルース・ウィリスが登場しているのに気付かなかった。あのタフガイが、かつては熱心に任務に勤しんでいたがいまは酒浸りになり分署で持て余されている初老の刑事ジムになりきっていて、この役作りは見事。この驚きだけで映画『16ブロック』は成功したも同じである。
非番のジムが年下の上司の命令で渋々引き受けた仕事が、留置所から16街区先の裁判所まで証人を護送する任務で、証人台に立つ仮釈放中の黒人青年エディに扮するのがモス・デフ。『チョコレート』でビリー・ボブ・ソーントン演じる差別主義者一家の隣人役をやっていた若手俳優である。法廷は出勤で混み合うニューヨークでも15分もあれば到着する近さ。“A Piece of cake”(楽な仕事)のはずが、とてつもなく遠い道のりに変わる。エディを乗せたジムが運転する公用車が出発直後に武装したトラックの銃撃を受けたのだ。その背後には警察内の根深い不祥事があった。エディとジムはニューヨークの街頭に放り出され、同僚のNY市警の追跡をかわしながら16ブロック先の法廷まで孤立無援の旅をするという筋書きである。
さきにアメリカ社会と警察権力の関係をわかりやすく表現していると述べた『トレーニングデイ』は、ベテランと新人のチームを組んだ二人の刑事の前に、癒着の温床となる社会集団が舞台転換のように次々に現れていく点である意味説明的だ。一方の『16ブロック』は、ジムとエディ、ジムと長くチームを組んだ同僚刑事のフランクのほぼ3人に登場人物を絞った。そのジムとエディが追っ手をかいくぐり法廷をめざすニューヨークの雑踏は、さまざまな“カラード”、つまり黒人、ヒスパニック、チャイニーズ、そして老若男女白人の、肌の色も階層も異にしたセリフのない市民の顔、顔、顔で埋め尽くされている。私たち観客はこの映像による人間のタペストリーを見ているだけで、この物語の背景をなすアメリカの現実を直感的かつビジュアル的に理解するのである。
先に映画としての完成度で上、といったのはまさにこの点で、演出が映画的に洗練されているからである。本作を家庭のプラズマテレビで見る第一のポイントは、肌の色も表情も違う人、人、人が織り成すニューヨークの街頭のダイナミズムを画面一杯にあふれさせることである。
酒に溺れ希望をなくし惰性で刑事の職務を続けているジムが、夜勤明けのその日迎えたのはいつもと同じように荒涼とした虚しい朝だ。映像は警察署内の朝をジムの心象風景のように色数を整理し描く。エディを護送して出発、酒を買いにリカーショップ襲撃に立ち寄った隙に銃撃を受けるのだが、その街頭シーンでも寒々しいトーンは変わらない。アル中のジムが狙撃者を一撃で倒すシーンで彼がかつては“ライオン”であったことがわかり、デヴィッド・モース扮するかつての同僚で出世組のフランクが現場に現れるとジムの心に微妙な変化が訪れる。「ここはオレがずっと守ってきた街だ」という警官の誇りが目覚めたのである。事件収拾に現れたはずのフランクが実は証人襲撃の張本人だったことがわかり、ドラマが急転換する。これ以上は映画を見てのお楽しみなので書かないが、彼の心を苛み続け酒浸りの生活に身を貶めた6年前の忌まわしい出来事が、実はこの時再現されようとしていたのである。
『16ブロック』はジムとエディのバディムービー(相棒映画)でもある。意気消沈していた老刑事が底辺の若者を守り抜き、明日を信じる若者からパワーをもらうことで乾ききった心がよみがえっていく。証人出廷の刻限である午前十時へと時間が刻々と過ぎていくにつれ、モノトーンのようだった映像に、次第に光と生気が通い始める。護送任務は、ジムが自身を苛なみ続けた過去の罪業に落とし前をつける贖罪の道行きであり、自己回復の最後のチャンスにいつの間にか変わっている。映像のトーンの変化はジムの心がよみがえっていく様子なのだ。『16ブロック』のハイビジョンディスクを家庭のプラズマテレビで見るなら、この変化を出すことが第二のポイントといえるだろう。
映画の結末近く、証人のエディを逃したジムとフランクが最後の対峙をするシーンは際立ってサスペンスフルだ。分署ぐるみの汚職を隠蔽するために無辜の市民を死に追いやった過失にフランクは「俺たち(警察)の仕事に犠牲は付き物だ。真実がなんだ」と開き直る。ニューヨークの地下駐車場の象徴的な暗がりの中、鏡の中の分身のように対峙するフランクとジムの表情をきちんと描写することが『16ブロック』鑑賞上の第三のポイントである。
逃避行の道すがら、ジムが銃と弾薬で武装するためにアパートメントに立ち寄ると、女の写真が飾ってあり、エディはそのアパートを、ジムが愛人を住まわせている家と勘違いする。結末近くに、一人の気丈な女性警官がフランクの前に立ちふさがり、エディを安全な場所に逃がしてやる。アパートの女は婦人警官でジムの妹でもあるダイアンだったのである。これは感動的なエピソードである。映画では描かれないが父もきっと警官だったのだろう。ジムは生まれながらの警官であり公僕なのである。だから、自らの犯した罪に苦しみ続けた。バスに舞い戻ったエディを射殺しようとフランクが構えると、初老の巡査がその手を掴んで発砲させない印象的なシーンもある。映画のアメリカの警察への「信任」である。善も悪もひっくるめてアメリカの市民と共にあり続ける警察への期待を粋に描いているではないか。アメリカ映画のたくみなバランス感覚を、またも『16ブロック』に見せ付けられた。
画質調整したあとの変化など
筆者の二階仕事場には日立のプラズマテレビ「W42P-HR9000」が、おなじく日立のデジタルレコーダー「DV-DH1000D」とコンビを組み、さらにPS3、HD DVDプレーヤーも接続され、すべてのデジタル映像ディスクが再生できる環境が整っている。階下には天吊設置した3管式プロジェクターとBlu-ray Discプレーヤー、HD DVDプレーヤーがあり、今回の『16ブロック』も最初はプロジェクターの大画面で視聴し、二度目にW42P-HR9000を中心としたシステムで映像の隅々まで度視聴し直し、画質の調整を試みた。『16ブロック』に限らず、映像作品について何らかのコメントを書く場合はほとんどこの二段構えなので、昨年夏から、筆者が論評する映画や音楽ソフトはすべて「W42P-HR9000」で一度は見ていることになる。
「W42P-HR9000」は昨年4月に発売され、音元出版のビジュアルグランプリで夏・冬二度の金賞に輝いた製品である。世代交替の激しい薄型テレビの、しかも人気サイズである42型クラスで一年にわたりロングセラーを続けているのは、総合的な画質・性能に優れているからである。垂直方向でハイビジョン規格の1,080画素を持ち、画素変換せずにリアル表示することができるALIS方式パネルを中心に、高画質画像処理回路「PictureMaster HD」を組み合わせ、映画で重要な階調表現や色再現の忠実など、映像の自然さ、なめらかさが持ち味のプラズマテレビである。
一本の映画を通して見る上でもっとも大切なのは色温度の設定だ。『16ブロック』に関しては「中」で見るのがいい。早朝の警察署の色数の整理された冷え冷えとした空気とジムの心の光景がオーバーラップするからだ。「低」に設定した場合、色が付きすぎて映像が重くなり、心の空虚が表現されにくくなる。護送に出発した車内でジムの表情がクローズアップされるが、酒に溺れて健康を損ねた男の赤い斑点の浮かんだ顔色も「中」の方がリアル、モス・デフ演じるエディとの肌の色の対照も鮮明になる。映画のトーンはドラマの進行につれて次第に力強いものに変わっていく。ディスプレイには映像のトーンの変化をリニアに映し出していくことが求められる。色彩表現の的確さとともに解像感に富んでいることが欠かせない。「W42P-HR9000」はこうした映像のニュアンスの変化を映し出して不足のない製品である。最初に設定した映像調整値は下記である。
映像モード:シネマティック
明るさ:-18
黒レベル:-18
色の濃さ:-20
色合い:+8
画質:-15
色温度:中
ディテール 切
コントラスト リニア
黒補正 切
LTI 切
CTI 切
YNR 切
CNR 切
ニューヨーク街頭の雑踏の中の逃走劇は、黒人の多い地下鉄駅からチャイナタウンへ、そして最後に法廷のある白人の多い街区へ移っていく。先に書いたようにアメリカ社会に背景にした映画だから、街頭の情景と空気がちゃんと伝わっていかなければ説得力が半減する。主演の二人はもちろんのこと、背景を埋める群集を映像が活写しなければいけない。「W42P-HR9000」の魅力は隅々までシャープな解像感で、この点で不足はない。街頭の様子をよりきめ細かく表現するために、LTIを「切」から「弱」へ変更すると、人種がひしめき合うニューヨークの街角のダイナミズムがひしひしと伝わってきた。
結末近くのジムとフランクの対峙は、ライティング、カメラの構図とも非常によく考えられたシーンである。フランクの悪徳はジムの中にかつて存在したものであり、地下の駐車場でスポットライトを浴びた二つの人格の対話が、暗い鏡の中で向かい合っているようにカメラの切り返しで描かれる。このシーンに限っては、デヴィッド・モースの表情にプラズマテレビ特有の色ムラが出やすいので、色温度「低」に切り替えたほうが見やすい。
警察国家アメリカについて考える一助をくれ、スリリングな2時間のダウンタウンツアーを体験させる映画が『16ブロック』、それに欠かせない映像による導き手を見事に務めてくれるのが日立のプラズマテレビ「W42P-HR9000」である。
(大橋伸太郎)
大橋伸太郎 プロフィール
1956 年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。フジサンケイグループにて、美術書、児童書を企画編集後、(株)音元出版に入社、1990年『AV REVIEW』編集長、1998年には日本初にして現在も唯一の定期刊行ホームシアター専門誌『ホームシアターファイル』を刊行した。ホームシアターのオーソリティとして講演多数2006年に評論家に転身。趣味はウィーン、ミラノなど海外都市訪問をふくむコンサート鑑賞、アスレチックジム、ボルドーワイン。
バックナンバー
・第1回『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』
・第2回『アンダーワールド2 エボリューション』
・第3回『ダ・ヴィンチ・コード』
・第4回『イノセンス』 (Blu-ray Disc)
・第5回『X-MEN:ファイナル デシジョン』 (Blu-ray Disc)