公開日 2010/09/24 21:21
「クラウド」はなぜ常に曖昧なのか
猫も杓子もクラウドといった感じの昨今。AV機器やサービスでもクラウドという言葉が頻繁に使われるようになり、クラウドブームが到来しそうな気配だ。
先日開催されたIFA2010では、ソニーが「Qriocity」を、東芝が「TOSHIBA PLACES」を、それぞれ発表した。どちらもクラウド型サービスを謳っている。また、ソニーは「Google TV」対応端末を秋に発売する計画もすでに発表済だ。
さらにシャープも、タブレット型デバイスの年内投入に合わせ、自前のクラウド型サービスを展開することを表明している。
「クラウド」の定義は曖昧だ。だから、AV関連のクラウド型サービスと聞いても、具体的にどういったサービスが展開されるのか、どのようなことが可能になるのかイメージしづらい。
はじめは「クラウドでAV機器はどう変わるか」をテーマに原稿を書き始めたのだが、書けば書くほど、クラウドという言葉で一括りにされているものの幅広さを痛感させられ、まずはそこから解きほぐさないと話にならないと悟った。
さらに言うと、人によって、あるいは企業によって、クラウドという言葉の捉え方にかなり違いがあることも分かってきた。分かっている人にとっては意味がない記事であることは承知の上で、今回はクラウドという言葉の意味を、なるべくシンプルに整理してみることにしたい。
◇ ◇ ◇
これを言うと身も蓋もないが、個人的には、クラウドというのは一種の流行り言葉であり、今後一般化して定着するかどうか、かなり怪しいと思っている。たとえばいま、真顔で「WEB 2.0」などと言ったら、良くても怪訝な顔をされ、悪ければ物笑いの種になるだろう。クラウドも同じようなバズワードとして終わる可能性がある。
それを前提にして話を進めると、そもそも最初にグーグルのシュミットCEOが「クラウド」という言葉を使った際は、クラウドは単にインターネット、あるいはインターネット上の処理能力、という程度の意味だったはずだ。
クラウドを「インターネット」と捉えたら、たとえばiTunesも、当然クラウドを利用していることになる。そればかりでなく、インターネットを使ったサービス、あらゆる音楽配信やVODサービスはクラウドを使っていると言うことができる。
だが、「クラウドコンピューティング」「クラウド型サービス」となると様子が変わり、だいぶ先進的なイメージになる。最近では、クラウドコンピューティングやクラウド型サービスを指して「クラウド」と呼ぶことも増えているようだ。
この原稿はGoogleドキュメントで書いているが、これは高度なクラウド型サービスであり、クラウドコンピューティングとも言うことができる。GMailなどと同じく、クラウドとJAVAで実行される、ネットを通じて提供されるソフトウェアだ。こういったものをSaaSなどと言うこともある。同じサービスでも、異なる別の言葉で説明が可能で、どちらが間違っているわけでもない。これが我々を混乱させる大きな理由だ。
オンラインストレージサービスも、クラウドの文脈で語られることが増えてきた。オンライン上のストレージを貸し出すというサービス自体はさほど目新しいものではないが、スマートフォンの人気が過熱するのに合わせ、形態が異なるデバイス同士をつなげる存在としてのクラウドにスポットライトが当たった。その代表例がEvernoteであり、Dropboxだ。
ほかにも、単に情報をネット上でシェアしているだけのものをクラウドサービスと説明する例が見られたりなど、マーケティング的な観点から、故意に意味を拡大解釈しているような例は枚挙に暇がない。
◇ ◇ ◇
用法を紹介していくと切りがないので、このあたりでまとめておこう。
一般的に、我々が「クラウド型サービス」と言うとき、「クラウド」は単なるデータの一時保管場所ではなく、さらに高次の機能を持つものとして想起される。
これまでのように、インターネット上にあるものをダウンロードし、ローカルストレージにコピーしたものを「大元」として扱うのではない。また、インターネット上のコンテンツを、ただ単にストリーミング配信するだけでもない。実体そのもの(あるいは実体と仮託したデータ)をインターネット上に置いておき、それをネットで接続した様々な端末で再生したり、編集を加えたり、複数人でシェアしたりといった使い方を可能にするのが、我々が「クラウド型サービス」と呼ぶものの典型例だ。
だが先に述べたとおり、クラウドの本質は「インターネット」である。だから、インターネットの使い方を工夫しさえすれば、あるいはインターネットへの接続パフォーマンスが劇的に上がれば、これまでにないサービスを提供することが可能になる。
常に変わり続けるものがベースとしてあるため、本質的に「クラウド型サービス」は、一つの意味にとどまらない。新たなイノベーションが起これば、その意味もまた移り変わっていくはずだ。これが、クラウドという言葉に、常に曖昧さがついて回る理由と言えるだろう。
◇ ◇ ◇
だが、言葉の定義が曖昧だからと言って、クラウド型サービスの価値や意義が減ずるものでは、もちろん無い。
これまでAV機器は、長らくスタンドアローンで使われてきたが、インターネットを利用すれば、単体では不可能だった、様々なサービスを提供できる。
スマートフォンやタブレット型デバイスに押し寄せている革新の波から、AV機器だけが無関係ではいられない。AV機器でも、今後はネットサービスの優劣がハードの価値の重要な要素となっていく可能性が高い。携帯電話端末ではガラパゴスなどと揶揄されることも多い国内メーカーだが、クラウド型サービスではその轍を踏まないよう、海外企業をリードするくらいの意気込みを見せて欲しいものだ。
先日開催されたIFA2010では、ソニーが「Qriocity」を、東芝が「TOSHIBA PLACES」を、それぞれ発表した。どちらもクラウド型サービスを謳っている。また、ソニーは「Google TV」対応端末を秋に発売する計画もすでに発表済だ。
さらにシャープも、タブレット型デバイスの年内投入に合わせ、自前のクラウド型サービスを展開することを表明している。
「クラウド」の定義は曖昧だ。だから、AV関連のクラウド型サービスと聞いても、具体的にどういったサービスが展開されるのか、どのようなことが可能になるのかイメージしづらい。
はじめは「クラウドでAV機器はどう変わるか」をテーマに原稿を書き始めたのだが、書けば書くほど、クラウドという言葉で一括りにされているものの幅広さを痛感させられ、まずはそこから解きほぐさないと話にならないと悟った。
さらに言うと、人によって、あるいは企業によって、クラウドという言葉の捉え方にかなり違いがあることも分かってきた。分かっている人にとっては意味がない記事であることは承知の上で、今回はクラウドという言葉の意味を、なるべくシンプルに整理してみることにしたい。
これを言うと身も蓋もないが、個人的には、クラウドというのは一種の流行り言葉であり、今後一般化して定着するかどうか、かなり怪しいと思っている。たとえばいま、真顔で「WEB 2.0」などと言ったら、良くても怪訝な顔をされ、悪ければ物笑いの種になるだろう。クラウドも同じようなバズワードとして終わる可能性がある。
それを前提にして話を進めると、そもそも最初にグーグルのシュミットCEOが「クラウド」という言葉を使った際は、クラウドは単にインターネット、あるいはインターネット上の処理能力、という程度の意味だったはずだ。
クラウドを「インターネット」と捉えたら、たとえばiTunesも、当然クラウドを利用していることになる。そればかりでなく、インターネットを使ったサービス、あらゆる音楽配信やVODサービスはクラウドを使っていると言うことができる。
だが、「クラウドコンピューティング」「クラウド型サービス」となると様子が変わり、だいぶ先進的なイメージになる。最近では、クラウドコンピューティングやクラウド型サービスを指して「クラウド」と呼ぶことも増えているようだ。
この原稿はGoogleドキュメントで書いているが、これは高度なクラウド型サービスであり、クラウドコンピューティングとも言うことができる。GMailなどと同じく、クラウドとJAVAで実行される、ネットを通じて提供されるソフトウェアだ。こういったものをSaaSなどと言うこともある。同じサービスでも、異なる別の言葉で説明が可能で、どちらが間違っているわけでもない。これが我々を混乱させる大きな理由だ。
オンラインストレージサービスも、クラウドの文脈で語られることが増えてきた。オンライン上のストレージを貸し出すというサービス自体はさほど目新しいものではないが、スマートフォンの人気が過熱するのに合わせ、形態が異なるデバイス同士をつなげる存在としてのクラウドにスポットライトが当たった。その代表例がEvernoteであり、Dropboxだ。
ほかにも、単に情報をネット上でシェアしているだけのものをクラウドサービスと説明する例が見られたりなど、マーケティング的な観点から、故意に意味を拡大解釈しているような例は枚挙に暇がない。
用法を紹介していくと切りがないので、このあたりでまとめておこう。
一般的に、我々が「クラウド型サービス」と言うとき、「クラウド」は単なるデータの一時保管場所ではなく、さらに高次の機能を持つものとして想起される。
これまでのように、インターネット上にあるものをダウンロードし、ローカルストレージにコピーしたものを「大元」として扱うのではない。また、インターネット上のコンテンツを、ただ単にストリーミング配信するだけでもない。実体そのもの(あるいは実体と仮託したデータ)をインターネット上に置いておき、それをネットで接続した様々な端末で再生したり、編集を加えたり、複数人でシェアしたりといった使い方を可能にするのが、我々が「クラウド型サービス」と呼ぶものの典型例だ。
だが先に述べたとおり、クラウドの本質は「インターネット」である。だから、インターネットの使い方を工夫しさえすれば、あるいはインターネットへの接続パフォーマンスが劇的に上がれば、これまでにないサービスを提供することが可能になる。
常に変わり続けるものがベースとしてあるため、本質的に「クラウド型サービス」は、一つの意味にとどまらない。新たなイノベーションが起これば、その意味もまた移り変わっていくはずだ。これが、クラウドという言葉に、常に曖昧さがついて回る理由と言えるだろう。
だが、言葉の定義が曖昧だからと言って、クラウド型サービスの価値や意義が減ずるものでは、もちろん無い。
これまでAV機器は、長らくスタンドアローンで使われてきたが、インターネットを利用すれば、単体では不可能だった、様々なサービスを提供できる。
スマートフォンやタブレット型デバイスに押し寄せている革新の波から、AV機器だけが無関係ではいられない。AV機器でも、今後はネットサービスの優劣がハードの価値の重要な要素となっていく可能性が高い。携帯電話端末ではガラパゴスなどと揶揄されることも多い国内メーカーだが、クラウド型サービスではその轍を踏まないよう、海外企業をリードするくらいの意気込みを見せて欲しいものだ。